立民・泉代表が参拝して非難殺到 乃木神社の御祭神・乃木希典とは?

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令和5年1月1日、立憲民主党の泉健太代表が自身のTwitterで乃木神社の写真を添えて新年の挨拶を投稿したところ、同党の一部支持者から「なぜ乃木希典という帝国軍人を祀る神社に参拝したのか?」「軍国主義賛美」「恥を知れ」などと非難が寄せられている。

元文科省事務次官で左派言論人として活動する前川喜平氏は、泉代表の投稿に以下のようにコメントした。

明治天皇に殉死した長州閥の軍人を神と崇める行為。無自覚なのか意図的なのか知らないが、これにより失う支持者は、得られる支持者より多いだろう。

前川喜平 Twitter

これに対し泉代表は以下のように反問している。

何だか息苦しいですね…。 今年は幾つかの寺社を詣でましたが、近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが「軍人を神と崇める行為」とされるとは…。 武人や軍人を祭神にしている神社は全国に多数あります。初詣に行くと軍人崇拝なのですか?

泉健太 Twitter

他にも「軍国主義に追従すると批判されても仕方ない」という投稿に対して「そうした考えの方がよっぽど危険」「本当に失礼な話」などと応酬している。

乃木神社の御祭神・乃木希典大将とは

乃木神社は少なくとも国内に5か所あり、乃木希典のぎまれすけ陸軍大将を御祭神としている。乃木大将は長府藩士の家に生まれ、幕末には奇兵隊に加わって幕府軍と戦った。維新後に建軍された帝国陸軍に少佐として22歳で任官。秋月の乱や西南戦争では鎮圧側として戦っている。

明治25年に始まった日清戦争では旅団長として出征し、旅順要塞を一日で陥落させるなどの活躍を見せた。その他にも数々の武功を挙げ、中将に昇進。明治29年には台湾総督に任じられ、治安確立に奔走した。

明治37年には日露戦争に司令官として出征。日露戦争では二人の息子が戦死している。戦争中に陸軍大将に昇進し、旅順にあったロシア帝国の「永久要塞」を攻略。世にいう旅順攻囲戦である。その後、奉天会戦と呼ばれる史上稀に見る大規模会戦にも勝利した。

しかし帰国後、明治天皇に謁見した乃木大将は将兵に多大な犠牲を出したことを涙ながらに報告し、自刃して詫びたいと申し出た。明治天皇はこれを押し留め、「どうしても死ぬというのであれば朕が世を去った後にせよ」と述べたとされる。

明治40年、明治天皇の命により学習院長に就任。翌年からは裕仁親王(後の昭和天皇)の教育にあたっている。

明治45年(=大正元年)に明治天皇が崩御すると、大喪の礼が終わった直後に妻・静子とともに自刃、殉死した。この時、乃木邸近くの「幽霊坂」と呼ばれていた場所が「乃木坂」に改名されている。

乃木希典大将はその類まれな武勲と人格により世界各国から英雄として称賛された。特に日露戦争では捕虜となった敵将ステッセルに帯剣を許したまま会見を許し(水師営の会見)、その名誉を重んじたことでロシア人までもが英雄として讃え、イギリス・フランス・ルーマニア・チリなどが勲章を授与した。

没後、日本各地で乃木神社創建の機運が高まる。ちょうど100年前の大正2年、乃木邸の敷地内に乃木夫妻の霊を祀る祠が建立され、後の乃木神社となった。続けて京都、山口、栃木、北海道など、乃木大将ゆかりの地に乃木神社が建立されている。

ちなみに、泉健太氏の選挙区内(京都市伏見区)にも乃木神社があり、こちらは明治天皇を埋葬する伏見桃山陵の麓に位置している。

立憲民主党の本庄さとし衆院議員は泉代表のTwitterに「京都市伏見区出身の一人として肌感覚を言えば、乃木神社は地元では大人から子どもまで広く慣れ親しんだ神社」「近所の公園に行くのと変わらない感覚で、地域に溶け込んでいます」とコメントした。

人を神として祀る神社

古来、日本の神社において実在の人物を死後に神として祀る例は少なくない。

有名な例では菅原道真を祀る天満宮、徳川家康を祀る東照宮があり、明治以降では西郷隆盛が南州神社、東郷平八郎が東郷神社に祭神として祀られている。乃木大将と同郷の吉田松陰には松陰神社がある。

故人を神として祀る目的は、その英雄的事績を顕彰することとは限らない。

例えば武人・平将門は神田明神など複数の神社で祀られているが、その背景には怨霊信仰があり、祟りを封じるという要素も見られる。大宰府へ左遷された菅原道真も元は祟り神(怨霊)であったが、現在は学問の神様として信仰を集めている。

神社は日本の歴史と文化を表す、日本人の営為そのものだ。その神社参拝を「軍国主義讃美」などと的外れな非難をすること自体が、日本社会から浮いた行為と言うべきだろう。

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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