私が見た「森友学園騒動」の裏側 居場所を失った“愛国者”の悲鳴とは

政治
この記事は約11分で読めます。

それは平成29年(西暦2017年、皇暦2677年)の5月下旬のことであった。

かつて私が修行していた、京都府宇治市の宝蔵神社の巫女の一人から電話がかかってきた。

「籠池さんが(宝蔵神社に)参拝しに来たよ!」

「うん? 誰?」

その巫女は政治に関心がある人物ではなく、むしろ政治的な話題を毛嫌いしている方であった。その方の口から出てきた意外なワードに、私は同姓の別人の存在を疑った。

「ほら、あの今テレビで話題の!」

「もしかして、あの森友学園の?」

「そう! その人!」

安倍政権側と、反日左翼側と。このどちらかしかこれまで報道されていなかった森友学園問題。

奇しくも、私はそのどちらでもない視点からこの騒動を知ることになる“歴史の生き証人”となった。

最初、私はこのことを「証言」するのは文字通り“歴史”になってからだと考えていた。籠池泰典氏本人からは当初から記事にする許可は得ていたが、騒動の渦中で踏み込んだ発言はどうかと思っていた。

しかし、籠池一家の“和解”が報道されるようになった今、私が見てきた、これまで報道されなかった森友学園騒動の「裏側」を伝えることは、むしろ必要になってきていると思う。

森友学園「問題」とは、小学校や幼稚園を巡る詐欺事件や売却事件が本当に“問題”だったのでは、ない。我が国で真に「尊皇愛国」を貫くことが如何に困難であるか、ということにこそ問題の本質があるのだ。

森友学園騒動を歪めた「菅野完」という人

宝蔵神社の起源は平安末期に遡る。ここには「平等院鳳凰堂」で有名な朝日山平等院の宝物庫である「宝蔵」があった。その地に出来たのが、宝蔵神社だ。

当初は、天台宗寺院(当時)である平等院の鎮守社と言う位置付けであり、天台宗系の神仏習合である「山王神道」の聖地であった。宝蔵神社のある山の名前も、そのままズバリ「山王山」だ。

そのような経緯もあり、戦後「万教帰一」を掲げる光明思想家の谷口雅春や宇治茶の老舗ある中村藤吉、当時の山崎平次宇治市長らによって再興された際も「神仏習合」の面影を強く残す神社となった。

祭神は住吉大神や大国主大神に加えて「阿弥陀如来」「観世音菩薩」「地蔵大菩薩」を祭祀するところにも、神仏習合色が出ている。勘の良い方はお気づきだと思うが、住吉大神や観世音菩薩を除くとこれらの神仏菩薩は全て、我が国においては「あの世」と関連として信仰されてきた存在である。

宝蔵神社は先祖供養や流産児供養で著名であり、夏には宇治観光協会主催の「全国有名盆踊り大会」の会場の一つにもなっている(元々は宝蔵神社の主催で、毎年数十万人参加している)。

籠池夫妻が宝蔵神社を訪れたのも、こうしたことと無関係ではない。

当時、籠池夫妻を取材していた菅野完氏は『宗教年代 第19号』の「森友学園・籠池家に近づいた顕正会」と題する記事で次のように述べている。

三男は二十一歳の時に自ら命を絶っている。長男・佳茂氏との間は比較的良好だったようだが、結婚する際に諄子氏とトラブルがあり、絶縁。今年になって森友学園問題が籠池夫妻を追い詰めるようになるまで、行き来はなかった。
(『宗教問題 Vol.19 2017年夏季号』97頁)

詳細はプライバシーに関するのでここでは触れないが、ここまで書くと籠池夫妻が森友学園騒動で大変な時に宝蔵神社を参拝された理由の一つが「家族愛」であったことは、多くの方は察することが出来ると思う。

私は籠池夫妻と直接お会いする前から、Facebookで籠池佳茂氏と連絡を取り合っていた。私が知っている籠池夫妻と佳茂氏の姿は「騒動、後」のものでしかないが、この時の両者の関係は極めて良好であった。

だが、皮肉にも佳茂氏が両親に紹介した菅野完氏が、この後の問題をややこしくしていくのである。

「帝国憲法の復原・改正」の持論を貫いていた籠池泰典氏

菅野完氏は籠池夫妻への取材を事実上、左翼メディア等に限定するように仕組んだ。そのため、当時巷間に流布した情報は恰も「安倍政権支持者」であった籠池夫妻が「リベラル派」へと“転向”したかのような印象を与えるものばかりであった。

また、安倍政権側も籠池夫妻を「左翼」側の人間を見做して攻撃していた。ある意味、詐欺事件等と自分たちが「無関係」であることを示すためのトカゲのしっぽ切りであった、とも言える。

左派勢力と安倍政権のいわば「共犯関係」によって籠池夫妻は「左翼」に仕立て上げられたのである。

だが、籠池夫妻がそうした印象操作とは無縁の場所があった。それが、宝蔵神社だ。

私は別に示し合わせたわけではなく、宝蔵神社で頻繁に籠池夫妻とお会いしていた。その際、籠池泰典氏は自分たちのことをブログやオピニオンサイトの記事にしても良いと何度か言われていたが、その時は記事にするタイミングでは無いと思い、今に至った。

