「戦える国」への道 平和を守るために本当に必要なこととは?

私は、平成元年に小学校へ進んだ。その平成の時代が終わるときに、電子書籍『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』を出すことを決めた。

この平成時代のおよそ半分を、政治活動家として歩んだ。政治活動家といっても、サラリーマン生活のかたわら、休日を使って政治活動を行なってきた。

プロかアマかと聞かれれば、アマチュアの政治活動家に過ぎない。つい最近、起業独立して「脱サラ」したが、政治活動を収入源にしているわけではないので、依然としてアマチュアだ。

「政治活動家」を自覚したきっかけ

そんな程度の私が、政治活動家と自己認識したきっかけを与えてくれたのが、外山恒一氏だった。

私の地元でもある福岡を拠点にする外山氏は、東京都知事選挙に出馬した革命家でファシスト(!)だ。外山氏と知り合った当時、私はある政党の党員として選挙運動を支援していた。

まだ大学を出たての頃だった。私はあくまで、日本国民の権利として選挙運動を行なっていたのであって、政治活動家という自覚はなかった。

そんな私に、外山氏は「本山くんは活動家だね」と言った。この言葉は衝撃であったが、正真正銘の活動家である外山氏からそう言われたことは嬉しくもあった。

その後、私は様々な政治活動に従事した。政治活動は選挙運動と社会運動(国民運動)に大別できる。選挙運動では国政選挙にも地方選挙にもスタッフとして関わり、自らも一度市議選に出馬し落選した。

社会運動では北朝鮮による拉致被害者救出運動や、三島由紀夫を追悼する「福岡憂国忌」の運営に関わり、現在も続けている。

右翼・左翼とは何か?

そのような政治運動に関わる中で、私は何を求めるべきかを考えてきた。私は、自分を右翼だと思っている。右翼でも「私は右翼ではない」という人は多い。しかしこれはあまり意味がない。右翼か左翼かというのはあくまで相対的なものである。私が、自分が右翼だと思うのは、今の世の中全体が左傾化しているからだ。

もし時代が右傾化すれば、私は左翼になるだろう。「私は右翼でも左翼でもない」という人は、「自分というものはない」と言っているに等しい。世の中が変われば、自分もバランスをとって動くということなのだから。

私は、現時点で相対的に自分が右派に属することを自覚するが、あくまでそれは暫定的なものに過ぎない。「右翼ではなく保守である」という者もいるが、これもあまり意味がない。同じことの言い換えに過ぎないからだ。

では右翼とは、いったい何を希求する存在なのだろうか?右翼を快く思わない者(つまり左翼)ならば、右翼は国家主義であり、軍事拡張主義であり、民族差別主義者であるというだろう。

あるいは黒いバスに乗って軍歌を大音量で流す暴力団の一種を、右翼の典型として決めつけるだろう。このような右翼への見方は、戦後日本における社会の共通理解だった。しかし私はこのような固定観念に疑念を抱いてきた。そのような典型的な右翼に、何か希求するものがあるのか。

そう考えるうちに、私は右翼も二種類に分けられることに気づいた。それは、現状維持したい右翼と、現状を変革したい右翼である。前者の代表例は自由民主党であろう。自民党は一般的に保守政党とされる。この保守は、「体制保守」のことである。

長らく政権与党として君臨し、歴代首相が輩出した自民党は、何か改革を行うとしても、自らの権力を維持増進するための改革しか行わない。

では、現状を変革したい右翼とは何か。何をどのように変革したいのだろうか。その答えはとっくの昔に出ている。それは、「戦後体制の打倒」である。

戦後体制を打破する「日本独立派」

戦後体制とは、日本が第二次世界大戦(大東亜戦争)に敗北して固定化した、対米従属(属国)体制のことだ。ヤルタ会談・ポツダム宣言の頭文字をとって「YP体制」と呼ばれることもある。それを脱却するということは、日本の独立をめざすということに他ならない。

そのことに気づいて以降、私は意識的に「日本独立論」を唱えるようになった。私の様々な政治活動の共通目的こそ、日本の独立だった。しかし、世間では自国が属国であるという認識が希薄だ。

ある著名な保守言論人と、日本が独立国か否かで激論を交わしたこともある。薄々、日本が属国であると感じている人も、独立を唱える私に「独立の条件とは何か?」と問うてきた。確かに日本は、法的には主権独立国家である。

昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が成立し、わが国は主権を回復したことになっている。しかしその後もアメリカ合衆国軍は占領軍の駐留を継続した。占領期間中に違法に制定された「日本国憲法」はその効力を維持し、こんにちに至っている。この状態が続く限り、日本は属国の汚名を免れない。

「戦える日本」へ

先ほどの問いに答えるならば、日本独立の条件とは「交戦権を回復すること」である。つまり、日本国自らが、自国の意思決定によって自由に戦争する権利を回復することだ。こう言うと、途端に拒否反応を示す人が多い。

やはり右翼は好戦的で、軍事拡張主義なのか、と思うのだろう。「憲法を改正すると戦争になる」と言う護憲派の主張に説得力を感じるかも知れない。

しかし、交戦権を回復すると果たして戦争になるのか。戦争は、国家か国家に準ずる組織による行為である。つまり、必ず主体者が存在する。日本が交戦権を持たなくても、外国が戦争を決意すれば戦争は起こる。

また、日本が交戦権を持っても、自国が戦争を決意せず、外国にも決意させなければ、戦争にはならない。

戦争は外交の延長線上にある。そして、戦争を最終手段として準備していない国家は、外国(敵国)に戦争を決意させる可能性が高い。これは歴史が証明している。

私は、自分がどのように非難されようと構わないが、日本国は平和と安寧を回復し維持するために、直ちに交戦権を回復せねばならない、つまり独立せねばならないと考えている。

本書は、私がそのように考える根拠と、実際に独立するために何をすべきかを、過去15年間に公表した論考へ大幅に加筆修正してまとめたものだ。私は研究者でも、評論家でも、文筆家でもない、政治活動家である。

従って、本書は自己の信念と経験に基づいた結論であり、まだ見ぬ同志へ向けた檄文である。

電子書籍『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』序章より全文転載)

『日本独立論: われらはいかにして戦うべきか? 』(独立社デジタル選書)
主な内容:なぜ私はネット選挙を解禁したのか/日本核武装論とパブリックリレーション/北朝鮮による拉致は侵略戦争である/国と地方の権力構造/互助共同体仮説 流血なき内戦を戦え/日本政治のポジショニングマップ/三島由紀夫は何と戦ったのか

本山貴春(もとやま・たかはる)独立社PR,LLC代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会副代表。福岡市議選で日本初のネット選挙を敢行して話題になる。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。

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