日本の戦った戦争は日本とアジアの独立を求めた戦いだった

政治
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私は戦争に関するテレビや映画はあまり見ない。8月15日が近づくこの時期は特に見ない。普段はYoutubeで見ることもあるし、涙も流す。だが、戦争の本質を見事に表した画像は見たことがない。何か違和感、人為的作為、端的に言えば嘘を感じるからだ。

戦争の真実や歴史に興味がない訳ではない。幕末から大東亜戦争(アメリカから見たら太平洋戦争、連合軍から言えば第2次世界大戦)にいたる間の戦争に関する書籍なら100冊以上は読んでいるだろうし、この間の歴史に関する本なら同じ位の本は読んでいるだろう。
興味本位で読んだのでは無い。私と同じ血の流れる祖先が何を考えていたのか。どう生きたのか。その子孫である私はアジをどう考え、日本の歴史をどう判断し、これから如何にしてアジアと接するべきか。それを知る為に読んだ。

その体験から言えば日本の戦った戦争は我が国とアジアの独立と解放を求めた戦いだと断言して良い。世界が何と言おうと、他国が何と言おうと、我が国が戦ったのは、白人が有色人種を人間とは考えず、猿や牛馬と同じに考えていた非道極まりない時代においてである。
日清戦争・日露戦争の当時、アジアに有色人種国家として存在したのは、日本とタイである。清国(その後、中華民国。独立は明治44年、1911年。)及び李氏朝鮮(明治43年、1910年に我が国が併合)は存在したが国家の体をなしておらず、彼らの独立は白人の前に風前の灯火であった。それ以外にアジアに存在していたのは、イギリス、フランス、オランダ、スペイン(後にアメリカ)、ロシア(=ソ連)である。そういう時代の中で日本は生きていたのである。我が国が戦ったのは、その、ロシア、アメリカ、イギリス、フランス、オランダである。その白人世界支配の流れが日本の存在を消そうとした。日本と支邦が戦ったのは、満州を我が物にしたいアメリカと支邦を支配したいソ連が支邦を焚きつけた事による。それが我が国の戦いの本当の原因である。

東京裁判山形県酒田出張法廷に証人として呼ばれた石原完爾は、判事に「この裁判はどこまでさかのぼって戦争責任を問うか」を尋ね、「日清・日露戦争までさかのぼる」との回答に対し、「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁け。」と主張した。つまり、「鎖国を国是としていた我が国を無理矢理開国させ、帝国主義渦巻く世界に引きずり込んだのはペリー、つまりアメリカではないか。我が国は白人列強が支配する世界で生存する為にやむなく白人と同じ帝国主義を採り入れた。諸君達白人列強国と異なり、我が国は自らの生存の為に戦った。そのことが諸君によって裁かれねばならないのか。我が国を裁きたいなら、白人列強国の全てとその指導者を裁かねばならない。」と正論を述べているのだ。

世界を支配する白人大国と戦った日本。現代日本はここを見ない。戦後七十年間この事実を見てはいけないとされた。憲法にすら日本は犯罪国であるから他国を信じてのみ生存を許されると書いてある。連合国の嘘を真実と言うために嘘を塗り重ねた。それが戦後の七十年である。だから真面目な人間程反日になってしまうのだ。真面目な人間が間違いを犯し、不真面目な人間が得をする。それが戦後七十年である。

戦争反対と言いながら、自分達の祖先が戦った理由は知らない。毎年、八月十五日が近づくと一斉に、「戦争は悲惨だ。戦争反対。」の声がマスコミから流される。耳を傾けると、根本にあるのは、「戦争は間違いだ。」「死にたくない。」である。

まるで、「戦前の日本人は戦争の悲惨さを知らなかった。私達は知っている。」と言っているようではないか。思い上がるんじゃない。そんな程度の議論で戦争が止まるのなら、今の反戦を待たずともとっくに戦争はなくなっている。かつての人々に真実はなかったとでも言うのか。戦前の日本人は好戦的だったとでも言うのか。昭和十六年頃の日本の人口は八千万人ほどであるが、彼らは馬鹿でそこに真実はなかったとでも言うのか。戯けもいい加減にせい。人間の生命が尊いと言うなら、なんでその尊い生命を擲って祖国のために戦い倒れた先人の真実に耳を傾け、目を開かぬのか。大東亜戦争と名付けた先人の意思を尋ねないのか。

