聴き手の心を揺さぶる表現力 福岡の超一流ピアニスト・菅谷怜子氏

福岡
菅谷怜子氏公式サイトより
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菅谷怜子すがやりょうこさんとの出会いは、ある会のオフ会でご一緒させていただいたのが、ご縁の始まりでした。その時は、まさか自分の目の前にいる、この華奢で控えめな女性が、これほど凄い演奏をなさる方とは思いもせず、まるで街のピアノ教室の先生に話すような気楽な調子で、下世話な話ばかりをしていた自分を今となっては恥じ入るばかりなのです。

令和5年10月8日、FFGホールで開催された菅谷怜子ピアノ・ソロリサイタル、その感想は、凄いものを聴いた、の一言に尽きます。私はピアノが弾ける訳でもなければ、芸術に造詣が深い訳でもありません。ただの素人クラシックファン、一好事家に過ぎません。ですから、前述のオフ会にいらっしゃった小川榮太郎氏が、菅谷さんを凄いと言っていても、それはあくまで地方の一女流ピアニストとしてはという留保条件付きのものだと思っていました。

その私が瞠目したのは、小川榮太郎氏がご自身のSNSで紹介された、菅谷さんが試奏されたラフマニノフのピアノコンチェルト第2番の冒頭を聴いたときでした。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番冒頭をいたずら弾きしてもらいました。まだ未練習ですが素晴らしく鳴ります。オケとの共演を目指して近く練習開始。 | By 小川 榮太郎 | Facebook
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番冒頭をいたずら弾きしてもらいました。まだ未練習ですが素晴らしく鳴ります。オケとの共演を目指して近く練習開始。

ぜひお聴きいただきたいのですが、何と重く濃密な演奏であろうかと思いました。私の聴盤歴、さらには現行の動画サイトに上がっている演奏と聞き比べても、この演奏に近いのは、リヒテルのあの歴史的な名盤なのです。自分でも訝しく思う程ですか、本当にそう感じるのですから仕方ありません。しかも、これは“流して走った”試奏なのです。

流してこれなら全力でやればどうなるか。これはもう実演で確かめる他はないと思い、駆けつけ、衝撃を受けたのが、先程述べた演奏会だったという訳です。

菅谷さんの実演をお聴きになられた方は、彼女の左手が実に力強く雄弁であることを容易に感得されたと思います。音楽評論家・宇野功芳風に言えば、物言うがごとき豊かな低音の表現力ということになります。

低音部は音楽の土台であり、低音が豊かであれば音楽には奥行きが出て、響きが充実します。音楽が立派に聞こえる訳です。そして、これはクラシック音楽の基本かつ伝統的な音作りです。

私は、菅谷さんの演奏を聴いた方々が、同じ優れた演奏とはいえ、なぜ同時代の演奏者ではなく、往年の巨匠の演奏を想起するのか、その理由が少しわかったような気になりました。良い意味での伝統的な音の造形感覚を彼女は持っているのです。

彼女がこれまで福岡という一地方都市にいて、今日はベルリン、明日はパリといったスタープレーヤーとは無縁の人生を歩んできたことは幸運な事でした。インターナショナルな世界と無縁であったがゆえに、伝統的で優れた物がそのまま純粋な形で残ったのだろうと思います。それはちょうど、かつて朝比奈隆氏のブルックナ-を聴いた本場オーストリアの方が、今どきこんなブルックナーが聴けるとはと感激したエピソードを想起させます。

私は、これから菅谷さんの演奏は時間の許す限り聴きに行こうと思います。もちろんリストの難曲を弾きこなすことからもわかる通り、彼女の演奏能力は卓越していますが、それ以上に聴き手の心を揺さぶる表現力こそが彼女の真骨頂だと思うからです。

往々にして機械は技術に敏感、心に鈍感です。彼女のCDはもちろん素晴らしいものでしょうが、さらにそれ以上のものが実演にはあるであろうことは、最近の彼女の演奏会を聴かれた方であれば、ご同意頂けるかと思います。

聞けば、菅谷さんはこれからベートーヴェンのソナタの全曲演奏に取り組まれるとのこと、欣喜雀躍とはこのことです。期待しております。

石原志乃武

(いしはら・しのぶ)昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

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