キリシタン大名の失敗に学ぶ「負けない組織」の作り方とは

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今回は、戦国時代における政治勢力としてのキリシタン大名について考えてみたい。

「キリシタン大名」とは、日本の戦国時代(15世紀末から16世紀末)に一定の領域を支配した「大名」の中で、キリスト教の洗礼を受けた者を指す。

著名なところでは、日本初のキリシタン大名といわれる三城城主・大村純忠(洗礼名:バルトロメオ)、軍師として名高い黒田官兵衛こと黒田孝高(洗礼名:シメオン)、「宗麟」の法名で知られる豊後領主・大友義鎮(洗礼名:ドン・フランシスコ)などだ。

「福者」になった戦国大名・高山右近

血で血を洗う戦国の世に於いて、なぜ名だたる武将がキリスト教徒になったのだろうか。それには、直接的には高山右近(洗礼名:ジュスト)の影響があった。

高山右近(1552-1615年頃)

高山右近は、大永2(1522)年に摂津(現在の大阪府北部と兵庫県南東部)に生まれた。築城に長けており、信長、秀吉にも重用された。高槻城主として、自らの領内でキリスト教の布教、教会の建築などを行った結果、領内の住民の多くがキリスト教徒になったという。

天正15(1587)年、秀吉がバテレン(宣教師)追放令を発布。棄教を迫られた右近はこれに応じず、領地・財産を捨て、加賀の前田藩に身を寄せた。

慶長19(1614)年、家康治世下の江戸幕府によるキリシタン国外追放令により、フィリピンのマニラに送られ翌年、客死。当時、日本へ布教に来ていた宣教師たちにより、右近の信仰心の篤さは海外でも知られるところとなっており、マニラでは熱烈な歓待を受けた。  

そして平成28(2016)年、右近は「地位を捨てて信仰を貫いた殉教者」として、教皇フランシスコにより「列福(聖人に準ずる“福者”認定)」されている。これは、第二次大戦後の日本カトリック界による右近列聖運動の成果である。

【列福】聖人の位にあげられる前提として、尊者の徳ある行為あるいは殉教によりその生涯が聖性に特徴づけられたものであったことを証して「福者」という敬称がつけられること。
【列聖】生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人として教皇が公に聖人の列に加えると宣言すること。

▽カトリック中央協議会公式サイト参照
www.cbcj.catholic.jp/faq/saints/

政治勢力になれなかったキリシタン大名たち

ここでキリシタン大名の広がりを、一種の政治勢力として考えてみたい。キリシタンといえども戦国大名として領国経営や戦争を行うことには変わりはない。バラバラだった大名たちは徐々に同盟関係を結んでいったが、基本的には独立していた。

戦国時代は大名だけでなく、一向宗や日蓮宗などの仏教勢力も、一大勢力圏を築いていた。信仰という特徴を持つゆえに、時に仏教勢力は地域のしばりを越えて連帯し、一種の政治勢力を形成していたのだ。

このことは現代においても当てはまる。それが「互助組織」という概念である。互助組織と聞くと一般的に、同業者団体や労働組合、生活協同組合などが連想されるかもしれない。

互助は読んで字の如く「(同じような環境・境遇にある人々が)互いに助け合うこと」であり、「相互扶助」と言い換えることもできる。

それが組織化されたものとして、ヨーロッパにおける商工業者組合「ギルド」や、産業革命以降の「労働組合」、日本の「講(一種の宗教結社)」などを挙げることができる。

それら互助組織を成立・維持させるには、「構成員が団結し自衛する方法」と、「強大な権力者の庇護を受ける方法」がある。特に後者のような場合は、庇護者を失うと立ち行かなくなってしまう危険性を孕んでいる。

互助組織が庇護者に依存せず、「構成員による団結と自衛」ができるようになれば、戦国時代の一部仏教勢力のように「政治勢力化」する可能性がある。

実は、高山右近が自国領内において、大々的にキリスト教の布教を行うことができたのは、時の権力者であった信長の存在が大きかった。

織田信長の安土城(復元・伊勢市)

信長は主に二つの理由からキリスト教を庇護している。一つは一向宗など自身に敵対する仏教勢力の台頭を抑えるということ。もう一つはヨーロッパ先進技術・資源の輸入である。

右近は信長のキリシタン庇護政策を背景として、大名や領民を教化して行った。しかし、信長亡き後、秀吉、家康がキリスト教を禁止し、前述の通り右近も追放される。江戸時代初期の「島原の乱」の例はあるものの、ついにキリシタンは政治勢力を形成するには至らなかった。

キリシタン大名の失敗に学ぶべきこととは

単に互助組織を形成するだけなら、権力者による庇護は心強く、効率も良い。しかし権力者の方針転換や政変に大きく左右されることになる。ましてや、政治勢力としての伸長は望むべくもない。

こんにち我々が生きていく上でも、互助組織に参加することには大いにメリットがある。とくに権力者に依存しない互助組織は強力な政治勢力を形成し政治を動かせるため、経済的にも恩恵を受けやすい。

組織を形成するとき、どんなに崇高な主義・主張であっても、経済的基盤が脆弱であれば継続することは困難だ。たとえそれが宗教組織であっても、構成員の「実利」を兼ね備える必要があるのだ。

権力者に依存せず、「構成員による団結と自衛」を基盤とする互助組織を発展させ、一大政治勢力を形成する。ここまでできれば、江戸時代のキリシタンのように迫害の憂き目に遭う心配もないだろう。

人々の生き方がますます多様化する昨今、現代日本人がどのような「新たな互助組織」を形成するべきか、キリシタン大名の失敗が一つのヒントになるのではないだろうか。

安部有樹(あべ・ゆうき)昭和53年生まれ。福岡県宗像市出身。学習塾、技能実習生受入団体を経て、現在は民間の人材育成会社に勤務。これまでの経験を活かし、「在日外国人との共生」や「若い世代の教育」について提言を続けている。

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