「定住外国人」という言葉がある。今のところ明確な定義は確立されていないが、例えば外国人技能実習生のように、所定の期間が経過した後に帰国する「還流型」ではなく、生活者として日本に滞在する「定住型」の外国人を指す言葉として用いられる(今後、この言葉が市民権を得ていく際、用語の面で、既にある在留資格「定住者」との混同に留意が必要になってくる)。
人口激減社会に突入している日本は今、特に中小規模の企業を中心に労働力不足が顕在化しているという現実がある。未来に向けて成長を維持するためには、これによる経済の停滞は避けなければならない。
IT化により生産性を向上させるなどの方法もあるが、外国からの労働力に頼るということも一つの方策である。もちろん労働力不足への対応という視点については国内外含め賛否両論あるが、いずれにしても、「生活者」としての外国人に対する対応について明確に議論することは、今や不可避であろう。
日本に滞在する外国人(在留外国人)は現在2,471,458人(平成29年6月末時点)である。「外国人労働者が初めて100万人を突破」と報じられたのは、本年平成29年1月末のことであった。
この数字は年に一度すべての企業に対し、そこで働く外国人労働者の情報をハローワークに届け出た結果をまとめたものである。この数字には、本来就労が目的ではないものの、「資格外活動」として一定の制限の枠内でアルバイトなどを行う在留資格「留学」も含まれている。
在留資格別に見ると、特別永住者(334,298人)を除く中長期滞在者は2,137,160人である。この内、中長期滞在者の中で在留期間の制限がない資格が「永住者(738,661人)」である。永住者は在留外国人の構成比割合で最も多く、人数の面でも近年、増加で推移している。
平成28年末の国籍別永住者数は次のとおりである。歴史的な経緯もあるだろうが中国、ブラジル、フィリピンで約6割5分を占めている状況である。
【出典:法務省統計】
私が所属する団体にベトナム人の職員がいる。日本滞在歴通算8年、日本語能力検定試験の中で最も上のレベルである1級(N1:幅広い場面で使われる日本語を理解することができる)にも合格している優秀な男性である。日本文化への理解も深く、日本という国そのものを大変、気に入ってくれている。
ある時、彼に永住者の資格を取るつもりはないのかと尋ねてみた(現在、彼の在留資格は技術・人文・知識(技人文)である)。彼は次のように答えた。「日本は生活も便利だし、人も親切だし、とても暮らしやすい。でも、一生住もうとは思わない。なぜなら、やっぱり母国(ベトナム)が一番だから」。
私はこの言葉を聞いて、このように考えた。つまり、国がどれだけ制度や環境を整備したとしても、最終的に一人の人を動かすものは心である、と。同じ国内であっても、住み慣れた故郷を離れることには抵抗があるものだ。まして、それが他の国ともなれば、相当の覚悟を要することは想像に難くない。
もちろん、私の同僚の考えはあくまで一例であって、全体を代表するものではない。実際、彼に、他の知人・友人(ベトナム国籍)と日本に永住することについて話したことがあるかどうかも尋ねてみたところ、条件が整えば日本に永住したいと考えている知人・友人が多いということだった。
日本に在留するベトナム人は28年6月末を境にブラジル人を上回り(232,562人)、まもなくフィリピン人の在留人数(251,934人)に届きそうな勢いである。
現在、ベトナム人の永住者数は割合からすると2%弱ではある。ただ、上述した同僚の知人・友人の話、そして在留人数を加味すると遠くない将来、ベトナム人の永住者が増えてくることも考えられる。
先に私の同僚の例を挙げ、最終的に永住を決意させるものは、心ではないかと述べた。これは同時に、受け入れる側の我々にとっても言えることではないだろうか。さまざまな法制度が整備されたとしても、それだけでは「仏作って魂入れず」の状態である。結局そこには外国の方を「生活者」として受け入れていく我々の意識が大きく関わっている。
綺麗ごとであるかもしれないが、仮に労働という要素を除く、つまり外国の方から「おカネを稼ぐ」という目的を取り除いた場合、それでも住みたい日本であるのか。働く場において、不法就労など違法行為を安易に受け入れていないかといった基本的な事項を含め、我々の彼/彼女たちに対する接し方が今、問われている。