インド仏教復興運動と日本人僧侶の知られざる関係

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龍樹菩薩(Wikipedia)
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令和4年(西暦2022年、皇暦2682年)9月4日、インド仏教復興運動の指導者として著名なインド共和国元少数者委員会仏教徒代表・佐々井秀嶺上人の側近である亀井龍亀上人が京都府宇治市の臨済宗系寺院「京都光明地蔵院」で講演し、NPO法人日印友好協会理事長・岡本幸治大阪国際大学名誉教授と会談した。

インド仏教復興運動は、西暦12世紀に一度断絶した仏教を復興させようとする運動。インドの最大宗教であるヒンドゥー教はカースト制度による差別を肯定しており、特にそのカースト制度にすら入ることのできないダリット(旧不可触民)は今でも激しい差別を受けているため、多くのダリットが仏教へと改宗している。

佐々井秀嶺上人は日本の真言宗僧侶であるが、「実践仏教」を掲げて仏教復興運動のため半世紀以上インドに滞在し、帰化して少数者(マイノリティ)委員会の仏教徒代表(副大臣相当)を務める等してダリットの差別からの解放や仏教の史跡の保護、仏教徒や改宗希望者への支援等を行っている。

インド仏教復興運動とは

インドの仏教はアショーカ王の時代に最盛期を迎えたものの、その後衰退に向かっていった。カースト制度の根強いインドでは、カースト制度を肯定するヒンドゥー教の影響が大きい。

西暦12世紀にはイスラム教の侵入もあり、仏教は事実上壊滅した。

インドの多数派の宗教であるヒンドゥー教では、釈迦をヴィシュヌ神の化身として崇敬はしているものの、カースト制度廃止を始めとする釈迦の説いた教義自体は「ヴィシュヌ神が敢えて間違った教えを弘めた」と解釈している。

ヒンドゥー教はヴィシュヌ神の時代からシヴァ神の時代へ必然的に交代するという歴史観を持っており、ヴィシュヌ神からシヴァ神への移行の際に秩序が必然的に乱れるため、「秩序を乱す主張」(カースト制度廃止も含まれる)をする人たちを方便として導いたのが釈迦であるとする。

釈迦が悟りを啓いた場所であるブッダガヤ(大菩提寺)もヒンドゥー教による支配下でシヴァ神を信仰する寺院に管理され、一時期は仏教の不殺生戒も無視されて動物を生贄にする儀式が行われるなど、「釈迦を崇敬はするが仏教の教義は否定する」というスタンスが長くインドの主流を占めていた。

その背景にはインドではカースト制度が秩序維持のために必要であると言う考えが根強くあり、『インド共和国憲法』でカースト差別が禁止された今でも、その影響は強く残っている。カーストによる差別に反対したガンディーすらも「カーストによる分業は必要」と言う見解を最後まで捨てなかった。

これに反対したのが不可触民出身のインド共和国初代法務大臣であるビームラオ・アンベードカルである。アンベードカルは憲法にカーストによる差別撤廃を書き込むことに成功したほか、カースト制度の根強いインドでは民主主義を導入しても上位カーストの人間が選挙で当選することを危惧し(実際当時のインド独立運動家の多くはガンディーも含め上位カースト出身であった)、各級議会でダリット(旧不可触民)の枠を認める「分離選挙」を要求した。

分離選挙によりヒンドゥー教徒の一体感が失われることを危惧したガンディーは「死に至るまでの断食」を宣言してアンベードカルに分離選挙の撤回を迫ったが、最終的にアンベードカルに妥協して選挙人は全有権者とするものの候補者はダリットに限定した「留保議席」を設定することになり、今に至るまでその制度が実行されている。

一方、カースト制度の根幹であるヴァルナ(人間をバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの四階級にする分類する制度)を「ヒンドゥーイズムと一体である」とするガンディーらの主張を受け、アンベードカルは「ヒンドゥー教徒のまま死なない」と宣言した。

西暦1956年、逝去寸前のアンベードカルはミャンマーから招聘した僧侶を導師にマハラシュトラ州ナグプール県とその隣のチャンドラプール県で計約50万人のダリットと共に仏教への集団改宗を行った。インド仏教復興運動の始まりである。