(右)籠池泰典氏、(左)籠池諄子氏

実は、私の知る籠池泰典氏は全く“左傾化”など、していなかった。むしろ“真正保守”とも言うべき持論を展開していたのである。

「私は『大日本帝国憲法』の復原・改正が理想だと思う」

「憲法9条改正は意味がない。もう集団的自衛権を認めたんやから」

「第一次安倍政権と第二次安倍政権の安倍さんはな、人格が違うんや」

こうした籠池泰典氏の発言を、メディアが報道することは無かった。或いは、私にしかここまで踏み込んでは話していなかったのかも、知れないが。

私の知る限り、籠池夫妻は心から菅野完氏を信用している訳では、無かった。むしろ、懐疑的であったように感じる。

ちなみに、籠池泰典氏がもう一つ、「本音」を語っていた場所があったかも、知れない。それは「水商売」ルートだ。

当時、私と一緒にアニマルライツ活動を行っていた林佳苗さんと言う銀座のホステスが籠池泰典氏と会っている。その時林佳苗さんは籠池泰典氏について「本当の愛国者だ」と感じたという。

籠池泰典氏と会った場所が勤務先かどうかは、確認しなかった。(恐らく違う)

平成29年7月29日、私が宝蔵神社に参籠していると、籠池夫妻も参籠された。籠池泰典氏はこの時、私に「エネルギー安全保障についてどう思うか?」と言われた。

私はその時、環境問題の観点も含めてメタンハイドレートの活用やクリーン水素型燃料電池システムの構築によるエネルギー自給率向上のプランを述べたが、表向きは好意的な反応をしてくれた籠池泰典氏も内心では私に合格点をくださったかどうか、判らない。

翌日朝、籠池夫妻は宝蔵神社から旅立った。そして、そのまま逮捕され長い勾留生活を送ることとなるのである。

「左翼」と「安倍信者」しか存在を許されない国の悲劇

籠池一家の本当の受難は、ここから始まったと言ってもよい。

我が国には奇妙な“不文律”がある。マスコミは「左翼=反安倍政権」「保守=安倍政権支持」という図式でしか報道しない。「安倍政権に反対する保守派」は“存在自体”が無かったことにされる。

こうしたマスコミの図式で一番「得」をしているのが、政治家と政治活動家かもしれない。

どんなに腐敗しても保守派からの支持を受ける自民党議員。どんなに売国政策を推進しても政府の腐敗を糾す正義の味方として称賛される左翼活動家。

両者とも、とても“楽な商売”である。恰も「脱税をしても許される経営者」と「横領しても許される国税職員」みたいな存在だ。“良心の痛み”を度外視すれば最高の仕事であろう。

まさに、籠池一家を襲った悲劇はそのような我が国の宿痾なのだ。

籠池佳茂氏は両親の長期勾留に抗議をした。抗議に賛同してくれるのは左翼しかいなかった。

籠池佳茂氏

だが、籠池佳茂氏は森友学園騒動を利用しようとする左翼に不満を持っていた。ある日、籠池佳茂氏がFacebookに次のような投稿をしていた。

「瑞穂国小学院は神様が作った学校です。」

公には載らない私との個別のメッセンジャーからは、確実に左翼勢力への憤りを感じた。

「愛国教育」に賛同しつつ、安倍政権を批判するような活動は、事実上我が国ではできない。結局、翌年2月頃から佳茂氏は自民党に接近するようになる。

これを佳茂氏の「転向」と評価するメディアもあったが、私はそうは思わなかった。彼は自分が保守派としての信念を貫ける場所を求めただけである。

平成30年(西暦2018年、皇暦2678年)5月に籠池夫妻が釈放されて以降、メディア(特にネットメディア)は籠池夫妻と佳茂氏との対立を面白おかしく報じた。

だが、私はそうした報道は気にせずに双方と連絡を取り続けた。

私にとって、籠池夫妻と佳茂氏の“対立”など「関西人による派手な親子喧嘩」にしか見えなかった。関西人のノリを理解していない人が生真面目に反応しているのは、滑稽ですらあった。

双方と連絡を取り続けていた私から見て、両者に思想的な相違点は大して無かった。

令和元年(西暦2019年、皇暦2679年)には私はインドに行っていたので両者との接点は一時的に途絶えたが、同年11月に帰国後籠池泰典氏と会うと彼はいつもの調子でこう語った。

「安倍首相が目指しているのはな、社会主義市場経済なんや」

「そうですね、私も中国の習近平主席の政策は安倍首相の政策そっくりに見えます」

「君、それは違うぞ?習近平が安倍首相の真似しとるんやない、安倍首相が習近平の真似をしとるんや」

相変わらずの「『朝日新聞』も『産経新聞』も報道したくない」持論であった。

“偽りの構図”の裏で放置されるこの国の宿痾

今年五月になって籠池夫妻と佳茂氏とが「和解」したことをネットメディアは大きく取り上げたが、私にとっては「思ったよりも早くて良かった」ぐらいの感想しかない。

籠池ファミリーの家族愛の強さはずっと感じていた。いつまでも喧嘩をしたままのわけが無かった。ただ、世間体を捨ててまで和解されたのはまだ独身の私には理解できない苦悩があったことだと思う。それだけ籠池一家の家族愛は強いのだ。