戦争のことを考えたことも、知識も全くない人間だらけの今の世の中では簡単に嘘がまかり通る。他人に対しては数の横暴は許さないという連中が、国民に対しては、その無知を利用し、或いは無知に導き、数の横暴で真実を歪めている。
そんな現代社会の中で、「戦争とはなにか。」、「私達の祖先が戦った戦争とは何だったのか」と、真実を求める者は孤独である。絶対少数者である。反戦論者も平和論者も先人の残した言葉を決して口にしないし文章にしない。自分の都合の良い部分をつまみ食いしているばかりだ。

今から8年程前に、16、7才の時に少年航空隊に居た人たちの集まりに呼ばれて行ったことがある。彼らは戦争に参加しているから、「私達は戦った当人であり、戦争というものを体で知り抜いている。」と言うが、それでも、「戦争とは何か」ということは全く知らなかった。戦争を体験した者が戦争を知っているというのは嘘だ。知っているのは戦争の万分の一であって戦争とは何か、日清戦争は、日露戦争は、大東亜戦争は、何故に起きたのかという真実ではない。「戦争体験者に聞く」という危険性はそこにある。それでは真実は分からないし、戦争を止めることも出来ない。

反戦主義者や平和主義者に至っては、戦争についても、平和についても、実は何も知らないし、何も考えていない。利用しているだけである。利用されているだけである。何故日本が満州の地で、或いはアジアの地で戦わねばならなかったのかについて真剣に考えたこともない。
アジアを侵略したと言うが、悉く嘘である。かつてアジアに存在していたのは、イギリス、フランス、オランダ、スペイン(後にアメリカ)、ロシア(=ソ連)であって、印度でも、ベトナムでも、カンボジアでも、ラオスでも、インドネシアでも、フィリピンでもない。反戦主義者や平和主義者はそれすら知らない。そんな洗脳された知識だから、戦前の日本を帝国主義、侵略主義としか知らない。戦争反対とか平和とかいうお題目は余程心地よいのだろう。新興宗教と同じで、悟ったことも、救われたこともない人間が、称名したら、その効能はこんなにも素晴らしいと宣伝しているだけである。

「戦争は人間が始めるものだから人間が止めることが出来る。」と言う者がある。余りに幼稚で、余りに無知すぎる。否、余りにも傲慢すぎる。自分は全てを知る者で、先人は何も知らない愚者だと決めつけるのと同じだ。今の反戦や平和主義は新たなイデオロギーである。新たな宗教である。真実はそこにはない。

戦争は侵略者、軍国主義者が始めるというだけの考えなら、戦争について考えたり話すことは止めた良い。今の反戦主義者は本当に戦争について勉強していない。小人は己の求める答えを見付けた時に「これだ!!、これが真実だ!!」と叫ぶが、それは最初から自分の中にあった答えである。真実でも何でもない。

「戦争は人間が始めるものだから、人間が止めることが出来るのだ。」が本当なら、苦しみなどあるものか。「親孝行な自分でありたい。」と誰でも思う。だが、認知症の母と暮らせば、自分の大好きな母を憎んでしまう。そんな自分が許せなくて地獄に行きたいと思う。自分の大好きな母を憎むことすら止められない人間が、「戦争は人間が始めるものだから、人間が止めることが出来る。」???。ちゃんちゃらおかしい。

今の反戦論や平和論は、戦前の「鬼畜英米」や「敵性言語」と何も変わらない。感情に訴えるばかりで知性を否定している。もっと悪いことに人間を信じていない。特に信じなければならない、同胞の日本人を信じていない。敬いと愛のない所に真実はない。従って、反戦論や平和論では戦争は防げない。戦争を起こすことは出来ないが、戦争に巻き込まれることを防げない。

大東亜戦争が終わった時に多くの日本人が解放感を感じたことは事実。だが、同時に負けてしまったという虚脱感に陥ったのも事実。それは日本国全体においても、1人1人の日本国民の中でも同時に存在した。大東亜戦争が始まった時、多くの日本人は解放感を覚えた。それが事実。何故か。その答えは平和論や反戦論では見えない。

軍国主義により言論段圧など国民が奴隷状況にあって洗脳されていたから。だから言論の自由、表現の自由が大切だと言う。
戦争中に言論段圧はあった。その通りだ。だからもっと、「言論の自由」、「表現の自由」について考えて欲しい。歴史は歪めてはならない。「言論の自由」、「表現の自由」が大事だというなら、もっと真剣に、ちっぽけな己など捨てて、目をしっかり見開いて欲しい。今現在言論段圧があるではないか。

