「個人の生き方」とパブリック・リレーションズ

人生観
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「個人の生き方」とPRにどんな関係があるのでしょう。

PRといえば企業が行うもの、というのが常識ですが、現代ではそうとも言い切れなくなって来ています。そこで今回は個人にとってのPRについて考えながら、企業PRに関する認識を深めてみたいと思います。

PR(パブリック・リレーションズ)の本来の意味は、「公衆(パブリック)とのよい関係づくり」です。このことを忘れると、PRは単なる「情報発信」になります。片方向の情報発信ではPRとは言えませんよね。つまり情報や行動を通じて交流し、よい関係を構築することがPRの神髄なのです。

さて私たちは個人主義の社会に生きています。つまり個人というものが尊重される社会です。しかし実際、人は単独では生きられません。まれに無人島で孤独に生きる人もいますが、その人は「社会的に生きている」と言えるでしょうか。私たちは周囲の人間(他者)との「関係性」の中で、初めて自己を確立することができます。

あなたがどういう人なのか、周囲はあなたの内面を知ることはできません。あなたが周囲の人に働きかけた行為が、周囲にとってあなたを規定するのです。周囲に自分をどのように認識させるべきなのか、すべての人は(無意識にせよ)考えて行動しているはずです。

さてインターネットや、インターネットによるSNSが普及するまでは、個人と社会(公衆)との関係は限定的なものでした。しかしSNSなどの普及によって、個人はそのまま社会に直結してしまいました。その結果、便利になった面もありますし、リスクが生まれた面もあります。

例えば学生のアルバイトがふざけてお店の調理場で遊んでいる写真を、友達にみせて笑わせるためにSNSに投稿すると、そのお店が潰れる(閉店に追い込まれる)という現象が生じています。これはリスク面ですが、逆にSNSでうまく自己アピールして、採用を勝ち取る就活学生もきっと大勢いるでしょう。

このように、実はいま個人レベルでもPRの考え方が必要な時代になっています。企業にとっても、いくら一生懸命PR担当者が自社PRに努めても、心無い従業員の悪ふざけによって日頃の努力が消し飛ぶリスクを抱えているわけで、企業は従業員に対してPRの教育を(社会常識として)行わねばならなくなったのです。

このコラムを読んでいる皆さんも、SNSを楽しんでいる方が多いと思います。皆さんがSNSで自己紹介したり、日記を書いたり、つぶやいたり、シェアしたり、友人の投稿を読むことは、すべてPR(公衆とのよい関係づくり)なのです。

さらに、インターネットの普及は「隠し事のできない社会」を出現させました。いつでも、どこでも、だれでも、社会に対する情報発信力を持つ社会において、「オフレコ」は死語となってしまいました。あらゆる個人がスマートデバイスというコンピュータを持ち歩き、そのコンピュータは瞬時に放送局となって写真や音声や動画をばら撒いてしまいます。

そう、あらゆる人の行為も発言も、その人の意図に関わらず、直ちに全世界に公開される可能性が常にあるのです。そして公開された情報は、半永久的に消し去ることができません。こう書くと怖いようですが、実際その社会はものすごく便利なので、進展しても後退することはないでしょう。

さて今日の結論。いつでも、どこでも、誰に見られても恥ずかしくない生き方をすること。それが、個人にとって究極のパブリック・リレーションズとなります。

独立社PR,LLC 代表 本山貴春

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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