【名言解説】多くの人は見たい現実しか見ない

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本稿はフリーランス団体「サムライ☆ユニオン」が公開したYoutube動画の文字起こしです。動画はこちら

カエサルの言葉

過去の「偉人の名言」って色々ありますが、その中で今回ご紹介したいのが、カエサルの言葉です。

人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。

Julius Caesar ユリウス・カエサル(塩野七生著『ローマ人の物語』より)

似たようなことを言っている人は結構います。ゲーテも「人間は聞きたいことしか聞かない」と言ったそうです。

これらの言葉から導き出されるものは、以下の通りです。

    • 人間は、自分の見たいものしか見ない
    • 人間は、自分の聞きたいことしか聞かない
    • 人間は、自分の記憶したいことしか記憶しない

    人間には、こういう習性があると考えることができます。

    なぜこういう習性を持っているのか。考えられるのは一種の精神的な防衛反応ではないかということです。

    例えば、自分が目の当たりにしている現実が、自分にとって好ましくない、都合が良くないとき、ついつい人は見て見ぬふりをする。そうすることによって自分自身の精神的均衡(バランス)を保とうとする、ということです。

    しかし、何か大きな目標を達成するためには、このような現実逃避は弊害になります。現実逃避とは、願望・妄想・思い込みなどです。

    正常性バイアスによる逃げ遅れ

    「正常性バイアス」という言葉があります。これは心理学用語で、「認知バイアス」の一種です。

    どういう場面で使うかと言いますと、災害や事故など、突発的な災難が起こったときです。こういうとき、多くの人は自分に都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりします。その結果、それが「逃げ遅れ」の原因になります。

    私も災害ボランティアなどに際して、被災者からこういう話はよく聞いていました。

    例えば、集中豪雨によって河川が氾濫すると、避難情報や警報が出ます。そういう時に多くの人は「自分は大丈夫だろう」と思ってしまうわけです。

    これは心理的な作用として、現実にあります。

    危険情報がありながら、みすみすそれを無視して災害の被害に遭ってしまう。後々になって「なぜあのとき避難しなかったんだろう」と考える。そういう人は意外に多いのです。

    災害は、極端な例に思われるかもしれません。しかし、「こういうバイアス(偏り)がある」ということを知っておくことは非常に重要です。

    さて災害に限らず、世の中には様々な問題があって、課題解決をしたいということが、人それぞれにあると思います。

    こういった課題・問題を解決するときに、絶対に必要なものが「現実をできるだけ正確に理解する」ということです。

    そもそも、人間には「認知バイアス」というものがありますので、完全に正確に理解するということは不可能です。

    しかし、そういった「バイアスが自分にある」ということを前提としたうえで、「できるだけ正確に」現実を理解するということが大事です。

    「正しく絶望」しよう

    その現実理解に何が必要なのかというと、「努力と覚悟」です。こう言ってしまうと、抽象的で「精神論じゃないか」と思われるでしょう。

    もう少し具体的に考えてみましょう。

    まず「努力」は何かというと「知識を吸収していく」ということです。知識を吸収する際も、当然「自分の思い込み」=「バイアス」を捨てておかねばなりません。

    前提を捨てておかないと、いくら新しい知識を吸収しても、その解釈が間違っていくことになります。

    知識どうやって吸収するかというと、ネットで調べても良いと思いますし、本を読んでも良い。その際、自分に都合のいい情報だけを吸収しないように気をつけましょう。そういった「努力」が必要です。

    もう一つが「覚悟」です。覚悟とは、「正しく絶望する」ということです。

    生物学的には、生物は絶望すると、その瞬間に生きていけなくなるそうです。まもなく死んでしまいます。

    しかし人間は、そういう生物的な絶望と別に「正しく絶望する」ことができます。

    ここで自分のことを紹介しておきたいのですが、私は10年ほど前に福岡市議選に立候補したことがあります。29歳のときです。市議選自体は落選しまして、それ以降は自分が議員になるという試みはやめたわけですが、その頃に書いた文章があります。

    ある教育団体の機関誌に寄稿したものです。タイトルは「絶望する日本の私 なぜ私は政治家を目指すのか」です。このときから私は「絶望する」ことについて考えていました。

    私はいま、絶望する日本の只中に立っていることを自覚します。その上で、その絶望から目を背けることなく、その絶望に立ち向かって行きたいと思うのです。ゆえに私は、この福岡で政治家をめざします。

    『ヒトの教育』第7号(平成22年4月)掲載

    立候補する決意表明を込めた文章でしたので、そのように末尾に書いています。

    「絶望から目を背けることなく、その絶望に立ち向かって行きたい」、そのための手段として、この頃は政治家になるということを目指しました。この基本的な信念、志は現在も変わっていません。

    私はいま政治家を目指していませんが、この日本を良くしたい、絶望を乗り越えて日本に希望をもたらしたい、という思いで様々な活動をやってきました。その最終形がフリーランス団体「サムライ☆ユニオン」の立ち上げです。(ここでは詳細を割愛します)

    希望は絶望の後にしか現れない

    ところでハーバード大学に、こういう研究があります。感情は日本語では「喜怒哀楽」の4種類が知られていますが、実は感情は12種類あるそうです。

    絶望の反対は希望ですが、その希望も感情の一種だそうです。

    この12種類の半分がネガティブ感情です。「怒り」「イライラ」「悲しみ」「恥」「罪」「不安」です。

    ポジティブ感情として「幸せ」「誇り」「安心」「感謝」「希望」「驚き」が挙げられています。

    面白いのは、「希望は絶望の後にしか現れない」という研究結果があるということです。これはどういう意味かというと「絶望を感じたことのある人しか、希望を持つことができない」ということです。

    この感情に関するハーバード大学の研究は、吉田尚記さんが書かれた『没頭力』という本からの孫引きです。

    この「希望は絶望の後にしか現れない」というのは、私自身も(先ほど紹介したように)10年ぐらい前から考えていたことです。

    今後われわれはサムライ☆ユニオンとして様々な活動を行っていきますが、この考え方は繰り返し共有していく必要があると思います。

    「思い込み」「願望」「妄想」などで、世の中が動くということはない、ということです。

    自分自身が抱える課題を解決するためにも、まず現実を見て「正しく絶望する」必要があります。

    その先に本当の希望が現れます。真っ暗な闇の中に、一点の光のように、希望が見えてくるタイミングが必ずあります。

    そういう意味で、今回は「絶望と希望」というテーマでお話をさせていただきました。

    本山貴春

    (もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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    コメント

    1. 特命 より:

       アメリカ大統領選挙における「保守派」の見るに耐えない言説には私も絶望しました。彼らの言説は、正に「見たいものだけを見る」という感じでした。

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