女性を“犠牲にする”フェミニズム運動はどこから来たのか

現在、ネトウヨによる「フェミニスト批判」が活発化しているが、その内容はあくまで「フェミニズム=女性の権利を守る思想」という“前提”を共有したものであり、思想的には論ずるに値しないものである。

一方、今注目すべき現象はフェミニズム界隈自体の分裂である。具体的に言うと、LGBT運動においてフェミニズム界隈での存在感を強めている極左勢力「TRA」(Transgender Right Activist)による他のフェミニストへの攻撃であり、しかも、人数面でも影響力でもTRAやそれに同調する勢力の方が優勢である、という厳然たる事実である。

TRAの運動が女性の権利をも侵害する運動であることは先月『選報日本』においても寄稿させていただいたが、彼らがフェミニズム界隈の“主流派”となりつつある現状にこそ、多くのフェミニストの「正体」が示されている。

結論から言うと、フェミニズム団体の多くはそもそもが「女性の権利を守る」ことなど、目的ではなかったのである。最初から「女性を犠牲にしてでも達成したい政治目標」が存在したのだ。

極左勢力「過激派TRA」に同調した社民党と共産党

トイレや風呂を始め、人間社会において「性別」によって分けられているものは多い。それを「身体の性別」ではなく「性自認」や「性自認に基づくジェンダー」によって分けるべきであり、「身体の性別」で男女を分けるのは身体の性別と自認する性別とが一致しないトランスジェンダーへの差別である、というのがトランスジェンダリズムである。

この運動を政治的に最も推進しているのがLGBT法連合会(性的指向および性自認等により困難を抱えている当事者等に対する法整備のための全国連合会/日本の団体)である。

同団体は、戸籍上の性別の変更に手術要件を無くす、つまり、例えば男性の身体を持った人間が自分は女性だと自認すれば戸籍上の性別を変更できるようにする、というような法整備を求めており、その主張には令和元年の参院選の際に同団体が行った調査では、公明党・立憲民主党・共産党・社民党の四党が賛成していた。

もっとも、立憲民主党についてはその後保守派の国民民主党と対等合併したから現在も同じ考えとは限らないが、公明・共産・社民の三党はLGBT法連合会の主張にかなり好意的である、と言える。

なお、LGBT法連合会はLGBTを含むSRGM(性・恋愛・ジェンダー少数者)の代弁者である、とは言えない。

一例を挙げると、LGBT法連合会は性自認が「男性」「女性」のいずれかであることを前提にしてXジェンダーを無視しているほか、トランスジェンダー当事者の全てが「身体の性別を無視してほしい」と願っている訳ではない、ということも軽視している。

さらに、LGBT法連合会は「性的指向」について「人の恋愛感情や性的な関心がいずれの性別に向かうかの指向」としており、恋愛感情と性的な関心の違いを無視した上に、性別に関係なく恋愛感情を抱かないアロマンティック(Aromantic)や同じく性的魅力を感じないアセクシャル(Asexual)を無視している。

LGBT法連合会はSRGMのための団体というよりも、トランスジェンダリズムを弘めるTRA団体という方が適切であろう。そのような団体に共産党や社民党、公明党が同調しているのである。

また、共産党系の新日本出版社は遠藤まめた氏の著書を出版しているが、彼は「自認する性別でトイレや更衣室を使うべき」という持論を持ち、過激派TRAから誹謗中傷にさらされているハリーポッター原作者のJ.K.ローリング女史に対して「批判されても仕方がない」と述べている、立派なTRA活動家である。

共産党や社民党の党員や機関がTRAを積極的に擁護している例は他にも多数存在し、公明党も含めこの三党は「トランスジェンダリズムを身体女性の権利よりも優先している」又は「身体性別による区別をこの国から無くそうとしている」政党であると見なして構わないのではないか。

左翼・リベラル政党が「身体女性を犠牲にしてでも実現したい」イデオロギーを持っていることは、漠然と「フェミニズム=女性の味方」と思っている人間にとっては違和感を抱くであろう。しかし、これは今に始まったことでは無い。

全会一致で制定された『優生保護法』と医療利権複合体

近年、『優生保護法』に基づく強制不妊手術が話題になっているが、堕胎(中絶)を推奨して障碍者への差別を正当化する、この法律はそもそも共産党や社民党を含む全政党の「全会一致」で制定された法律である。

『優生保護法』においては、保健所の命令による強制堕胎や強制断種が正当化されていた。ハンセン病患者への強制収容政策や精神障碍者への隔離政策と並ぶ、我が国の優生思想立法の一つである。

