これから必要になる被災地復興支援ボランティアとは?

本山貴春
陸上自衛隊第10師団Xより
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元日に能登半島地震が発災して10日が経ちました。まだ多くの方が行方不明であり、自衛隊・警察・消防などが懸命に救命活動を行っています。道路が寸断した地域からは自衛官が被災者を背負って救出している場面もありました。本当に頭が下がります。

現在、津波被害が大きかった能登半島では一般ボランティアを受け入れていません。これは通行可能な道路が限られており、救命やインフラ復旧を優先する必要があるためです。この問題が解決すれば、一般ボランティアのマンパワーが必要になる時期が来ると思われます。

そこで、東日本大震災の経験をもとに、今後必要になるであろう民間支援について書いておきたいと思います。

被災地ボランティアは命懸け

ボランティアの内容について書く前に、重要な大前提をお伝えします。大震災の現地ボランティアは命懸けになります。何度も大きな余震がありますし、確率的に、本災と同規模かそれ以上の地震と津波が起こる可能性があります。

私が東日本大震災の年に宮城県に入ったのは5月中旬から約半年間でしたが、たびたび余震がありました。南三陸町の海岸近くで作業していた時は、立っていられない程の揺れを経験し、その直後に自衛隊のヘリが大きな音を出して飛んでいた(たぶん被害状況を確認していた)のを鮮明に覚えています。

現地の被災者は慣れきっていましたが、九州から行っていた私たちには恐怖でした。ちなみに、その頃には被災者の多くが余震の前兆を感じ取っていて、「もうすぐ揺れるよ」と予告したものでした。

最初期の一般ボランティアに求められるのは土木作業です。津波によって倒壊された家屋等から土砂を人力で取り除く作業で、余震によってさらに倒壊する可能性があります。一定の基準で、そのような場所で怪我をしてもボランティア保険が認められないケースもあります。

何より、かなりの重労働ですので、体力に自信のない人は足手まといになります。また、釘やガラスの破片が散乱していますので、厚手の手袋や安全靴などの装備が必要です。粉塵も多いので、防塵マスクとゴーグルも準備したほうが良いでしょう。熱中症になりやすいので、水分補給もマメにしましょう。

土木作業の次は支援物資の仕分けや運搬、分配などが必要になります。これもモノによっては重労働です。宮城県ではペットボトル入りのミネラルウォータを延々と運ぶことがありましたが、かなり疲れた記憶があります。

被災者の孤立を防ぐ

被災者の多くが仮設住宅に移る段階になると、被災者の心のケアを行うようなボランティアが求められるようになります。避難所にいる時は共同生活なのでまだ良いのですが、仮設住宅に移ると孤立する被災者が増えます。

特に過疎地の高齢者は、それまでの共同体から切り離されたり、家族を震災で失っていたりして、孤立しやすいです。一次産業従事者は仕事も失っている場合があり、やることがなくなるのです。

そこで、東日本大震災の時は民間ボランティアだけでなく、自治体職員も含めて仮設住宅を戸別訪問していました。南三陸町では四国の某県から派遣された自治体職員さんが戸別訪問をしているのを見ました。関西弁と東北弁で、あまり言葉が通じていない様子だったのはご愛嬌です。僕ら九州人も高齢者の東北弁は全然わかりませんでした。

この段階では、被災者の話を聞くだけでも支援になります。発災からすぐはショックで話せなくても、数ヶ月経てば話せる人が出てきます。話すことで、心を整理できるという傾向はあると思います。

あとは、自立支援が重要になります。南三陸町の場合は漁師さんが多かったので、水揚げされた魚介類を福岡で販売したりもしました。少しずつでも、被災者が仕事を取り戻すことが何よりの復興です。仕事ができれば、孤立も防ぐことになります。

被災者は必ずしも感謝しない

良いことをすれば、「感謝されるのが当然」と思われる方は多いでしょう。私たちも宮城県では被災者の皆さんからたくさん感謝の言葉をいただきました。「せめてものお礼に」とご馳走になったこともあります。

その一方で、被災者から罵られたり、抗議されることがあります。

これは失敗談ですが、支援物資を避難所へトラックで運ぶ際、道に迷って約束した時間を大幅に遅れたことがありました。避難所では体力のある男性被災者が何名か待ち構えており、結果的に待ちぼうけをさせてしまったのです。

その際、男性たちからは何も言われなかったのですが、連絡役になっていた一人の女性被災者(避難所のリーダーでした)が泣き出して、避難所からいなくなってしまったのです。私たちは避難所を去った後にその連絡を受け、引き返して周辺を捜索しました。

結局、女性はすぐに見つかり、事情を聞くと女性が男性たちから(私たちが遅れたことについて)散々罵られていて、耐えきれずに避難所を飛び出したということでした。私たちは土下座して謝り、なんとか許してもらいました。

私たちはボランティアですし、土地勘は無いですし、道路が寸断されてカーナビも無意味なので、多少遅れても感謝されこそすれ、非難される謂れはありません。しかし数ヶ月も避難所(小学校の体育館)で集団生活を強いられている被災者は、余裕がなくなっていたのです。

その後、別の男性被災者からさらに怒鳴られました。「なんであの女だけ依怙贔屓するのか!」という内容でした。私たちがその女性に会ったのはその時は初めてだったのですが…。

報道では美談ばかりが流れますが、被災地の実態は決して綺麗なものではないです。人間の不満と怨念が渦巻いています。現地ボランティアに行かれる方は、そのことを覚悟して、被災者の心のケアもするつもりで行くべきです。

それでも行ける人は行くべき

東日本大震災の時、たまたま私はサラリーマンを辞めた後だったので、半年間も復興支援に関わることができました。(危うく婚約者から捨てられるところでしたが、そのあと再就職して結婚しました)

特に遠隔地の場合は日帰りというわけにもいかず、被災地にボランティアに入るのは難しくなります。いきなり一人で行っても役に立ちませんから、現地の自治体(社会福祉協議会)やNPOに指示を仰ぐ必要もあります。

さまざまなハードルを乗り越えて、現地へ行けるという方は、絶対に行った方が良いです。報道で見るのと、自分の目で見るのとでは全く違います。良くも悪くも、人生観が変わる経験になると思います。

被災地を見るだけではなく、そこから得られた教訓を地元に持ち帰り、防災に活かしてください。それが何より大切だと思うのです。

参考までに、当時の記録映像を下記に貼り付けておきます。良かったら参考にしてください。(私も若かった…)

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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