「言論の自由」、「表現の自由」。誰がそれを言っておるのか。「言論の自由」、「表現の自由」と言う彼らが誰よりも検閲し言論段圧をしているではないか。戦前に真実があったことを彼らは何故語らないのだ。語らせないのだ。マスコミには内部規定がある。不適切表現という規定が。文字や言葉を消して、なかったことにしようという規定がある。小説ですら過去の文字が消されて出版されている。それが検閲だ。それを捏造、嘘と言うのだ。「言論の自由」、「表現の自由」を口にする者は人間の善も悪も全てを認める勇気がなくてはならない。真実から逃げない勇気だ。国民を信じる勇気だ。歴史を勝手に消すな。勝手に解釈するな。

先人の言葉をありのままに読む時、先人達が我が国の歴史に誇りを持っていたことが分かる。だが、そういう事実が語られることはない。先人の歴史は、善も悪も全てを引き受けるのが子孫の努めだ。善は引き継ぎ、悪あらば改めよう。善悪全て、祖先の真実・現実として直視し引き受ける勇気のない卑怯者が真実の歴史に蓋をしている。真実を語る者を排除することが「言論の自由」、「表現の自由」となっている。日露戦争のどこが侵略戦争か。日露戦争での我が国の勝利がきっかけとなり、白人も有色人種も、人類平等が真実だと気づいたのである。今では当然の事実として世界中に広まった人種平等を拓いたのは日本である。それが人類史から見た真実だ。にも関わらず、日露戦争は侵略戦争としか教えられない。そこにはイデオロギーと白人史観による捏造がある。

その捏造が現代の検閲だ。検閲は過去の問題ではない。現代日本人が平和憲法と有り難がっている「日本国憲法」。そこには「言論の自由」、「表現の自由」が謳ってある。だが、「この憲法を起草作成したのは連合軍だ。」ということは悉く検閲され闇に消された。そして今もそれには触れないことにされている。それが真実である。現代の検閲者は、マスコミ、学者、平和主義者、反戦主義者である。よーく目を凝らして欲しい。彼らこそ戦後日本の権力者なのだ。「これは駄目」「あれも駄目」と言っているのは彼らである。彼らは何で、「大東亜戦争」という言葉を使わずに、「太平洋戦争」とか「第二次世界大戦」と呼ぶのか。そこに検閲の基本があるのではないか。私達の祖先は「大東亜戦争」を戦ったのであって、「太平洋戦争」や「第二次世界大戦」を戦ったのではない。何故、自らの祖先の言葉を消すのか。そこに如何なる意思が潜んでいるのか。

彼らは戦前の国民も現代の国民も信用していない。だから、平和とか戦争反対と言いながら、「言論の自由」、「表現の自由」とか言いながら、歴史を書き換え、真実を伝えないのである。作られたストーリーに基づいて今も脚本し続けているのである。真実を伝えれば、自分達の嘘がばれると恐れているのである。彼らは民主主義を信じてはいない。国民を無知な存在として利用しているだけだ。国民は教えられるべき存在。国民は勉強させられなければならない存在なのだ。

国民を信じて全てを明らかにする勇気は戦後民主主義にはない。「言論の自由」、「表現の自由」は左翼が自分の考えを表明し、認めさせるための権利であって、自分達以外の者の「言論の自由」、「表現の自由」を認めるものではない。彼らに他人の言葉に耳を傾ける勇気も、真実と向かい合う真摯さもない。本物の表現の自由や言論の自由は、真実を明らかにするための自由である。だが、戦後の日本社会はそうではない。真実を知る勇気のない卑怯者の自由である。そこに人間の知性を信じる勇気はない。

昨日安倍総理の談話が出された。今までの歴史認識に区切りを付けるという意思は感じるが、国際連盟以降の歴史に対する認識に頷く訳にはいかぬ。

大正8年(1911年)、国際連盟委員会において、牧野伸顕は連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」との文言を盛り込むという修正案を提案した。所謂、人種平等宣言である。この採決に反対したのはイギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアである。フランス・イタリア、ギリシャ・中華民国・ポルトガル・チェコスロバキア・セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国)が賛成した。賛成が上回ったのである。にも関わらず、議長ウィルソン(アメリカ)は「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言した。