優生思想は一言でいうと「いのちに線引きを行う思想」である。優生な遺伝子を持った人間と劣生な遺伝子を持った人間とがこの世には存在しており、後者が減って前者が増えるのが社会全体の利益である、という思想だ。

優生思想の源流は進化論で有名なチャールズ・ダーウィンであり、それを理論化したのは彼の従弟であるフランシス・ゴルトンである。

ゴルトンは優生思想が「新しい宗教のように、国家次元の意識へと導入」される必要があると説き、チャールズ・ダーウィンの息子らとともに優生思想を弘めた(米本昌平他『優生学と人間社会』講談社文庫、参照)。この優生思想がまさに「新しい宗教のように」採用されたのが、医療業界である。

日本に限らず、どこの世界にも「産学官」の利権複合体が存在する。だが、その産学官が特定のイデオロギーで自らの利権を正当化しようとした時、「産学官民政」の強力なペンタゴンが完成し、国家の方針をも揺るがすこととなる。

日本の場合、『優生保護法』が制定されたのは制定当時の占領軍の圧力もあったが、戦前からの「産(製薬会社)・学(医者)・官(官僚)・民(市民運動家)・政(政治屋)」が強固に結びついた医療利権複合体の影響力も大きかった。

『優生保護法』廃止運動を潰してきた医療利権複合体

『優生保護法』制定の際、戦後の貧困等の混乱から乳幼児への育児放棄や虐待が相次いでいた。当時の『週刊朝日』(1948年2月8日号)で林髞(はやし・たかし)という医者は「この問題を解決する方法はただ一つ堕胎を公認する意外にない」「生んだだけでロクに育てもせず、まして教育も與えない場合、それは堕胎以上の罪悪ではあるまいか」と述べて『優生保護法』における「経済的理由による堕胎」を積極的に肯定した。

一方、「赤ちゃんの命を守る」という観点からの主張は殆どなかった。というよりも政治の場においては皆無であったからこそ、全会一致で『優生保護法』が制定されたのである。

当時の日本政府は「貧乏人は子供を産むな。障碍者への福祉にも予算を割きたくないから、障碍者も子供を産むな。」という、驚くべき生命軽視のスタンスであり、それを正当化したのが優生思想であったのである。

その思想は現代も生きており、平成27年(西暦2015年)11月18日にも、茨城県の長谷川智恵子教育委員(当時)が特別支援学校を視察した感想として、「障碍児が生まれると本当に大変。妊娠初期で障碍があることがわかったら、堕胎できるように意識改革しなくちゃ。」と放言した。

生命尊重、或いは、障碍者差別反対の運動が皆無であったわけでは、無い。だが、それらの運動は概ね宗教界とその周辺に限られ、政治には影響力を持たなかった。

保守派の生長の家とリベラル派のカトリック教会とは、思想や宗派を超えて「大同団結」し「優生保護法改廃期成同盟」を結成したが、逆に『優生保護法』を擁護する勢力が保守とリベラルを超えて「大同団結」して潰されている。具体的には、社会党の猛反発と中絶を利権にしていた医師会系議員による自民党内での抵抗である。

社会党や共産党と言ったリベラル・左翼勢力は表向き「中絶は女性の権利」をスローガンとし、多くのフェミニズム団体を動員して『優生保護法』反対派に「女性の敵」のレッテルを貼るようにした。

しかし、それがただの名目に過ぎなかったことが露呈する事件が起きた。

菊田昇医師事件とフェミニストの『実子特例法』反対運動

多くのフェミニストは当時も今も「望まない妊娠があるから、中絶を自由化するべき」という主張を繰り返している。

不思議なことに「望まない妊娠があるから」を理由にするならば「望まない妊娠に限って、中絶を認めるべき」とするべきであるし、そもそも一般論として「望まない妊娠」をする時点で女性の権利は侵害されているのであるから、「望まない妊娠」自体をなくす運動に中絶自由化運動の何倍も労力をかけておかないとおかしいのだが、彼らは何故かそういう方向に進まず「胎児に生命は無い」と言った、科学的にも無理筋な議論を展開するようになった。

だが、いくら無理筋であったとしても、彼らが掲げている「女性の権利」自体は本物であろう、と多くの人は考えていた。良くも悪くも「女性の権利」を守るために彼らは必死なのである、と。

そうであるならば、それは「プロ・ライフ(pro-life:生命尊重派)」と「プロ・チョイス(pro-choice:中絶権利擁護派)」の思想の違いからくる議論である、と言える。しかし、少なくとも一部のフェミニストを名乗る勢力についてはそうではない、ということが露呈する事件が起きた。それが菊田昇医師事件である。