その年のうちにアンベードカルは逝去したが、カースト制度を肯定するヒンドゥー教を捨てて仏教へ改宗する動きは今に至るまで続いている。

佐々井秀嶺上人とは

佐々井秀嶺上人は岡山県出身の真言宗僧侶で、若い頃出家を求めたが叶わず、求道の際に三度の自殺未遂を経験し二度目の自殺未遂の際に助けられた僧侶の縁で真言宗智山派の高尾山薬王院貫主・山本秀順上人の下で得度、さらにタイの上座部仏教寺院へ留学生として派遣され、有部律(日本の真言宗やチベット仏教の比丘に授戒される具足戒)だけでなくパーリ律(上座部仏教の比丘に授戒される具足戒)も受けるという、それだけでも異色の経歴の僧侶である。

佐々井上人の師である山本秀順上人は13歳の頃から高尾山で修行している筋金入りの真言宗僧侶であるが、日蓮宗や禅宗、浄土真宗の教義にも精通しており、戦前には顕本法華宗の門下が作った新興仏教青年同盟で活動するなど、宗派に捉われない人物でそれが佐々井上人の信仰にも多大な影響を与えた。

佐々井上人は日本で修行していたころから「実践仏教」を掲げていたが、上座部仏教の修行において佐々井上人の望む実践仏教の答えは得られなかった。その際に日蓮宗系の日本山妙法寺がインドの王舎城で活動していることを知り、インドに渡航して以後40年以上帰国せずインドで活動する。

だが真言宗僧侶である佐々井上人が日蓮宗系寺院で活動することを問題視する声もあり、佐々井上人が悩んでいる処へ坐禅中に現れた龍樹菩薩から「南天龍宮城へ行け」との啓示を受けたという。

龍樹菩薩は日本では大乗仏教の創始者として知られ「八宗の祖」と呼ばれる。インドではアユールヴェーダの注釈書を書いた人物として知られている。なお、大乗仏教の精進料理の「五葷(ごくん)抜き」はアユールヴェーダやその影響を受けたオリエンタル・ヴィーガニズムと共通する(上座部仏教は肉食を禁じておらず、精進料理は大乗仏教の教義)。

「龍樹菩薩の啓示」は俄かには信じ難い話であり、事実日本山妙法寺の僧侶も半信半疑であったが、龍宮城はヒンディー語で「ナグプール」と言うと聴くと佐々井上人はナグプール県に向かった。奇しくもその場所がアンベードカルによる集団改宗が行われた場所だったのである。

この話には後日談があり、佐々井上人は本当にナグプール県マンセル市で初期大乗仏教のものと思われる遺跡を発見した。その遺跡は龍樹菩薩の遺跡の候補の一つとされる。

「”インドと言えばこうだった”というのが変わりつつある」亀井上人

9月4日、佐々井秀嶺上人の弟子で側近である亀井龍亀上人が一時帰国中に京都府宇治市の京都光明地蔵院を訪れ講演をした。

京都光明地蔵院は臨済宗妙心寺派第31代管長の西片擔雪老師の弟子で、先日逝去された稲盛和夫氏の兄弟子に当たる大熊良樹氏が主管の地蔵奉安堂。

亀井上人は冒頭「インドも他の国と同じように豊かになりつつあり、昔『インドと言えばこうだった』というのがちょうど変わりつつある時期。その変わり目の時にアンベードカル博士、また2500年前に悟りを啓いたお釈迦様、その流れの中に日本人佐々井秀嶺さんと言う方が関わっている」と説明。

アンベードカルの死後、復興したばかりで僧侶もいない状態であったインドの仏教徒を佐々井秀嶺上人が導き、結果として数千万人から1億5千万人と言われる仏教徒が生まれたと述べた。

また、インド政府の統計では仏教徒がかなり少ない数であるが、その背景として一部の州で制定されている『改宗禁止法』の存在やヒンドゥー教徒として戸籍に登録したまま被差別民の優遇措置を受けようとする人たちの存在もあることを指摘、インド社会が日本で言われているよりも複雑な状況であることを示した。

