なぜ日本人は「Z」が好きなのか? 日本海海戦から受け継がれる魂とは(前編)

教育
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皆さんにお尋ねしたいことがあります。どうして日本人はこれほど「Z」というアルファベットが好きなのでしょうか。

フェアレディZという車があることを、ご存じかとも思います。あるいはアニメであれば『マジンガーZ』『ドラゴンボールZ』、あるいは通信添削指導の「Z会」、アイドルグループの「ももいろクローバーZ」など、日本には枚挙に暇がないほどのZと付く言葉がありますが、このようにZを多用する国民は、私の知る限り日本だけです。

私は、その源流を日本海海戦で日本海軍が掲げた「Z旗」にあると考えています。

明治38(西暦1905)年5月27日、日本海海戦日。この日こそは、世界が日本に驚愕した日であり、それまでの世界の意識潮流(白人のみが人間であり、有色人種は人間の形をした動物だから奴隷扱いは当然のこととする前提)に大きな転換をもたらした記念の日なのです。

(図)戦艦三笠の東郷平八郎大将/左上の旗が「Z旗」

大げさではなく、その後の日本、ひいてはアジアの命運を決したこの戦いにおいて、日本海軍はZ旗と呼ばれる旗を掲げ、戦いに臨みました。

本来Z旗は船同士の意思疎通のために用いる国際信号旗の一つであり、元々の意味は「曳航を頼む」といったものですが、日本海軍は、アルファベットの最終文字Zにちなみ、最終決戦に臨む兵士を鼓舞する旗としてZ旗を位置づけました。

「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」

という余りにも有名な言葉と共に、です。

この戦いが、日本の完勝に終わり、トラファルガー海戦と並ぶ人類史上の二大海戦と世界が認めて以来、日本人にとってZという文字は、最終決戦あるいは全霊をかけての闘いといった意味を持つようになったと私は思っています。

フェアレディZの開発においては、社の命運を賭けて勝負する車とはっきりそのことが意識されていたそうです。

ただ、そのようなことを知らずとも、なんとなく無意識的に私たちはZという文字に何かを感じてしまうのです。

皆さんの中で、「なぜファレディAじゃないんだ」とか、「マジンガーXでは不都合でもあるのか」とか、「ビリの文字Zを大学受験に使うなんて縁起でもない」などと思った方はいらっしゃるでしょうか? たぶんいないと思います。

私たちは間違いなく、この国の文化を、意識しない形で受け継いでいるのです。

この無意識的に受け継がれている文化、そのまとまりの単位を生物学者のリチャード・ドゥーキンスはミーム(文化遺伝子)と呼びました。私達人間は他の動物と違い、生命遺伝子gene(ジーン)を伝えるだけでなく、文化遺伝子meme(ミーム)を子孫に伝えているのです。

自分の経験に即して考えても、いつの間にか自分の中に、無意識的にある固有の文化が形作られていることは否定しがたい事実だと思いますし、学校というこれもまた人間にしかない組織が存在する理由でもあると思います。

しかしながら、今の日本で、その文化の継承と伸展の重要性がどれほど重く受け止められているかについて、私は心許ないものを感じています。

それが、私が「心育」という言葉を使う理由の一つです。なぜならば、意味ある知識のまとまりである文化を受け継ぐためには心で感じていくことが不可欠だからです。今の日本は、心を育てていくことについて意識が脆弱なのです。

(続く)

石原志乃武(いしはら・しのぶ)昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

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石原志乃武

(いしはら・しのぶ)昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

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