実父の他界に際して、いまどきの葬式はどうあるべきかを考えてみた

人生観
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先日、実父が亡くなった。個人的な事ではあるが、自分の気持ちを整理するためにも記事を書いておきたいと思う。

これは私の持論でもあるが、結婚式と葬式は、その当事者がいかなる人生を送ってきたのかが反映される行事であり、個人と社会が接する点でもある。そういう意味で、父の葬送は息子としても感慨深いものであった。

私にとって父親はいつか越えるべき目標であった。父子の関係というのは当然個々の事情によって異なるわけだが、少なくとも私は父を誇りにしている。

4年ほど前に末期癌が見つかり、長い闘病生活の中で、母や弟たちから献身的な介護を受け、一時期快方に向かったこともあった。

しかし意識が明確なままで、刻々と死が近くことを自覚するのは、どういう気持ちであろう。父はよく耐え、最後まで生きる希望を失わなかった。それは一般病棟から緩和ケア病棟に移ってからも変わらなかった。

父から受けた影響

私が政治や社会運動に強い関心を抱くようになったきっかけは父だった。そのように仕向けられたというわけではなく、父が酒を飲んで親戚相手に語る口上を聴き、父の書棚にある本を勝手に読み耽って影響を受けた。

父は、思想的には穏健保守派だった。

保守団体「日本会議」の前身である「日本を守る国民会議」の地方組織にも役員として関わり、PTA会長を含め多くの地域ボランティア活動に従事していた。その延長線上で、市議選にも二度出馬し、二度とも落選した。このことは母や弟たちのトラウマになっている。

大学生の私が政治活動に関わるようになった時、両親は私の将来を危惧した。29歳で会社を辞めて市議選に出ると行ったとき、両親は猛烈に反対した。母は泣いて止めたが、父は最後には認め、応援してくれるようになった。

結果的に私も落選し、父の二の舞を踏んだ事になる。しかし私はその後も政治活動を止めず、同志の支援を含め、様々な形で政治や社会運動に関わり続けている。私は実家に帰れば、いつも父と天下国家を論じ、運動の展望を語っていた。

私にとって父は良い相談相手であり、最大の理解者だった。

葬儀をどうするか

父の死期が明らかになっても、われわれ家族は死後のことを言い出せずにいた。特に葬儀をどうするかは、重大懸案だった。父がようやく言ったのは自分の戒名についてだった。

戒名というのは、位牌に書かれる死後の名前である。本来は出家した仏陀の弟子に与えられる名という意味で、わが国では江戸時代あたりから在家の者も死に際して与えられる習慣が根付いた。

両親は先祖供養を大切にしていたので、死後は位牌と戒名が必要になる。しかし帰依する寺院もなく、父はいわゆる「葬式仏教」を嫌悪していた。何十万円もの布施を包んで縁のない僧侶から戒名を授かるくらいなら、自分で決めようというわけだ。

実は両親は、ある教派神道系の教団に若い頃から入信していた。事情があって20年間ほど教団と距離を置いていたが、末期癌が見つかってから復帰していた。死の数日前、父がポツリと「葬式はどうするかなぁ」と呟いた。

私は常々考えていたことを父に行った。それは、その教団に儀式をお願いしたいということだった。父は特に賛成も反対もせず、考え込むようにして黙ったままだった。

仏教式ではない葬儀

読者の多くは、仏教式の葬儀にしか出たことがないというかも知れない。わが国では江戸時代に檀家制度が整えられ、民衆の多くは地元の寺院に帰依することが半ば義務付けられた。その点で言えば、わが家は浄土真宗だった。

しかし私は、民族派運動における先輩の葬儀において、数度、神道式の葬儀に参列した経験があった。神道式では読経と焼香の代わりに、祝詞(祓詞)が捧げられ、榊が捧げられる。柏手も打つが、「しのび手」といって音を出さない。

あるいは、まだ参列したことはないが創価学会式の葬儀もある。いずれにせよ、仏教式でない葬儀では、一般参列者の中には戸惑いが生じることは避けがたい。

私の父の葬儀において、両親が入信していた教団の儀式を行うことについて当然危惧はあった。本人にも、迷いがあったように思う。

その後、兄弟の間で意見の相違もあったが、長男である私の強い希望で教団に儀式を依頼し、なんとか通夜だけは儀式をやってもらえることになった。翌日の葬儀については無宗教で行った。

明るく楽しい葬儀

結果的に、私は父らしい通夜と葬儀になったと考えている。

父は今時珍しいほど信仰心が篤かった。他者に盲従するということはなかったが、宇宙の真理について自分なりに考究を深め、少なくとも神の実在を確信していた。だから信じる教義の儀式によって通夜式を行えたことについて、幽界の父は喜んでいると思う。

そして父は常々、自分の葬式は明るく楽しい場にしたいと言っていた。その点では家族も一致し、それをいかにして実現するかを話し合った。それは翌日の葬儀でより明確に実現できた。

葬儀は無宗教なので聖職者はいない。式が始まると地元の合唱団による歌があり、続けて友人による歌が3曲あった。そして後輩からの弔辞があり、参列者の献花、最後に動画を上映した。

最後の動画もよくあるスライドショーではない。今年の春に父が友人たちを前に熱く語っている様子をたまたま私が撮影しており、それを短く編集した。「今日はお集まりいただき、ありがとうございました!」と述べたところで動画は終えた。

まるで本人が、葬儀の参列者に対して元気に礼を述べたような格好になった。

一般葬か、家族葬か

時代の変化によって、葬送の形も激変している。昨今では直葬といって、葬儀を行わずに火葬場へ向かう例もあるという。社会的に地位がある人でも、家族葬や密葬を選ぶことが増えている。

私の父の場合は、一般葬を行わなければ後から実家に多数の弔問客が見えるであろうことが予想できたので、そちらを選ばざるを得なかった。

もし故人に信仰があれば、その信仰に従った宗教儀式が最善であり、先祖代々の菩提寺があるなら仏式も良いだろう。やってみて、あながち無宗教も悪くはなかった。

本人の希望が明確であればそれに越したことはないが、遺族の負担を考慮して「家族葬にせよ」ということもある。しかし葬儀は残された者のための儀式でもあるので、故人の交友関係に応じて検討すべきだ。

いずれにせよ、葬送のあり方は既成概念に囚われることなく、故人の個性にあった形で行われるべきだと思う。以上、直近にあった実父の葬送を通じて考えたことを述べた。今後誰かの参考になれば幸いだ。

本山貴春(もとやま・たかはる)独立社PR,LLC代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会副代表。福岡市議選で日本初のネット選挙を敢行して話題になる。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。新著『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』(Amazon kindle)。

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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