「穏健な多党制」とは何か? 国民民主・玉木代表の政権交代論

政治
9月2日 記者会見に臨む玉木雄一郎代表
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令和5年9月2日、国民民主党は党大会を開き、玉木雄一郎衆院議員を代表として再任した。同党の代表選挙は国会議員・国政選挙公認候補予定者・地方議員・党員及びサポーターの投票をドント式で集計し、最終的に80対31ポイントで玉木氏が圧勝した。

代表選挙は玉木雄一郎氏と前原誠司氏で争い、主な争点は政権交代への路線の違いだった。前原氏が「非自民非共産の大きな塊」による政権交代を掲げたことに対し、玉木氏は「穏健な多党制」による政権交代を訴えた。このことで、俄かに政局への影響を予測したマスメディアが小党の代表選に注目することになった。

選挙後、読売新聞は「自民、国民民主党に連立協議の打診検討…『与党と協調路線』玉木代表の再選で」という見出しの記事を配信。「与党と協調する玉木氏の路線が信任されたとみて、国民に自公連立政権入りへの協議を打診する方向で検討に入った」と報じている。岸田政権は9月中に内閣改造を行うと見られており、自民が国民民主へ秋波を送った形だ。

一方、玉木氏は代表選を通じて自公政権での与党入りを一貫して否定している。あくまで現段階では独力での党勢拡大を目指し、「与野党問わず是々非々で政策実現のために連携する」と主張してきた。政策重視という点では一致していたが、前原氏は「あくまで現在の野党で協力して一日も早く自公を下野させるべき」と訴えた。

「二大政党制」は現制度下では実現困難

玉木氏は自身も認める通り、かつて「二大政党制」論者だった。戦後日本は長期間にわたって自民党が政権を担い、対する野党はリベラル色が強いため政権担当能力が弱いとみなされてきた。この野党を変革し、政権担当能力を持たせることで英米型の「保守二大政党制」に移行させるべき、という考え方だ。

そのため平成6年に導入されたのが現在の衆院「小選挙区比例代表並立制」という選挙制度だと考えられてきた。しかし実際には民主党政権(平成21-24年)の瓦解と、その後の分裂劇によって政権交代が困難な「55年体制」(野党第一党が政権奪取を狙わない状態)に逆戻りしている。

「小選挙区比例代表並立制」導入時の首相だった細川護熙氏は近年、そもそも同制度が二大政党制を狙ったものではないと発言している。

与野党6による衆院選挙制度協議会は26日、細川護熙元首相から意見を聴取した。細川氏は現行の小選挙区比例代表並立制の導入を決定した当時の首相。「政権交代可能な二大政党制を必ずしも求めたわけではない。穏健な多党制が日本の国民性に沿った政治体制だ」と述べ、現行制度の維持を主張した。(中略)細川氏は30年近くが経過した現在の政治情勢を「おおむね想定通りの状況だ」と指摘した。 

2023-06-26 時事通信

玉木氏はこの発言を「椅子から転げ落ちるような話」と評し、少なくとも現制度下では二大政党制の実現が困難との認識を示すようになった。

「穏健な多党制」とは何か?

細川元首相や玉木氏が発言したことで注目を集めている「穏健な多党制(moderate pluralism)」とは、翻訳された政治用語だ。イタリアの政治学者であるジョヴァンニ・サルトーリ(Giovanni Sartori 1924〜2017年)が定義した政党システムの一つで、ここでいう「穏健な」は中道という意味もあるが、「緩やかな」「限定的な」という意味も含む。

以下の通り、サルトーリは政党システムを7つに類型化している。

  1. 一党制(北朝鮮やキューバのような一党独裁。他の政党は違法となる)
  2. ヘゲモニー政党制(中国のような事実上の一党独裁。他の政党は絶対に与党になれない)
  3. 一党優位政党制(日本やスウェーデンのように与党が長期間変わらない体制)
  4. 二党制(英米のような、政権交代可能な二大政党制)
  5. 穏健な多党制/限定的多党制(ドイツ・ベルギー・オランダ・スウェーデン・ノルウエー・デンマークのような、理念や政策に極端な乖離のない3つ以上の政党による連立が可能な体制)
  6. 極端な多党制/分極的多党制(第二次対戦前のドイツや1993年までのイタリアのような、政党間の理念や政策に極端な乖離があり、まとまりを欠く不安定な体制)
  7. 原子化政党制(小党乱立するも、有力な政党が存在せず、離合集散を繰り返す状態)

