人類史は戦争の歴史であり、常に戦争は生まれている。なぜ戦争になるのか? 私が知る範囲では、「私が正しくてお前が間違っている」と言えば戦争になる。それに対して「私が間違っていて貴方が正しい」と言えば戦争にはならない。
そう判っていても、誰もが自分は正しいと主張する。自分を否定すれば、己の死か、敵の奴隷になることを意味するからだ。多くの人間はそれを拒否するから、誰もが自分こそ正義だと主張する。従って世界から戦争は消えない。
「正しさ」の追及が戦争の原因となる
思想や宗教の「正しさ」を追求すればするほど、ケンカや戦争の原因になっていく。そもそも思想や宗教は、仮説により成り立つが、現実世界は仮説に縛られない。
宗教の神は信じる者には有効でも、信じない者には価値が無い。そこで信じる者と信じない者に差が生まれ、そのような考え方(=正しさ)の違いが対立の原因になる。
理想と現実が一致しないとき、もし「現実を優先すべき」ということを理解できれば、戦争は減少する。しかし多くの人間は自分が正しいと考えるから、戦争は世界から消えない。
人間は環境の奴隷
人間は環境の奴隷だ。すなわち人間は環境に適応する様に生きている。環境に逆らえば自然界では生きていけない。だから自然環境に適用するように生きる。人間は環境に従うことで効率良く、怠惰に生きることができる。
国家は地政学(=環境)上、「大陸国家」と「海洋国家」に分けられる。
大陸国家は土地から利益を得ているから、土地の独占を目指す。土地の独占を効率良く行うには、人に上下関係がある方が効率的だ。すると大陸国家の内政は独裁的になり、反乱に備えることになる。逆に外国に対しては、融和的に振る舞う傾向になる。
他方、海洋国家は外海における海洋貿易で資産を得るから、外国との取引で強権的になる。そうしなければ貿易で利益が得られないためだ。すなわち外国は敵であるから、国内で民主的に振る舞うことで団結して外国からの介入に備えるようになる。
このように人間は環境次第で、大陸国家か海洋国家の国を作る。それぞれに歴史的な価値観が生まれ、考え方の違いとして国家間の対立の原因になる。
湾岸戦争時の主役
湾岸戦争でも対立関係にある当事国は、大陸国家と海洋国家に分かれていた。後のイラク戦争も、同じように大陸国家と海洋国家に分けられる。
戦争の種類
戦争の種類は複数存在する。国家の独立(人権)を守る戦争もあれば、覇権を争う戦争もあった。国内で主義・思想を争う内戦もあるし、分離独立のための戦争もある。
A:主権を守る
B:覇権を争う
C:利権を争う
D:主義・宗教を争う
E:国内権力を争う
F:植民地争奪
G:略奪
人類の戦争において、植民地争奪や略奪を目的とした戦争があったが、現在では消えた戦争になった。しかし他の戦争は今も世界各地で継続している。しかもその内、国民どうしが争う内戦が60%で、外国との争いである対外戦争は40%(※)だ。
※第二次世界大戦を含む2600年間の戦史統計(米国防総省)
出典:「The Encycllopedia of Military History」 R.E.dupuy & T.N.Dupuy,Harper & Row,1970
つまり人類戦争史の過半は同じ国民どうしが殺し合ってきた。外国との戦争は目的を達成すれば終わりだが、内戦は国家主権を争う戦争である。
敗北側は自己の生存権を失うので、双方の陣営は容易には戦いを終わらせないのだ。
国家の戦争目的
生存権(基本的人権)は国家が国民に与える(保証する)ものであるから、もし国家が消滅すればその国民は生存権を失う。従って国家は、国民の生存権を守るために外国と戦う。
基本的人権とは生存権であり、生存権を守るために自然権としての自衛権が認められる。そして自衛権は国民の生存権を総和とし、国家主権を守る自衛権に基づいて自衛戦争が発動されるのだ。
外国との戦争は政治目的によって引き起こされる。ということは、その政治目的を達成しさえすれば戦争は終わる。
戦争目的
国内戦争
一方、国内戦争は自国の主権を奪い合うか、新たに国家主権を生み出す分離独立戦争に分けられる。
国内戦争においては、勝った勢力が生存権を持ち、敗北した勢力はそれを失う。分離独立は新たに生存権の源を作り出す。これによって元の国家は自国の国土(利益)を失い、それに伴って生存権も弱まることになる。
このように、生存権が競合するからこそ人類は戦争を止められない。これが現実だ。
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上岡龍次(うえおか・りゅうじ)/戦争学研究家、昭和46年3月19日生まれ。愛媛県出身。九州東海大学大学院卒(情報工学専攻修士)。軍事評論家である元陸将補の松村劭(つとむ)氏に師事。これ以後、日本では珍しい戦争学の研究家となる。