このことが何を意味するか。答えは明らかではないか。イギリス・アメリカは人種差別を容認していたのである。そこに日本が彼らにより孤立させられ、新たな秩序を求める以外になかった歴史の本質がある。安倍総理は世界から歴史修正主義者の批判と烙印を恐れてかその事実について何も語らなかった。未だ我が国では総理が真実を語れない(表現の自由がない)暗黒の時代なのである。

アメリカが日露戦争で何故日本を支援したか。ロシアが満州を奪えばアメリカは支邦に植民地を永遠に獲得できないが、有色人種国家の日本が勝てば満州を手に入れることが可能になる。だから、日露戦争が終わった時に日本はアメリカの敵国となったのだ。それから三十六年間アメリカは満州を手に入れるために日本の追い落としを謀った。アメリカの支邦に対する支援とハルノートはその最後の仕上げに過ぎない。世界が平等であったなら、日清戦争も日露戦争も満州事変も大東亜戦争もなかったと断言してよい。

首相は再びお詫びを表明した。戦後70年の区切りは付けられなかった。我々とて当時の朝鮮や支邦、及びアジアの民衆に迷惑をかけた歴史は認める。だが、先人の意思も我が国の偽らざる歴史として認める。朝鮮は余りに無知で我が国を侮蔑しただけでなく、その無知は我が国の独立を脅かした。夜郎自大の思い上がりはアジアが協力しなければ白人にやられてしまう時代には排除されなければならなかった。それが朝鮮併合の理由だ。清国と戦ったのもそれが原因。何故孫文が清国を滅ぼし中華民国を建国したのか。支邦自身が同じ事を感じていたのだ。

満州に日本が権益を持つことは孫文が認めていただが、中華。思想を持つ支邦人はそうはいかぬ。中華民国建国は「滅満興漢」の旗の下で戦われた、満州族の清国を滅ぼし漢人の国を興すとして中華民国を打ち立てたのだ。つまり、満州は敵国だったのだ。だが、日本が治安を回復した満州には怒濤のように支邦人が入り込んで800万の満州の人口は3000万に膨らんだ。そして、こう言うのだ。「満州は我らが領土だ」と。今の支邦と全く同じだ。

満州建国の張本人の石原完爾は「日支提携がなれば満州国はなくなっても良い。日本の勝ちだ。」と言っている。その意味は、「満州は日支が提携すればどうなるかを支邦民衆に示すためだ。国民党が如何に排日侮日政策をとっても、満州が発展すれば支邦民衆はその嘘に気がつき国民党の排日侮日は潰れ、日支提携に向かう。日支が提携すれば、アジアは最早白人の支配に満足できなくなる。日本は戦争をせずにアジア解放の端を開くことが出来る。」ということ。

それに気がついたのがアメリカである。満州国の存在はアメリカの対アジア戦略、支邦に於ける利権を全て失わせるものだと気がついたのだ。それをハッキリと言葉で表現したのがハルノートだ。「日本は満州から去れ」と。

私は一日本国民だ。幸いに安倍総理と異なり自由に真実を求められる立場だ。安倍総理でも戦後に区切りを付けられなかった。戦後に区切りを付けるということは、歴史の継続ということだ。戦後とは全ての日本を否定することだ。日本国憲法は明確にそのことを前文に書いている。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

この意味は、今までの日本は「人間相互の関係を支配する崇高な理想」を知らない野蛮人であった。「専制と隷従、圧迫と偏狭」の国であった。これからはそんな日本を捨てて、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、「安全と生存を保持しようと決意した。」ということだ。

「平和を愛する諸国民の公正と信義」がどこにあったか。アメリカはその後何度戦ったか。この憲法を我が国に強制した後すぐに朝鮮半島でその「平和を愛する諸国民の公正と信義」と戦ったではないか。支邦において行われている他民族政策は「人間相互の関係を支配する崇高な理想」と言えるのか。「専制と隷従、圧迫と偏狭」ではないのか。北朝鮮の状況など「専制と隷従、圧迫と偏狭」以外の何物でもない。

「日本国憲法」とは「日本占領基本法」以外の何物でもない。ここから日本は脱却しなければならない。このことを明確にすることが戦後70年談話の意味であった。それが歴史の要請であり、安倍内閣存在の意味であった。彼は天命を果たせなかった。

