日本語は世界共通語になれるか?五輪を見据え見直すべき言語政策とは

国際
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わが国は日本語も含めた自らの言語政策を、世界に対して明確にすべきだ。なぜなら言語こそ、一国のアイデンティティーを特徴づける最たるものと言っても過言ではないからだ。

世界に目を向けると、ヨーロッパではCE(欧州評議会)が中心となり、明確に「文化交流」「相互理解」に立脚した言語政策が打ち立てられている。「1+2言語」(母語に加え二つの外国語)の習得も奨励されており、EUという共同体における「相互理解」を促す契機となっている。

近年日本でも「英語」運用力の統一基準として採用されるようになったCEFR(ヨーロッパ言語統一基準)。EU国家にとっては、あくまで「外国語」運用能力の統一基準であり、日本のように、ほぼ一つの言語(英語)に限定されたものではない。

フィンランドの教育機関で言語研究に従事したことのある知人によると、CEFRがEU諸国で機能している理由として、教育現場の学生、教師にとっての必要性が挙げられるという。

ヨーロッパでは隣国同士を頻繁に行き来して仕事をするため、即座に言語能力を示すことができるCEFRの必要性が高かったということだ。

このことは、日本にとってアジア、特に中国、韓国との付き合い方を考える上で、示唆的である。3国関係の絶対的安定が東アジア、ひいては世界の安定に寄与することは論を待たない。

では、わが国は具体的にどのような言語政策を取るべきであろうか。私はやはり他国と協調しつつも、当然であるが自国の国益を考慮した政策を実施するべきであると考える。 

この点、先ずアメリカの言語政策に触れておきたい。アメリカの言語政策の柱は、一言で言うと「国防」と言えるであろう。9.11同時多発テロ事件を受け、当時のブッシュ政権下の2006年、「国家安全保障言語構想(NSLI)」が策定された。

アメリカの学生の外国語スキル向上とともに、イスラム圏、東アジア地域への関心を高めることを目的とした同構想で、「“critical need” foreign language(安全保障上、重要な外国語)」として、日本語も含めて、アラビア語、インド諸語など14の言語が選定された。

ちなみに、アメリカの高等教育機関における日本語学習者はスペイン語、フランス語には遠く及ばないものの、中国語、韓国語など他のアジア言語の中では、高い数字である。

日本では外国語(英語)に関する方針は実質的に、教育(大学)改革に付随して、しかも受験という非常に限られた範囲内で議論されている。ヨーロッパが、言語を「一つの文化」として、アメリカが「国の存亡に関わるもの」として、戦略的に捉えているのとは対照的ではないだろうか。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、学校現場や企業を中心に、日本人が英語を身に付けておくことの必要性が異口同音に言われている。では一方で、それぞれの国や地域の日本語学習者にとって、日本語の評価基準はどのようになっているのであろうか。

先ず「日本語能力試験」が挙げられる。原則、日本語を母語としない人を対象に日本語能力を測定し、認定することを目的としている同試験は、国際交流基金(ジャパンファウンデーション、JF)と日本国際教育支援協会の共催により、全世界約60万人が受験する世界最大規模の日本語の試験である。

また国際交流基金が策定した「JFスタンダード」という基準もある。これはCEFRの規準に沿って作成されており、海外の日本語学習者にとって、自身が現在どの学習段階にあるかをより明確に捉えることができる仕組みになっている。

EUにとってのCEFR同様、アジア地域においても、特に企業にとってはJFスタンダードのような基準が、高い日本語能力を持った有能な人材を確保する際の有用な判断材料となるはずである。

私は日本が、2020年を境として、上記EU及びアメリカの言語政策を踏まえ、日本語を含めた言語政策を抜本的に見直すべきではないかと考える。

確かにギリシャ、スペインのように、五輪が開催された後であっても、ギリシャ語、スペイン語話者が目立って増えたというデータはないようだ。

であるからこそ、日本はギリシャ、スペインと同じ轍を踏むことがないよう、両国が自国の言語を世界に発信する好機を逸した原因を分析することから始め、日本語の世界展開を再検討する機会とすべきではないかと考える。

なぜなら、そうすることで言語を、ただ言語の領域のみにとどめるのではなく、長期的視野で見た際「安全保障」の一つの形として捉えるべきであると考えるからである。各国で「知日」人材を育てるため、今のうちから将来に向けて種蒔きを始めておくことが重要だ。

2020年を3年後に控えた今、アジア地域における日本語の共通基準を再構築する「機は熟した」と言えるのではないだろうか。

日本語は使用地域がほぼ日本に限定されているとはいえ、話者数はドイツ語に次ぎ世界第9位である。また2015年度の国際交流基金の統計によると、全世界で137の国と地域に日本語の学習者がおり、学習者数の上位には中国、インドネシア、韓国、オーストラリアが並ぶ。他の国、地域の話者を加えると学習者数は約365万人という状況だ。

英語の話者数、各分野における影響力に比すと、「巨像を前にした蟻」のような存在かもしれない。しかし、日本の国際貢献度や経済力を含め、国際社会における日本の存在感を考慮した際、私は日本語という言語の影響力は、国内外双方で過小評価されているように思うのである。

また確かに日本だけでなく、中国、韓国の教育現場における外国語の状況や両国の言語政策を概観すると、共通語としての英語は必要である。

しかし、上記のような数字上の具体的なデータ、またEUがそうであるように地理的、地政学的状況を考慮した際、やはり日本は内外ともに、もう少しアジアに軸足を置いた言語政策を取るべきではないだろうか。

その手段として、来るオリンピック・パラリンピックに照準を合わせ、戦略的に日本語の国際基準を整備することが望ましい。

「外国語を話すことは一つの文化を生きることである」

『ロボット』の作者、チェコの作家・チャペックの言葉である。自国の言語を一つの「文化」として捉えたうえで、他の言語をしっかりと尊重していくことが重要ではないだろうか。

安部有樹(あべ・ゆうき)昭和53年生まれ。福岡県宗像市出身。学習塾、技能実習生受入団体を経て、現在は民間の人材育成会社に勤務。これまでの経験を活かし、「在日外国人との共生」や「若い世代の教育」について提言を続けている。

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