佐々井秀嶺上人が取り組んでいる大菩提寺(ブッダガヤ)奪還運動についても説明。

「皆様はお釈迦様がどこで悟りを啓かれたか、ご存知ですか?」

と問いかけ、参加者が「川辺の菩提樹の下で悟りを啓いたと聞きました」と答えると、

「その菩提樹の場所であるブッダガヤの管理委員会が、法律で仏教徒が4人、ヒンドゥー教徒が5人と、多数決を採るとヒンドゥー教徒が勝つようになってしまっています。そこで佐々井上人はその法律の無効を求めて裁判を起こし最高裁まで行っているのですが、最高裁が『何月何日に審理を行う』と言っても毎回延期になっています」

と、大菩提寺が仏教徒の管理を離れている現状について説明した。

大菩提寺はインド共和国ビハール州ガヤー県にあり、その管理委員会は仏教徒とヒンドゥー教徒の委員が各4名ずつとガヤー県知事が兼務する委員長の合計9人で構成されるが、ガヤー県知事に非ヒンドゥー教徒が就任した場合には別のヒンドゥー教徒を委員長にビハール州政府が任命する、ヒンドゥー教徒の委員の一人は現地のシヴァ神のヒンドゥー寺院の僧侶でなければならない、と言った信教の自由や民主的な手続きよりもヒンドゥー教の優位が担保される条項が法律に明記されている。

佐々井上人はそうしたブッダガヤ管理に関する法律は、その後の憲法改正により信教の自由が強化された現在において無効であると主張しているが、最高裁は現在に至るまで判断を避けている。

佐々井上人の生い立ちについても説明し、参加者からの「修行している中で佐々井上人に怒られた、或いは、怒られている人を見て印象に残ったことはありますか?」という質問に対しては「怒られた記憶、或いは、誰かが怒られているところを見た記憶、というのはあまり残っていないですね。年を取られて丸くなられただけかも知れませんが」と笑いを取りつつ佐々井上人の人柄を説明した。

「インドは人口も面積も日本の十倍ある」岡本教授

講演会にはNPO法人日印友好協会理事長である政治学者の岡本幸治大阪国際大学名誉教授も参加。講演会の前後には亀井上人と対談した。

写真:左から大熊良樹、岡本幸治、亀井龍亀。撮影:日野智貴

岡本幸治教授も佐々井秀嶺上人と面識があり、インド仏教復興運動の根拠地であるナグプールにも行ったことがある。

岡本教授は「インドは人口も面積も日本の十倍ある。マスコミ報道はデリーにいる記者が事件の起きた時のみ数日現地に行って取材した記事が多いが、それではどうしても偏ってしまう。だから私は毎年学生を連れてインドに行っているが、毎回違う場所に行くようにしている」と説明。

また「インドでは地域共同体が残っているが、最近経済発展と共に格差も拡大している。日本では高度経済成長期に地域共同体が急激に消えてしまった」と語った。

亀井上人は「インドでは地域共同体が辛うじて残っていますが、やはり経済発展に伴い共同体は弱くなってきているように感じる。例えば、昔は家の外に出て交流することもおおかったが、今では家が立派になるにつれ昼間は冷房の効いている自宅にいる方がいい、という風になりつつある」と説明。「私は『全ては一つである』と考えて人と接するようにしている」として、地域共同体の復興に繋がる信仰の実践を述べた。

岡本教授は「私もナグプールに再び行きます」と述べ、インド仏教復興運動を支援する考えを表明した。

求められる日本人からの支援

インド仏教復興運動は佐々井秀嶺上人が日本出身である他、霊友会や日本山妙法寺といった日本発祥の宗教団体が大きく関わっている。佐々井秀嶺上人も大菩提寺奪還運動への日本の仏教各宗派の協力を求めている。

また、アンベードカルの著書『ブッダとそのダンマ』には日本の学者の文章からの引用もある。多くの日本人の自覚以上に、日本とインド仏教復興運動の縁は深い。

亀井龍亀上人は今月中にインドへ戻るが、今後も必要に応じて日本とインドを往復する予定であるという。

日野智貴(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。日本SRGM連盟代表、日本アニマルライツ連盟理事。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。

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