安倍総理の存在が日本にとって重要なことは言うまでもない。そのことは承知している。だが、今の日本は幕末と日清戦争が重なっている様なものだ。本来の日本に返ると同時に支邦の暴力に備えなければならない。一刻も猶予はならない。最も危険なことは国内に保守派・佐幕派(=護憲派のこと)など憲法を盾として日本の滅亡を謀る者たちがいることだ。この日本亡国の潮流を終わらせ未来を拓くには今回の談話ではインパクトが足りず、歴史の転換の必要性を国民に伝えきれなかった。このことは最早普通の政権交代では日本は変わらぬ。守り切れないということを示している。

さて、本日は八月十五日。静かに戦没者の慰霊をさせて戴こう。そして先帝陛下の言に思いを致そう。日本再建は八月十五日に返ることから始まる。あの時の 陛下と国民に思いを馳せ、自分達が何をなさねばならないかに思うことから始まる。それが私にとっての慰霊であり、毎年の戦後の思いである。

先ずは「終戦の詔書」についてである。

朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑(かんが)ミ 非常ノ措置(しょち)ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ忠良(ちゅうりょう)ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)ニ告(つ)ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國(しこく)ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨(むね)通告セシメタリ
抑ゝ(そもそも)帝國臣民ノ康寧(こうねい)ヲ圖(はか)リ 萬邦(ばんぽう)共榮ノ樂(たのしも)ヲ偕(とも)ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範(いはん)ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措(お)カサル所
曩(ここ)ニ米英二國ニ宣戰セル所以(ゆえん)モ亦(また)實(じつ)ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵スカ如キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ 交戰已(すで)ニ四歳(しさい)ヲ閲(けみ)シ 朕カ陸海將兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精(れいせい) 朕カ一億衆庶(しゅうしょ)ノ奉公 各ゝ最善ヲ盡(つく)セルニ拘(かかわ)ラス 戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之(しかのみならず) 敵ハ新ニ殘虐(ざんぎゃく)ナル爆彈ヲ使用シテ頻(しきり)ニ無辜(むこ、罪の無い国民)ヲ殺傷シ 慘害(さんがい)ノ及フ所(ところ)眞(しん)ニ測(はか)ルヘカラサルニ至ル
而(しか)モ尚(なお) 交戰ヲ繼續(けいぞく)セムカ 終(つい)ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきゃく)スヘシ
斯(かく)ノ如(ごと)クムハ 朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし、国民)ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈(しんれい)ニ謝セムヤ 是(こ)レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應(おう)セシムルニ至レル所以(ゆえん)ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉(じゅん)シ 非命ニ斃(たお)レタル者 及(および)其ノ遺族ニ想(おもい)ヲ致セハ 五内(ごだい、内蔵)爲(ため)ニ裂(さ)ク
且(かつ) 戰傷ヲ負ヒ 災禍(さいか)ヲ蒙(こうむ)リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ
惟(おも)フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常(じんじょう)ニアラス
爾(なんじ)臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ 朕善(よ)ク之ヲ知ル 然レトモ 朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所 堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ 忍(しの)ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世(ばんせい)ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲(ここ)ニ國體(こくたい)ヲ護持(ごじ)シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんき)シ 常ニ爾(なんじ)臣民(しんみん)ト共ニ在リ
若(も)シ夫(そ)レ 情ノ激スル所 濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ 或(あるい)ハ同胞排擠(はいせい、他を押しのけ陥れる。) 互ニ時局ヲ亂(みだ)リ 爲ニ大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒(いまし)ム
宜(よろ)シク擧國一家子孫相傳(あいつた)ヘ 確(かた)ク神州(しんしゅう)ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 總力ヲ將來ノ建設ニ傾(かたむ)ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ 志操(しそう)ヲ鞏(かた)クシ 誓(ちかっ)テ國體(こくたい)ノ精華(せいが)ヲ發揚(はつよう)シ 世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサラムコトヲ期スヘシ
爾(なんじ)臣民(しんみん)其(そ)レ克(よ)ク朕カ意ヲ體(たい)セヨ
御名御璽
昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣男爵 鈴木貫太郎
海軍大臣    米内光政
司法大臣    松阪廣政
陸軍大臣    阿南惟幾
軍需大臣    豊田貞次郎
厚生大臣    岡田忠彦
国務大臣    櫻井兵五郎
國務大臣    左近司政三
國務大臣    下村宏
大蔵大臣    廣瀬豊作
文部大臣    太田耕造
農商大臣    石黒忠篤
内務大臣    安倍元気
外務大臣兼
大東亞大臣    東郷茂徳
國務大臣    安井藤治
運輸大臣    小日山直登