一方、森友学園騒動でマスコミが報道しない“真の問題”は追及乃至解明されなければならない。こうした問題はすべて、この国の深い病巣に関わっているからだ。

第一に、「国交省疑惑」である。

未確認情報ではあるものの、今回の事件の背後に公明党がいる、という情報を得た私は籠池夫妻本人にぶつけてみた。

籠池諄子氏は「知らない。」と言ったので、私が「ガセネタだったか」と内心で思っていると、諄子氏が泰典氏に「ねぇお父さん、公明党が関わっているって話知ってる?」と話を振った。

すると、籠池泰典氏は「それはあると思う。財務省や大阪府の方の問題は出てきているのに、国土交通省の方からは何の問題も出てきてないやんか」と言われた。

確かに、今回の問題において財務省や大阪府の関係者はマスコミ等でも糾弾されているが、国土交通省の関係者が糾弾されたと言う話は聞かない。言うまでもなく、国土交通大臣のポストは公明党の“指定席”化している。

長岡昇元山形大学教授は「情報屋台」というサイトで次のように述べている。

公明党の議員はなぜ、この問題に触れないのか。その理由を探っていくと、一人の人物に辿り着きます。かつて国土交通相をつとめた冬柴鉄三代議士(故人)の次男、冬柴大(ひろし)氏です。1986年から大和銀行(現りそな銀行)に18年勤め、2004年にソニー生命保険に転職、冬柴元国交相が病没した2011年にソニー生保を退職して「冬柴パートナーズ株式会社」(大阪市)を設立しました。その代表取締役です。経営コンサルタントを業務とし、人脈紹介や助成金の申請援助を得意としている会社です。(中略)
日刊ゲンダイの電子版(3月8日)は、経営が思わしくない森友学園は小学校の建設資金に窮していたが、ある都市銀行が20億円を超す融資に応じた、と報じました。そして、その融資を仲介したのは「大臣経験者の子息A氏ではないか、という憶測が流れている」と伝えています。日刊ゲンダイの取材に対して、A氏は「その日に安倍首相と会食したのは事実です」と認めたものの、融資の仲介については「まったくありませんでした」と否定しました。この「A氏」が冬柴大氏で、融資に応じたのは彼がかつて勤めていた「りそな銀行」と見られています。

▽長岡昇「森友学園問題で公明党が沈黙する理由」
www.johoyatai.com

今回の事件に公明党が直接かかわっているという証拠はないが、当事者の一人である国土交通省の責任は当然に問われるべきである。財務省の決裁文書改竄についても国土交通省側が把握していたという報道があるが、文書改竄をどのタイミングで把握していたのか、もしも交渉途中で把握していたのに風向きが変わるまで指摘していなかった、とすれば大問題である。

第二に、より根本的な問題として「安倍政権と対立した保守派」に居場所がない、ということである。

もしも保守派の人間が安倍政権と対立しても自らの信念を貫ける環境があるならば、籠池一家が菅野完氏に振り回されることなど無かったのだ。

安倍政権は「新しい歴史教科書をつくる会」が事実上作成した自由社の歴史教科書を「検定不合格」にした。また、公費で天皇陛下の肖像を焼いた「あいちトリエンナーレ実行委員会」の会長である大村知事を愛知県知事選挙で推薦したのは安倍自民党であるが、彼らから反省の声は聞かれない。

他にも、「譲位」問題での不敬行為の数々、『日韓慰安婦合意』に『日台漁業取り決め』、「TPP11」、「一帯一路」と言った売国協定、共産党と一緒になって推進した子宮頸がん予防接種、人間と動物の境界を曖昧にする「動物性集合胚」作成解禁、片山さつき総務大臣が「中国と協力」して実現させると明言している「スーパーシティ構想」を始め、安倍政権の問題行動は数多い。

こうした問題を保守派の人間が批判してもマスコミは取り上げないし、それどころか政治活動の場も失う恐れが出てくるのが、今の日本なのだ。

私は森友学園に関する裁判の帰趨にはあまり興味がない。ただ、「愛国教育」を行おうとした人が安倍政権からも左翼界隈からも排除された経緯に、今の日本の大きな病を感じるのである。

日野智貴(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。関西Aceコミュニティ代表。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。

[clink url=”https://www.sejp.net/archives/4872″]
[clink url=”https://www.sejp.net/archives/4873″]

日野智貴

(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。日本SRGM連盟代表、日本アニマルライツ連盟理事。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。

日野智貴をフォローする
政治教育日野智貴社会
AD
シェアする
日野智貴をフォローする
選報日本
タイトルとURLをコピーしました