靖国神社への天皇陛下御親拝を願い自決「靖國会」の沼山光洋氏

人生観
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令和元年5月11日、靖国神社での清掃奉仕や勅使奉迎などの活動を続け、天皇陛下の御親拝再開を訴え続けてきた民間団体「靖國会」事務局長の沼山光洋氏が靖国神社付近の路上において割腹により自決した。

沼山光洋氏は靖國会公式サイトに、自決した5月11日付で「平成の御代に御親拝賜れなかったこと天皇陛下、御祭神の皆様に大変申し訳なくお詫びの言葉もありません」などと綴っていた。

元航空幕僚長の田母神俊雄氏は自身のツイッターで、「彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。立派な侍だった」と投稿し、さらに「沼山光洋君は細かい気配りをする男だった。今回の自決も靖国神社の敷地内ではなく敷地外の道路上であったのは彼が靖国神社に迷惑をかけないようにと考えた行動であったと思う」などとコメントした。

元衆議院議員の西村眞悟氏も自身のフェイスブックで、「度々靖国神社で会った靖国会の事務局長・沼山光洋君は、いつも礼儀正しく温和な青年だった。その君が、内に深く激しい気合いを秘めていて、5月11日未明、靖国神社一の鳥居前で、一人割腹自決するとは!」などとコメントしている。

皇居前で宮内庁職員に「御親拝」を訴える

靖國会公式サイトによると、沼山光洋氏は平成29年に天皇陛下靖國神社御親拝を祈願するため、寄付金を募って車中泊により全国の護國神社を巡拝している。

また平成30年には9月末から12月末にかけて毎朝、皇居前で宮内庁職員向けに「天皇陛下靖國神社御親拝祈願」の垂れ幕を持って「朝のご挨拶」をしたという。

この活動について沼山氏は「宮内庁職員の方々がどうこう出来ると思っていませんでしたが毎朝挨拶することで、御親拝を願っている日本人がいることが上層部に伝わることを願いました」と記している。時には宮内庁職員から「毎日ご苦労様」とカイロを差し入れられることもあったという。

以下、靖國会公式サイトに掲載されている沼山氏の文章から一部引用する。(一部、読みやすいように表記を改めた)

死は生の延長である。人は生まれた瞬間から死へと向かう。豊かな人、貧しい人にも必ず死は訪れる。そしてその生命に意義を持たせるのは生きている人間である。本日5月11日は第5筑波隊の皆様、西田高光命のご命日である。高邁なる精神で後の民族の誇りの為にと散華された、貴い意義ある生命であったと語り継げるのは生きている人間だけである。(中略)

新時代令和の幕開けで祝賀一色なのは理解できるしそうあるべきであると思うが、御親拝がなかったことに対しての報道は一切なかった。私の知る限り御親拝に触れた著名人は昨年末に櫻井よしこさんと小堀桂一郎先生だけである。今ある豊かな日本は自然に出来た訳ではない。多くの先人の命の礎の上に今がある。(中略)

天皇陛下は祈りの存在、民族の道である。日々全てのものに祈りくださっている。それに倣い私たちも神社へ参り祈りを捧げる。悠仁親王殿下御降臨は日本人の祈りが天に届き奇跡という必然を招いた。御誕生した瞬間にそれまで活発であった女性・女系天皇論者が影を潜めた。

私は、個人の祈りは他力本願の神頼みではなく、自分自身への決意・自覚・戒めだと思っている。神前で祈り感謝申し上げ祈願する。そのことにより、善い思い善い行いを心がけ実践する。その繰り返しが日本人の道徳観であり、ご加護を受けている安心感が現実社会の秩序の基本になっていると思っている。

子供の頃言われた「お天道様が見ている」である。善いことも、悪いこともお天道様はお見通しである。 天皇陛下が示されている行動実践こそ「祈り」の形ではないかと思う。(中略)