多くの人には読みなれぬ文章だろうから一応私なりに読みやすくはしてみた。それでも、 先帝陛下が断腸の思いで国家国民に告げられたものであるから原文を崩さないことを心がけた。文字数にすれば八百余字に過ぎない。 陛下が私達に語られていると思い、心と姿勢を正して読んで戴ければと思う。

各大臣名まで書いたのは、この詔書に署名する時の大臣1人1人が万感の思いで声涙とともに筆を握ったと思うからだ。その思いは玉音放送を聞き、この詔書を読んだ当時の国民の思いでもある。

福岡縣護国神社と陸軍墓地に参ってきたが、心空しうして英霊の前に立てば、聞こえるものは、ただ「忠」の一字である。「天皇陛下万歳」はその「忠」と同じである。今日は「忠」を「まこと」と読みたい。特攻隊始め、多くの軍人達が「天皇陛下万歳」の声を残して死んでいった。私には彼らのその時の「天皇陛下万歳」が、「祖国よさらば。 天皇陛下がおわしますれば日本も家族も大丈夫。私は最後の決戦に挑む。みんな後を頼むぞ。」と聞こえる。

戦前は「忠孝」と言う言葉があった。人間の「まこと」を表す言葉である。戦後の日本にはの誠を表す言葉がない。戦前の日本人にとって「忠孝」は言葉では無く、日々、人間としての生きるべき真実であった。それを「道」と言った。今の日本には「言論の自由」はあるが、その言葉に「まこと」「真実」がない。私達現代人は先人達に学ぶべき多くのものがある。その最大のものは「まこと」だ。人間として最も大事なものは「自由」でも「平等」でもない。私達の祖先達は「不自由」「不平等」のなかで立派に世界に通用する人間として生きた。それは彼らが「まこと」「真実」に生きていたからだ。現代人は「忠孝」は封建の言葉で見向きもしない。それなら、現代人が己の家族や祖先を尊ぶこと先人に勝るか。口先だけで、家族や祖先を尊ぶ心を失った現代人が、簡単に歴史を批判すね資格などない。我々よりも真摯に生きた人間に感謝も覚えず、頭も下げられぬ輩は日本人でもないし、人間でもない。

私も含めて今の人には彼らの言った「忠」の本当の意味は分からぬと思う。言葉としては分かるが、死して祖国を守らんとした先人の「忠」に込められた思いは分かりはしない。何故なら私達日本国民は戦後70年の間に日本人の魂を失わされたからである。歴史を奪われたからである。歴史を奪われるとは魂を失うことなのだ。だから私は死んでも戦後を認めないし、「日本国憲法」と詐称するものを認めない。「占領基本法」の下で生きねばならない我が身を恥じる。

福岡の陸軍墓地には、日清戦争・日露戦争、上海事変シベリア出兵、支邦事変・大東亜戦争の殉職者の慰霊碑がある。そして、蒋介石をして「武人の鏡。我が軍も学べ。」と言わしめた拉孟守備隊の慰霊碑。ガダルカナル島の殉職者の慰霊碑もある。何故か明治維新の志士の碑もある。いつもきれいに掃除されてある。

だが、参拝する人は少ない。終戦記念日というのに若い男性が1人と私だけであった。そして、悲しいことに国旗(半旗)は揚がっていない。掲揚台のポールが悲しい。これが現実なのだ。今の日本人の現実なのだ。言葉だけの「平和」そして「感謝」。「生命の尊厳」を口にしながら、己の祖先を敬うことを忘れ、その尊き生命を擲って戦った先人を祀ることの無い現代人。そういう輩を「人でなし」と批判できぬ現代社会。

私達に残された使命は何よりも、次の世代に日本の心を取り戻すことだ。日本の未来はそこから始まる。それが私の思いである。

(ばば・よしひさ)昭和24年、福岡県八女市に生まれる。国士舘大学政経学部政治学科卒業。プール事故で首の骨を折り障害者となる。平成19年、参議院選挙福岡県選挙区に立候補し落選(35,942票)。平成27年、北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会代表に就任、平成29年に病気加療のため退任。

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