ウィリアム「皇太子」にローマ「法王」…敬称ぐらい政府に忖度せず使うべき

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西暦2022年9月8日にエリザベス2世女王殿下が薨御され、チャールズ3世王殿下が即位、その子であるウィリアム公がウェールズ公に就任された。これを受けて私も9月13日に在大阪イギリス総領事館へ行き記帳させていただいた。

さて、私がここでマスコミ各社と異なり「陛下」「崩御」「皇太子」と言った用語を用いなかったのは、誤用ではない。意図的なものだ。むしろマスコミ各社の方が「誤用」をしていると言うのが、私の見解である。

「陛下」や「崩御」は天皇や皇帝にしか使えないし、「皇太子」というからには「皇」帝や天「皇」の太子のはずである。当たり前の話だ。

こういうと「日野は極右か」という意見があるかもしれない。「マスコミ各社は独自の判断でイギリス王室への敬称を選んでいる、それこそが表現の自由だ、否定するな」と。

だが、真の問題点はマスコミ各社が主体的に用語を選んでいるのではなく、専ら政府に忖度して用語を使っていることにある。「表現の自由」を尊重するべきマスコミが、「政府の木鐸」になってしまっているのだ。

「ローマ法王」から「ローマ教皇」へ“政府の指示”で変更

マスコミが如何に政府へ“忖度”して敬称を用いているか、数年前にも好例があった。

カトリック教会の「Papa」をかつてマスコミ各社は「ローマ法王」と訳していた。

しかし、少なくとも平成9年生まれの私が子供の頃には学校の教科書でも「ローマ教皇」と書かれていた記憶があるし、多くの書籍でも「ローマ教皇」の表記が用いられていたはずだ。

カトリック教会の「Papa」の権威は場合によっては皇帝を超えるものであったから、「王」の文字を使うのは不適切である。「king」よりも明らかに上の権威を持っていたのだから、漢字で「king」の訳語である「王」よりも上位の文字を探すとなると「皇」か「帝」の二文字ぐらいしかなく、その意味でも「教皇」の方が適切だ。

この簡単な理屈は、多くの人に共有されてきたはずである。だから少なくない文献では以前から「ローマ教皇」と言う表記が用いられていたのだろう。

ところが、マスコミ各社は頑なに「法王」の表記を使い続けていた。

無論、マスコミ各社が「我々は○○という理由で教皇よりも法王の方が適切だと考える」と言う見解を持っているならば、それはマスコミ各社の自由だ。だが、マスコミ各社がそのような見解を示すことは無かった。

マスコミ各社が「法王」の表記を用いていた理由は簡単だ。政府が「ローマ法王」の表記を使用していたからである。

その証拠に、令和元年(西暦2019年、皇暦2679年)11月20日に政府が「ローマ法王」の表記を「ローマ教皇」に改めた瞬間、マスコミ各社は一斉にそれに追随して「ローマ教皇」へと表記を改めた。

「社会の木鐸」か「政府の木鐸」か?

かつてマスコミは「社会の木鐸」を名乗っていた。社会に問題が起きると警鐘を鳴らす存在である、という自負から名乗っていたと言う。

そもそも「木鐸」とは昔の中国で法令などを市民に触れ歩くさいに鳴らした木製の楽器であり、その原義を考えると「木鐸」とは政府の発表を伝える「政府の木鐸」に他ならない。そのことに誰かが気付いて恥ずかしくなったのか、近年は「社会の木鐸」を名乗るマスコミを見たことは無い。

しかしながら、マスコミが政府見解を垂れ流しにしていると言うのは、現在でも良くある指摘である。
特に問題視されるのが、冤罪事件の際に警察発表を鵜呑みにすることだ。

近年も保守派の活動家として知られる石井英俊氏がある刑事事件で逮捕されると、マスコミは警察発表ほぼそのままの内容を実名報道した。結局石井英俊氏は不起訴処分となっている訳で、つまり警察は起訴されるべきではない人物を逮捕するという人権侵害を(過失かも知れないが)してしまったことになるが、マスコミはこの事件における警察の捜査の問題点を報じなかった。

「冤罪事件は特殊なケース」と言う人もいるかもしれない。

だが、先ほど挙げた「法王・教皇」問題に象徴されるように、マスコミは政府による用語の間違いすら指摘せず、間違った用語のまま報道するのである。

マスコミは「権力を監視している」と主張しているが、権力者の言葉遣い一つ糾せなくて何が「権力監視」なのか。マスコミは「権力者の狗」であり「政府の木鐸」だ。

政府に忖度せずに正しい用語を使おう

無論、これは政府の責任も多い。例えばイギリス王室への用語がその最たる例だ。

明治維新直後、まだ国力の弱かった日本は諸外国の圧力もあり各国の君主を一律に「皇帝」として扱った。特にイギリスについては実際にイギリス国王がインド皇帝を兼任していたので、イギリス王室に皇室と同じ用語を用いることは「その時点では」問題なかった、と言える。

だが戦後インドが独立し、しかも共和制へ移行したためイギリス国王は最早「皇帝」ではなくなった。政府もイギリスの君主を「国王」や「女王」と呼称していたのである。

にもかかわらず、政府は君主号だけを「皇帝」から「王」に代えながら、それ以外の用語は一切変更しなかった。だから本来「王」への継承は「殿下」のはずなのに「陛下」と呼び、そして「王の太子」であって「皇帝の太子」ではないのに「皇太子」と呼ぶ、という不体裁なこととなったのである。

政府による用語の不適切な点はこれだけではない。

明治維新後、政府は我が国の「親王」「王」「公爵」を一括して「prince」と英訳した。そして恐ろしいことに令和の今になってもこの訳は訂正されていない。

言うまでも無く華族の爵位である「公爵」は臣下に与えられる身分である。同じ皇族でも「親王」と「王」は別けているのが日本の伝統であるのに、皇族と臣下に同じ称号を英訳とは言え用いるとは、君臣の別を危うくするものだ。

本来ならば「親王」は「high king」に、「王」は「king」に、それぞれ訂正するべきである。また、政府がそれを訂正しないからと言って、その様な政府の方針に従う必要はない。

表現の自由は「政府からの自由」の一つである。政府の誤用に従うことを拒否せずして、表現の自由の意味などない。

日野智貴(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。日本SRGM連盟代表、日本アニマルライツ連盟理事。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。

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