歴史学において一次史料の欠如している事例は多い。そして、過去には「一次史料の欠如」を論拠に学説を唱えるものも確かにいた。だが、そうした学説の多くは後に誤りが指摘されている。
有名なものでは「法隆寺再建論争」がある。
法隆寺は『日本書紀』では一度焼失されたことが記されている。しかし、古代のことという事情もあり法隆寺が焼失したことを示す証拠は『日本書紀』以外には無かった。法隆寺側の文書にも「法隆寺は一度焼失し、その後再建された」等と明記するものは皆無であったのである。
そのことから法隆寺について「再建説」と「非再建説」の学者とが激しく論争した。一時期はむしろ「『日本書紀』の記述は一次史料の裏付けがない限り信用できない」という立場に立脚した「非再建説」の方が優勢なこともあったようである。
だが、若草伽藍の発掘の結果、法隆寺は一度焼失していたことが明らかとなった。今の法隆寺は聖徳太子が築いたままの姿ではない、ということである。
このことの教訓は「『日本書紀』の記述をむやみやたらに疑えば良い訳ではない」というものだ。無論、『日本書紀』には数々の「造作」の跡は見られる。ほぼ同時期にできた『古事記』とさえ、矛盾する部分は少なくない。
だが、だからと言って「一から十まで造作である」等と言っていると、法隆寺再建論争と同じ過ちを犯すことになる。
そもそも古代史においては一次史料が見つからないことはざらにある。
邪馬台国論争にせよ、主要な根拠となっている『魏志』「倭人伝」や『後漢書』「倭国伝」は厳密には「一次史料」ではなく「二次史料」だ。「一次史料の欠如」を理由に「造作だ」「架空だ」等と言っていると、古代史における文献史学そのものが成立しなくなる。
古代河内湾の地形を反映している『古事記』「神武東征」説話
神武天皇架空説には明確な根拠がないばかりか、『古事記』『日本書紀』の記述の中には後世の造作では説明のつかないリアリティのある記述もある。
例えば、『古事記』には神武東征について次の記述がある。
浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。この時、登美の那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき。(略)今者に日下の蓼津と云ふ。
神武天皇が長脛彦と戦った最初の場面として著名だが、ここで注目すべきは神武天皇が今の「日下」まで船で「渡」って来た、ということである。この「日下」は今の東大阪市だ。当然、海から船で行くことは出来ない。
だが、弥生時代中期以前までの間はここに「河内湾」と呼ばれる湾が広がっていた。弥生時代以降になるとここは「河内湖」となり海とは切り離され、さらに『古事記』『日本書紀』の編纂された奈良時代には河内湖は消滅している。
つまり、この記述は後世の造作では不可能であり、弥生時代中期以前に神武天皇が実在したことを示す強力な証拠となる。
政治にも悪影響を及ぼす「造作史観」
神武天皇架空説に明確な根拠がないどころか、『古事記』『日本書紀』の記事の中には到底造作できないような、当時の地形に基づいた記述があるということは、神武天皇実在説に架空説論者も反論のしようがない。
それならば神武天皇実在説が定説になればよいものだが、既に述べたようにそもそも『史学雑誌』において「神武天皇」を主題に扱った論文が皆無なのである。
定説になる云々以前に、歴史学者の間では神武天皇に対する奇妙なまでの「無関心」があるのだ。そして、それが「建国記念の日」(紀元節)を巡る無意味な論争へと繋がることになる。
今年2月11日の『しんぶん赤旗』には「神話復活は史実と憲法に背く」と題する「主張」(社説)が記された。日本共産党機関紙の「主張」であるから、そのまま日本共産党の公式見解なのであろう。そこには次のようにある。
「紀元節」は、明治政府が1873年、天皇の支配を権威づけるために、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫とされる架空の人物「神武天皇」が橿原宮(かしはらのみや)で即位した日としてつくりあげたもので、科学的にも歴史的にも根拠はありません。
神武天皇実在説を唱えている歴史学者は少なからずいるのであるが、もしも神武天皇が本当に「架空の人物」でその存在は「科学的にも歴史的にも根拠はありません」と言いきれるのであるならば、是非とも神武天皇実在説を如何に「根拠がない」かを指摘した学術論文を紹介してほしいものである。
自国の建国を教えない歴史教育は異常すぎる
だが、本当に問題なのは「万年野党」に過ぎない共産党の主張では、ない。
「建国記念の日」を祝日にして置きながら、未だに歴史教科書に「神武天皇実在説」を記述させない、今の政府の態度こそが問題である。
日本人として生まれながら、日本国民に義務教育で日本の建国を教えない、こんな異常なことがあるだろうか?それでいて、何の由緒かも教えないまま建国記念の日を祝日にするのである。
現在、インドでは「歴史教科書論争」が盛んである。もっとも、日本のように「近代史」が主な論点ではない。現在のモディ政権下で近代史についても議論は行われているが、一番「熱い」話題は古代史である。
インドの古代史の多くはいわば「神話」であり、どこまで史実か曖昧な点がある。それで、その内容をどのように教えるかで論争があるのだ。
いずれにせよ、これは「インドが建国されたころの歴史を子供たちに教えるべきである」ということが「大前提」としてある。日本みたいに「そもそも、建国の歴史を教えない」というのとは雲泥の差だ。
建国神話の内容の真偽について論争がある国は少なくない。インドもそうだが、隣国の韓国もそうである。朝鮮は檀君が建国したことになっているが、檀君について記された史料は13世紀に成立した『三国遺事』が最古である。『三国遺事』の成立は『古事記』『日本書紀』よりも新しく、その史料価値には当然論争がある。
言うまでもなく、檀君が架空の人物であった可能性も排除は出来ない。だが、韓国では歴史教育で檀君のことを教えている。
それならばどうして我が国では神武天皇のことを教えないのか。「架空説も存在するから」と言うのは理由にならない。我が国の歴史教科書には「邪馬台国論争」が載っており、そこには「九州説」と「大和説」の双方が併記されている。
ならば、神武天皇についても「架空だという学者もいる」という断り書きを付けた上で、掲載すればよいのである。
繰り返すが、歴史学において最も権威のある雑誌である『史学雑誌』に神武天皇実在説について記された論文は、殆ど無い。主題にした論文に至っては皆無だし、間接的に記したものも少ない。
が、その数少ない例外である「多元的古代の成立」(古田武彦)には、(主題ではないため)僅かな記述ではあるが次のように記されている。
わたしの立場は、神武をもって“九州の一角から出て、近畿に侵入をはかった”野心に満ちた青年たちの一人(実在)と見なすものである
僅か、これだけの記述ではある。が、東京大学という我が国の最高学府の学者たちが審査したうえで掲載された論文に、神武天皇について「実在」の二文字が明記されている。
学問を志す者としてあまり権威主義的なことは言いたくはないが、教科書に学説を載せる基準には一定の「客観的な基準」を用いなければならないだろう。
もしも神武天皇について本当に「科学的にも歴史的にも根拠はありません」という共産党の主張が正しいならば、神武天皇が「実在」と明記された論文が『史学雑誌』に掲載されるはずがないのである。
最低限、歴史教科書には神武天皇実在説の存在も記すべきだ。
それどころか、神武天皇架空説側からの実在説への学問的な反論が殆どない現状、神武天皇については実在説をまず記した上で「一部の学者は架空説も主張している」と追記するぐらいが、丁度良いはずである。
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日野智貴(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。関西Aceコミュニティ代表。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。