衆院選挙が「小選挙区(1選挙区内で当選者は1名)」だけなら、日本も二大政党制に向かった可能性がある。しかし実際には「比例代表制(比例区ごとに政党が獲得した票に基づき議席を分配する)」と並立させることで、日本は事実上多党化した。

現状わが国は「一党優位政党制」の状態に近いが、玉木氏は「民主党政権も社民・国民新党との連立政権だった。自民党もずっと公明党と連立を組んでいる」と指摘。つまり多党制に移行しているとの認識を示している。

中でも「穏健な多党制」と「極端な多党制」の違いは重要だ。この「穏健」と「極端」は、志向する国家像を含む。要するに、多党連立政権にナチスや共産党のような全体主義政党が含まれていると、それは「極端な多党制」となり、政権がまとまらず、不安定化するのである。

「極端な多党制」からナチス独裁に至ったドイツではこれを警戒し、比例代表制を適度に厳しくして、極小政党が議席を得られないように調整している。

玉木雄一郎氏の政権構想

玉木氏は代表選期間中に自身のSNSへ以下のように投稿している。

他党におもねるのではなく、改革中道を掲げる私たちが中核となった連立政権を樹立するイメージです。小選挙区と比例を組み合わせた制度の下では、英米型のニ大政党制による政権交代は現実的ではないからです。

現在の国民民主党は令和2年9月11日に衆参13名の国会議員で結党した。それ以前に同じ党名、同じ党首の国民民主党が存在しているためわかりにくいが、この令和2年9月の前後で全く違う政党になったと考えた方が良い。

というのも、それまでの旧・国民民主党は民主党→民進党→希望の党の流れを汲み、その多数派は同じタイミングで立憲民主党に合流したからだ。令和2年9月11日に新・国民民主党に生まれ変わった。その後三年間、新・国民民主党は玉木代表のもと独自路線を突き進み、国会議員は21名に増加し、地方議員数も堅実に伸ばしている。

この間、同党はガソリン代値下げなどの政策実現と引き換えに政府予算案に賛成するなどの「奇策」を演じ、他の野党から「自民党の補完勢力」などと激しく批判された。代表選で対抗馬に立った前原氏も予算案賛成に至った党機関決定を尊重しつつ、「野党としてはあり得ない」と評している。

国民民主党は実際のところ、令和4年度予算案には賛成したが、令和5年度は予算案の内容が「不充分」などとして反対に回っている。

このような「是々非々路線」は、(予算案の賛否はともかくとして)日本維新の会とも共通している。国民民主と維新は、憲法改正の条文案づくりや、LGBT理解促進法案修正などに際しても協力関係を構築した。

玉木氏は令和2年の結党以来、ほとんど政権交代に言及してこなかった。それは自党の規模感に添ったもので、むしろ党の存在感を示すことに苦心してきたのである(それが予算案賛成という「奇策」にも現れた)。

しかし今回の代表選を通じて、「穏健な多党制」による政権交代を目指すことを明らかにした。具体的には先に引用した通り「改革中道を掲げる私たちが中核となった連立政権を樹立する」という政権奪取戦略だ。その上で、代表選後には初めて自ら首相を目指す意向を示したようだ。

(自分が首相に)なるしかない。やるべきことが見えているのに(岸田政権では)やれていないのが、もどかしい。

9月3日 朝日新聞「「岸田首相はしたいことがない。我々がやる」 国民民主・玉木代表」

上記の発言は有料イベント内のものを朝日新聞が切り抜き、記事化したもので前後の文脈は不明だが、SNS上で反響を広げている。特に代表選で玉木氏を支持した党員・サポーターらには玉木首相待望論が根強い。

憲政史家の倉山満氏は自身のブログで、自民党が国民民主党へ政権入り打診を検討しているという報道について「一個だけ大臣をくれるなら『総理大臣』を要求すべき」「財務大臣とか、ましてや外務大臣なら党が消滅させられかねない」とコメントしている。

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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