8月13日から16日にかけて、わが国の多くの地域ではお盆を迎える。自宅の軒先に盆提灯を掲げたり、仏壇にいつもより豪華なものをお供えする。お盆に合わせて帰省し、親族が集まって先祖供養する風習も根強く残っている。
お盆は正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という。これはサンスクリット語の「ウランバナ」(ullambana)の音を当て字にしたもので、本来は「逆さ吊り」を意味する。地獄で逆さ吊りをされている死者の霊を救うための儀式が、お盆の由来とされている。
わが国ではお盆に先祖の霊が家に帰ってくると信じられている。自宅の軒先に提灯を掲げるのは、先祖の霊魂が迷わず帰って来るための目印だ。
お盆をはじめとする先祖供養儀式の多くは、仏教の形をとっている。お墓や納骨堂の多くは仏教寺院にあり、葬儀や法要に際しては仏教僧侶が儀式を執り行う。仏教=先祖供養というイメージをお持ちの方も多いのではないだろうか。
しかし「仏教の開祖である釈尊(お釈迦様)は霊魂の実在を認めていなかった。仏教と先祖崇拝は本来無関係」と聞いたら驚かれるだろう。
初期の仏教には偶像崇拝すらなかった。仏教は特定の対象を信仰する宗教ではなく、より良い転生を得て、最終的には転生せずに済むまで自己を昇華させるための修行法を説く教えだった。
そのような仏教が支那大陸において道教の形式(位牌やお香)を取り入れ、仏像とともにわが国へ伝来した。初めは国家鎮護の霊力を持つと信じられて支配階級の信仰を集め、鎌倉仏教などを経て民間にも普及する。
鎌倉時代に成立した念仏仏教は、経文(念仏)を唱えれば魂が救われ、死後に極楽浄土にいけるという信仰だった。ここまで来ると本来の仏教とは全く関係ないと言える。その思想の背景には日本独自の「言霊信仰」(声に出した言葉が現実に影響を与えるという信仰)がある。
実は日本には仏教伝来以前から「先祖崇拝」の信仰があった。神道における「産土神」は土地の神だが、先祖の霊魂は産土真に統合されていくと信じられていた。産土神信仰と先祖崇拝は根が一つなのだ。
産土神に限らず、神道において死者は神になると考えられた。人間から神になった存在としては天神様の菅原道真や日光東照宮の徳川家康が有名だが、このような「人神」を祀る神社は意外に多い。
現在でも一部に「神葬祭」という神道式の葬儀は残っており、納骨堂を備える神社も存在する。
では何故現在、先祖供養と仏教が一体のものとみなされるようになったのだろうか。一つは、仏教寺院が布教を進めていく中で、民間信仰としての先祖崇拝を取り入れることが有利であったこと、もう一つは、江戸時代の政策である「檀家制度(寺請制度)」が影響していると考えられる。
檀家制度は初めキリスト教禁止のために実施された。キリスト教は異教への帰依を認めないため、寺院の檀家(スポンサー)となることはキリスト教徒であることを捨てることを意味した。
それは同時に、一種の戸籍制度の役割を果たすようになった。全ての住民の存在が寺院に登録され、その生死が過去帳に記録される。江戸時代の寺院は行政機関の側面を持っていたとも言える。結果、庶民の墓も寺院に置かれるようになった。
現在でも仏教は世界宗教の一つだが、わが国においては長い歴史を経て大きく変容した。逆に言えば、日本人にとって先祖崇拝はそれだけ重要な信仰であったということだ。
もちろん、先祖崇拝は日本独自の信仰ではない。キリスト教やイスラム教などの世界宗教が普及する以前は、どの国でも先祖崇拝はあった。いわば人類原初からの前近代における信仰の形だった。そんな先祖崇拝が、わが国では特に色濃く残った。
形はどうあれ、日本人にとって先祖は極めて重要な存在であり、心の支えであり続けた。日本人は近代以降も先祖に感謝し、子孫に知恵や財産を残すことに価値を見出してきた。お盆はそのような日本人の価値観を思い出させてくれる良い機会だ。
(本山貴春)