菊田昇はクリスチャンの医師であり、生命尊重の観点から中絶、特に赤ちゃんがある程度成長した中期中絶を求める妊婦さんに対して、子供が欲しい夫婦の実子として出産することを持ちかけていた。今でいう「内密出産」である。

無論、現行法でそれを行うには出生届の偽造が不可欠である。中絶は当事者が表に出したがらないケースも多いため、産婦人科医からすると比較的脱税もしやすい「ドル箱」の行為であるが、内密出産とそれに伴う出生届の偽造を行うことは一円の利益にもならない。

だが、生命尊重の意思の強い菊田昇医師は十年以上もその「違法行為」を行い続け、そして、より多くの人に関心を持ってもらいたいと、そのことをマスコミに公表して『実子特例法』の制定を訴えた。

菊田昇医師の主張した内容は、内密出産の法制化とその際に養子の「実子」として育てることを可能にすること、出生した親は親権を完全に放棄する一方、戸籍に生んだ事実を記さないことも可能にする、中期中絶については規制を強化する、といったものであった。

一般論として、我が子を殺したい女性など殆ど存在しない。そう言う場合に「育てられないならば、産むな」というのは中絶推奨の、生命軽視の立場であり、一見女性の「選択の自由」を尊重しているように見えて、立場の弱い女性にとってはむしろ「半強制的に中絶の選択をさせられる」状態を生むものである。

プロ・ライフ(生命尊重派)を始め、保守・リベラルを超えて多くの政治家がこの『実子特例法』に賛成の意向を示したが、これに反対したのが医師会と一部のフェミニズム団体であった。

医師会を始めとする医療利権複合体には、優生思想のイデオロギーが否定されるのを怖れるだけでなく、中絶の方が出産よりも稼げるという露骨な生命軽視の発想があった。

今年に入ってからも日産婦(日本産婦人科医会)の幹部が緊急避妊に否定的なことを言って問題になったが、彼らにとっては女性が望まない妊娠を「した上で」中絶手術を受けてもらう方が好都合なのである。

一方、プロ・チョイスを掲げるフェミニストたちは田中美津のような一部の例外を除くと、むしろ『実子特例法』に反対していた。本当に「選択重視」であるならば、女性側の選択が増えることは大歓迎のはずなのに、だ。

一部のフェミニストは菊田昇医師を擁護する『実子特例法』推進派について「まことにアヤシゲな、十年に及ぶ法律違反を免罪にし、かつ新たな法改正を約している」と非難した(東アジア婦人会議「「実子特例法」立法化の動きに反対する!!」『侵略=差別と斗うアジア婦人会議会報 24号』1973年)

『実子特例法』は赤ちゃんのいのちを守るだけではなく、子供を育てられないが殺したくもないという女性を助け、子供が欲しくてもできない家庭にも福音を与えるものであり、誰も損しない、というよりもこの法律が無ければ困る女性がいるという性格のものであるにもかかわらず、一部のフェミニストは菊田昇医師の行為を「まことにアヤシゲな」違法行為だと断罪し、『実子特例法』に反対したのである。

ここで彼らの本音が「女性の権利」でも「プロ・チョイス」でもない、ということがハッキリした。彼らは医療利権複合体と同様の、単なる「アンチ・ライフ」(生命軽視派)であったのである。

「内密出産法制化」に取り組まない左翼勢力の偽善

これは過去の話ではなく、現在進行形の話でもある。

『実子特例法』は結局制定されず、言い訳のように「特別養子縁組法」が制定された。もっとも、『実子特例法』ほどではないがこの法律によって救われた命は多い。菊田昇はすでに他界しているが、その活動を継承した運動は現在も続いている。

菊田昇医師に影響を与えた辻岡健象牧師が設立した「小さないのちを守る会」や日本最大の救命団体である「いのちを守る親の会」、こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)で知られる「慈恵病院」と言った諸団体は相互に交流もしつつ、それぞれいのちを守る運動を展開している。

だが、こうした活動に対して左翼・リベラル界隈は冷たい。

今年8月24日、慈恵病院が実施している「内密出産」に対して熊本市が市長名で「法律に違反する恐れがある」という内容の通知文書を出していることが発覚した。

赤ちゃんのいのちを守ることが「法律違反」になるならばオカシイのは、法律の方である。政治家が本当に「生命尊重」であるならば、内密出産法制化に向けた法改正運動が必須である。

