エスカレーターを乗る時のマナーとして昔教わったのは、歩く人のために右側を空ける、というものだった。ちなみに、関西では左側を空けるのが慣習になっている。このマナーは、エスカレーターを歩く人がいることが前提になっている。
しかし最近、駅などのエスカレーター付近に「エスカレーターでは歩かないでください」という啓発ポスターが貼られるようになった。何故だろうか?
一般社団法人日本エレベーター協会の公式サイトには、次のように記載されている。
エスカレーターの安全基準は、ステップ上に立ち止まって利用することを前提にしています。
平成29年7月、エスカレーターに乗った車椅子が転倒し、後方にいた他人が巻き込まれて死亡する事故が発生した。この時、車椅子を押していた人物は書類送検されている。この事故をきっかけに、「エスカレーターでの歩行禁止」が呼びかけられるようになった。
この事故を受けて産経新聞は、「エスカレーターでショッピングカート、ベビーカーなどによる事故が頻発し、平成23~27年の5年間に東京都内で計6724人が救急搬送されていた」などと報じている。
▽エスカレーター事故後絶たず 負傷や巻き添え死も…(産経新聞)
http://www.sankei.com/west/news/170722/wst1707220076-n1.html
車椅子やベビーカーの乗り入れは論外として、何故歩行もしてはいけないのか。前述の、日本エレベーター協会の公式サイトを参考に、以下にまとめてみた。
すり抜けざまに他の利用者や荷物に接触し、転倒する可能性がある。さらに、歩いたり走ったりする際に、バランスを崩して転倒する可能性がある。
エスカレーターは言うまでもなく、常に動いている。動いているものの上で転倒すると、本人だけでなく他人をも巻き込んだ大惨事に至る可能性があるのだ。
そもそもエスカレーターは人が歩行することを想定して設計されていない。海外では、エスカレーターの板が抜けて利用者が落下し、機械に巻き込まれて死亡する事故も発生している。
エスカレーターを設置している公共施設では、ポスターや館内放送によって歩行禁止を呼びかけている。しかし通勤時間帯の駅などでは、依然として片側を空けて多くの人が乗っており、その空いた場所を歩行する人が絶えない。
そこで、エスカレーターの片側を空けずに乗ることを呼びかけたい。もしあなたの地域で「エスカレーターの右側を空けることが慣習」なら、あえて右側に立つようにしよう。関西なら、左側に立つべきだ。そうすることのメリットを挙げてみたい。
(1)一度に運べる定員が倍になる
もし歩行する人がいなくても、片側を空けることで本来一度に運べる定員が半分になり、効率が悪い。通勤時間帯などは、エスカレーターに乗るために行列ができることもある。詰めて乗るべきだ。実質、定員がこれまでの倍になり、混雑も緩和される。
(2)片方の手しか使えない人も安全になる
怪我や病気、あるいは障害などにより、片手しか使えない人も世の中にはいる。右手しか使えない人がいて、その地域の習慣で右側を空けていると、その人は左側に立たねばならず、手すりに掴まることができない。どちらに立っても良いようになれば、手すりに掴まれて安全だ。
(3)本当は歩きたくない人も安心できる
たまたま乗ったのが右側で、前の人が歩いていると、自分も追随して歩かないといけないような気分になってしまう。前の人が止まっていれば、安心して止まっていられる。あなたが右側に立つことで、後続者は心の平安を得られるだろう。
(4)時間に余裕を持てる人が増える
とかく日本人はせわしない。時間に余裕のない人が多い。都市部ほどその傾向は顕著で、通勤時間帯の駅構内は多くの人が早歩きで、酷い時には走っていたりする。これはエスカレーターでなくとも危険だ。せめてエスカレーターでは立ち止まらざるを得ないようにすれば、翌日からはもう少し時間に余裕を持って家を出るようになるだろう。
(5)同調圧力に打ち勝つ精神力を鍛えられる
実際、通勤ラッシュの駅でエスカレーターに乗る際に右側(関西では左側)に立つことは勇気が要るだろう。後ろから、急いでいる人に怒鳴られることもあるかも知れない。無言の圧力も感じるだろう。ここで負けてはいけない。同調圧力にすぐ屈するのが日本人の短所だ。エスカレーターで、あえてみんなが空けている側で立ち止まるだけで、毎日自分の精神力を鍛えられ、今後の人生に役立つだろう。
まとめ
エスカレーターで歩きたいほど急いでいる人は階段を行けば良い。そもそもエスカレーターで楽をしながら、さらに歩いて時間を短縮しようなどと言うのは傲慢だったのだ。
常識やマナーというのは時代によって変わる。エスカレーターに関しては「歩かない」が今後の常識になる。そして「歩かせない」ためにも、あえて「片側を空けない」という、あなたの勇気ある踏ん張りが必要なのである。