靖國を忘れたとき、民族の誇りは消え去る

平成の御世で御親拝賜らなかったということは令和で御親拝賜る可能性も低いでしょう。御祭神の皆様は御親拝がなくても、現在の物質的に豊な日本を見てきっと微笑まれていると思います。(中略)

忘れないこと、語り継ぐことこそ今を生かされている日本人の務めだと思います。平成の三十年間に御親拝を賜らなかった今、今後難しいと思います。時間の経過と共に昭和天皇が御親拝出来なくなった事実がどこまでも歪められ、靖國神社の御祭神の生命の意義が忘れ去られたときに民族の「誇り」は消え去るでしょう。

どうか皆様、良識ある日本人として靖國神社に鎮まる御祭神・忠霊の生命の意義を正しく後世に紡いで行きましょう。

長々と泣き言、負け惜しみを連ねました。人間にとって最大の病は絶望と言いますが、ならば希望は最高の良薬の筈です。新時代令和を元気に明るく希望を持って皇室の弥栄、民族の誇りを守る為に邁進いたしましょう。

御親拝が途絶えた本当の理由とは?

また、沼山氏は「何故御親拝は途絶えたか」と題する文章の中で以下のように述べている。引き続き靖國会公式サイトから引用する。

先帝陛下昭和天皇の靖國神社御親拝は、所謂戦前、戦後あわせて28回の御親拝を賜っている。昭和22年の現憲法施行後も8回の御親拝を賜る。それが何故昭和50年11月21日を最後に途絶えてしまっているのか。

天皇陛下の御存在は権力者ではない、天皇陛下は憲法と法律に縛られ、御自身の御意思を貫くことは非常に難しい。宮内庁をはじめ関係省庁に管理されてしまっている。それでも、昭和50年までは正しく天皇陛下の御心を忖度できる正しい日本人の側近が多くいた。(中略)

現在では、首相や閣僚の参拝に支那中共と韓国の圧力云々が春秋の例大祭、8月15日で報道されるが、これらは昭和60年の中曽根康弘氏から出てきた話で、御親拝中断とは別の問題である、新たに出てきた作った問題である。それを天皇陛下の御親拝が途絶えた理由が国内の政治問題であることを公にしたくない勢力が、これ幸いにと利用しているのである。(中略)

御世代わりまで残り6ヶ月、万が一平成の御世に御親拝なき場合、東京裁判史観に毒された勢力は、所謂「A級戦犯」批判を「富田メモ」を後ろ盾に改めて始める。今現在でも、「富田メモ」にある白鳥、松岡と2名の苗字は言わず、「A級戦犯」合祀に天皇陛下が「不快感」を示し、御親拝が途絶えた。と敢えて「A級戦犯」を強調する。すると自然に所謂「A級戦犯」とは東條英機大将をはじめ軍人が思い浮かんでしまう。明確な印象操作とさりげない捏造である。(中略)

昨年、平成29年の流行語大賞は「忖度」であった。今、正に私たち日本人が本当に忖度しなければならないのは、天皇陛下のまごころ、大御心である。繰り返しになるが、天皇陛下は権力者では決して無い。現憲法と法律に縛られ畏れ多いことだが実に御不便な思いをなさっているに違いない。天皇陛下がいかに御望みになられていても御自身の御希望通りに自由に行幸することなど出来ないのである。

天皇陛下は靖國神社御親拝を御望みになられている。246万6千余柱の忠霊は待ち望まれている。御親拝実現は、忠霊の恩恵を最も受け今を生かされている日本人の、過去と未来の日本人に対しての責任と義務である。

引用元:靖國会 http://yasukunikai.com/

割腹自決について、産経新聞は「死因は失血死とみられ、遺書とみられる文書は判別が困難」と報じている。

天皇陛下の靖国神社御親拝問題

昭和天皇は戦後に入ってから8回、靖国神社に御親拝されたが、昭和50年11月21日を最後に途絶。続く平成時代、天皇陛下による御親拝は一度も実現しなかった。但し、例大祭の勅使参向と皇族の参拝は一貫して行われている。

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