しかしながら、医療利権複合体の支援を受けている自民党は消極的だ。公明党や共産党、社民党もLGBT法連合会の提言には賛同するにもかかわらず、こちらには全く取り組まない。

共産党の公式サイトの検索窓に「内密出産」と入力して検索すると、見事に「0件」のヒットであった。ここまで「無関心」を貫かれると清々しいほどである。

野党は自民党や公明党を激しく批判する割には、その「生命軽視」という最大の問題には批判しない。自分たちも生命軽視の思想に染まっているのか、医療利権複合体の毒饅頭でも食らっているのかは判らないが、同じ穴の狢ということであろう。

また、アメリカでは「プロライフ・フェミニズム」を掲げる団体が存在するが、日本にはそのような団体が存在しないことも一因であると言える。骨の髄まで生命軽視が根付いてしまっているのである。

繰り返される「女性を犠牲にする」フェミニズム運動

「アンチ・ライフ」勢力がフェミニストを名乗って、結果的に女性を犠牲にする運動を展開するのは、『実子特例法』だけではない。

子宮頸がん予防接種を定期接種にしたのは第二次安倍政権であるが、これは生活の党(当時)の議員が一人棄権したのを除くと、全会一致で可決された。当時、既に複数の保守系団体から副反応の可能性を危惧されていたが、フェミニズム団体は共産党系の新日本婦人の会を始め、むしろこのワクチンの定期接種化を推進した。

一般論として副反応の無いワクチンは、無い。ワクチンはそもそも身体の中に敢えて異物を入れて抗体を作ることが目的である。

子宮頸がんワクチンの場合は、単にウイルスの蛋白質を入れるだけだと効率よく抗体が形成されないため、敢えて身体が「異物」と認識しやすい水酸化アルミニウム等のアジュバンド(免疫強化剤)を混ぜている。身体が「異物」と認識するように作っているのであるから、副反応の起きる可能性は当然にあるのである。

だが、今でも「子宮頸がん予防接種の副反応が問題になっているのは日本だけ」等ということを平然と述べているフェミニストが存在する。

子宮頸がん予防接種の副反応は、海外でも事例は存在する。というよりも、多かれ少なかれ全てのワクチンでは副反応が存在する。少しでも生物学の知識があれば誰でも判ることを無視して、副反応被害者の女性の声を軽視する人間が「フェミニスト」を名乗っているのであるから、彼らが本当に守りたいのが「女性の権利」等で無いことは明白だ。

しかも、子宮頸がん予防接種推奨派とアンチ・ライフには見事に共通点がある。

子宮頸がん予防接種を定期接種化したのは自民党であり、これで利益を得るのは医療利権複合体だ。医者は仮に副反応が起きても責任は問われない。仮に責任を問われるとすれば製薬会社だが、それとて裁判で因果関係を認めるのは困難だ。

子宮頸がん予防接種についてはネトウヨも「自民党がしたことだから」という理由で擁護している。保守派とリベラル派が悪い意味で連携するというのは『優生保護法』の時と全く同じ構図である。

そして今、過激派TRAの登場だ。我々は彼らの「正体」や「本音」を見極めないといけない。

「分極化」の背景で求められる“生命尊重勢力”

掲げているものが何であれ、多くのフェミニストが実際に守ってきたのは、女性の権利ではなく医療利権複合体の利益だ。

過激派TRAとして表面化しているのは、これまでのフェミニズム主流派のやり口の一つが、偶々表に出ただけに過ぎない。

ネット上では度々「どうして、フェミニズムの学者がトランスジェンダリズムに同調するの?」とか「共産党が女性の権利を考えないのは何故?」みたいなコメントをする人がいる。

謎でも何でもない。彼らは最初から、女性の権利を守る気など、一ミリも無かったのだ。

嘘だと思うのであれば、共産党に過激派TRAへの非難声明を出すことと、『実子特例法』制定に賛成すること、そして、これまでトランスジェンダリズムに好意的な態度を取ってきたことや内密出産法制化に否定的であったことの謝罪を求めればよい。その要求を共産党が呑むのであれば、彼らの主張は「嘘では無かった」ということになろう。

無論、それは自民党も同じだ。生命尊重に右も左もない。だが、今の日本では自民党から共産党まで「生命軽視に右も左もない」という状況である。

自民党でも共産党でもない、非自民非共産の「第三の道」が模索されて久しいが、本当の「第三の道」はまず「生命尊重」の原点に返ることが大切なのではないか。SRGMの権利や予防接種問題もその原点に立ち返ってこそ、正解が導かれるはずである。

日野智貴(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。日本SRGM連盟代表、日本アニマルライツ連盟理事。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。

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