この国の国民投票を考える 直接民主主義の欠点とは?

石原志乃武
写真AC
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甚大なる自然災害で年明けを迎えた2024年ですが、いよいよ憲法改正が具体性を持って政治の場で語られるようになりました。2016年の参議院選挙でいわゆる改憲勢力の議席数が三分の二を超え、改憲の発議が可能となってから7年近い月日が流れてのことです。

これを遅いと見るか、慎重と見るかは意見の分かれる所でしょうが、私はこの期間、憲法改正に関して消えない不安がありました。それは、国民投票に関してのことです。

国民投票は一歩舵取りを誤れば、国を分断させるものです。ましてや、この国は有史以来、初めての国民投票を行う訳です。その実施にあたっては、各方面から意見を聞き、熟慮に熟慮を重ねるべきだと思うのですが、その声が余り大きく聞こえてこないのです。これを私は国家大乱の危険な兆候だと感じています。

私は、この国が国民投票をどのように行おうとしているのかを注視したいと思い、しばらくはこのテーマで論考を行おうと思っています。願わくば、改憲案が可決されるにしても否決されるにしても、国民一人ひとりが熟考し、自らの国民としての主権を行使し、後に続く世代から見事な投票態度であった、これぞ民主主義の手本であったと評価される国民投票であればと願います。

まず今回は、あえて2017年に書いた原稿の一部を以下に掲載するところから始めたいと思います。なぜかと言えば、私たちはまだ、この地点から歩みを進めていないからです。ここから私たちがどれだけ意識を深めることができるかが、国としての成熟につながると感じています。

この国における国民投票を考える ~納得する投票システム作りを~

現実化した国民投票と見えてきた危うさ

今年(筆者註:2016年)7月、参議院選挙が実施され、改憲勢力といわれる政党の議席数が三分の二を越えました。遂に、改憲の発議が可能となったのです。かつて、「山が動いた」との言葉を残された野党党首の方がいらっしゃいましたが、今回は国が動こうとしています。

結果については、私には何の驚きもありませでした。所謂リベラル陣営の瓦解傾向は歯止めが掛からない印象しかないのです。これだけ超高齢化社会時代における「未来の見える社会保障制度」や、広がっていると言われる「格差社会の是正」が模索されているというのに、何故この国のリベラル陣営から、米国におけるバニー・サンダースのように、大衆から広範な支持を得る人物が現れないのか、それはそれで極めて興味深い問題だと思いますが、今回はそのことを述べることが趣旨ではありません。

私は、投票結果ではなく、投票率の低さに正直愕然としました。この、間違いなく日本の歴史に残るであろう、憲法改正に直結する可能性のある選挙に対して、投票率が戦後4番目に低いというのは、私には主権者意識の欠如と言うよりも、国民意識の希薄さ、国家の問題を自分の問題として考える姿勢の弱さによるものとしか思えません。そして、国民意識が希薄のまま、個人意識の充満だけで国民投票を行うのは危険な行いであることは、昨年行われたイギリスのEU離脱の国民投票が如実に示す通りなのです。

イギリスのEU離脱の国民投票を見ていて、私は国民投票とは怖いものだと思いました。考えるまでもなく、国民投票とは直接民主主義の手法であり、直接民主主義の欠点といわれる、ポピュリズムへの傾斜、対立、治安の悪化や、失政責任の住民への転嫁が正当化されること、さらには少数派の権利の保護が困難であること(イギリスでは現在ヘイトスピーチを越えたヘイトクライムが起きていると側聞しています)等々が露呈しやすい危険性を含みます。

それを防ぐために発達してきたのが、間接民主主義だと私は思うのですが、国民投票はその流れに逆行する手法であり、舵取りを間違えれば大きな問題を発生させてしまいます。今回のイギリスの国民投票が、今後に禍根を残さないことを願っていますが、既にスコットランドはUK(連合王国)からの独立とEU加盟への道を模索しています。今後の状況次第では、日の没することの無い国、七つの海を支配したといわれた栄光の大英帝国が、四散してしまうのです。

その引き金を引いたかも知れないのが今回の国民投票であり、であればこそ、運用にあたっては英知を結集し、最善を尽くさなければならないと私は感じているのですが、EUの国民投票の結果を受けて、もしわが国が国民投票を行えば、どのような問題が起こることが予想され、それを回避するためにはどのような施策をとるべきであろうかというような視点で書かれた文章を、私は殆ど見聞きしていません。これはどう解釈すべきなのでしょうか。

偉そうに物を言っていますが、私は、一介の地方の教育職員です。国政を担うものでも何でもありませんし、政治や法律に関しては素人です。基本、私は毎年学生に元素記号を「水兵リーベ…」といって教えていれば満足な男なのです。

しかし、だからこそと言うべきなのかも知れませんが、自分達の学舎が、安全で平和であることについては無関心ではいられません。「教え子を戦場にやらない」は勿論でしょうが、学舎を戦場にしない、つまり他国の侵略を許さないことについても考えを巡らさなければならないのではと感じています。

各自が他人任せでなく、自らがこの国の行く末に対して十分に思いを馳せ、場合によっては議論にも参加し、最終的には投票場で、国民の一人として一票を投じること。後になってこんな筈では無かったと臍を噛まないためにも事前の議論は徹底的かつ広範に行うべきなのです。

この国における憲法改正問題は、極めて重い政治的案件です。国論が二分されるような議論が巻き起こることは当然予想されるでしょうが、そのことで国家が二分されるようなことがあってはならないと思います。そして、このことを語る方が余りいらっしゃらないのであれば、一人の日本国民として、身の程を顧みず自らの意見を述べ、皆さんにご意見をお伺いしたいと思います。

(2016年原稿、ここまで)

次回は、具体的な意見を述べていきます。皆様方のご意見を楽しみにしております。

石原志乃武

(いしはら・しのぶ)昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

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