戦後最大の宗教テロ組織 オウム真理教とは何だったのか?

人生観
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平成30年7月6日、オウム真理教の教祖だった松本智津夫死刑囚を含む、元教団幹部7名の死刑が執行された。同日に7名の死刑が執行されたことや、死刑執行のニュースがリアルタイムで流れたこともあり、内外に衝撃が走った。

弁護士団体などの死刑廃止論者からは当然ながら反発の声が上がったが、一斉に執行されたことや、死刑執行が中継されたかのように感じた人々からも批判的な声が見られた。

ただ、そもそも主犯と共犯は原則として同日に執行する慣例があり、一人が執行されれば他の死刑囚も続くことが予め報道機関にはわかっていた。(関連する裁判の終結、死刑囚の移送など、近く死刑執行されることも関係者には予測されていた)

死刑執行は事前には公表されないが、事後、五月雨式に公表されたために、速報を見ていた人にはあたかも実況中継されたように感じられた。高度情報社会ゆえの現象であり、政権が公開処刑のような効果を意図したとは言えない。

衝撃的だったオウム真理教のテロ

オウム真理教による一連の殺人、テロ事件が起こったとき、私は中学生だった。あの頃、阪神大震災や神戸連続殺傷事件など、社会に衝撃を与える出来事が頻発していた。

とくにオウムは、教団幹部が頻繁にテレビ出演し、麻原彰晃を讃える歌が学校で流行っていたし、教団の広報担当者(上祐史浩)の口癖をもじった「ああ言えば上祐」(≒ああ言えばこう言う)というフレーズが一種の流行語になっていた。

社会はオウム教団に対して猜疑心と嫌悪感を持って見ていたが、ある意味、面白がっているフシもあった。それが、地下鉄サリン事件のような大量殺戮テロを引き起こしたのだから、日本社会は恐怖に突き落とされることになった。

なぜ宗教者がテロを起こしたのか

教団幹部には高学歴の若者も多く、世間の人々は「どうしてあんなに頭のいい人がカルトにハマったのだろう」としきりに首を傾げたものだ。

そもそも、戦後の日本人には宗教とテロ(あるいは戦争)が結びつきにくい。何となく、宗教者は平和を求めるものだ、という漠然としたイメージもあるだろう。そういう文脈で、事件後は「オウムは宗教ではない、仏教でもない」という言説も見られた。

今回、同日に7人の死刑が執行されたが、その衝撃はオウム真理教による大規模な組織的テロ事件に起因するものだ。

うわべばかり平和な戦後日本にオウム真理教が与えた衝撃の本質が何だったのか、そこから日本社会は何か変わったのか。地下鉄サリン事件から23年、死刑確定から12年経ての死刑執行は、そのことを改めて考える機会になるだろう。

(つづく)

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本山貴春(もとやま・たかはる)/昭和57年生まれ。独立社PR,LLC代表。戦略PRプランナー。『選報日本』編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会副代表。福岡市議選で日本初のネット選挙を敢行して話題になる。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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