『幻想の√5』著者に聞く(前編)オウム事件を終わったことにしてはならない理由

令和元年5月、『幻想の√5(ルートご)なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか』という大著が出版された。著者は元塾講師でカウンセラーの中谷友香氏。兵庫県出身の女性である。

中谷氏はオウム真理教とは無関係だが、事件後、数奇な縁によって地下鉄サリン事件の実行犯などと面会を行うようになった。本書は、そのような受刑者たちとの交流を通じて中谷氏が見たオウム事件の深層を描いている。

同時に、中谷氏は本書を世に問うことで警鐘を鳴らしたいのだという。いったいその真意は何か? 独占インタビューを前後2回に分けて掲載する。

KKベストセラーズ刊『幻想の√5』著者・中谷友香さん独占インタビュー(前編)
聞き手:『選報日本』編集主幹・本山貴春

Q.そもそも何故オウム受刑者と会おうと思われたのでしょうか?

ある仲介者がいて、受刑者に手紙を書くことになるんですけど、事件のことは書かなかったんですよ。「事件のことをお聞きしたい」とか、そういうことを書いたわけじゃなくて、軽い自己紹介みたいな感じで手紙を送りました。

受刑者から返事が来て、むこうも事件のことについて直接は書いていませんでした。そのとき受刑者の葉書の文面を見て、報道でのイメージとのギャップをすごく感じました。そこで何度かやり取りしたあと、面会に行く事になりました。

受刑者の顔は報道などで公開されているので知っていましたけど、手紙の(丁寧な)文面と、(大量殺人という)行動のギャップがありすぎて、わからなくなっちゃったんですよ。もし報道のままの印象だったら会いにいかなかったかも知れません。

Q.死刑囚を含むオウム受刑者と会うのは怖くなかったですか?

それはよく聞かれます。けれど、逆に「何が怖いの?」って思いますね。

大量殺人者であっても、拘置所や刑務所で面会するときはアクリルガラスの向こうにいるんですよ。向こうが飛びかかろうとしても飛びかかれないし、ある意味むちゃくちゃ安全が保証されている「特殊な場」です。むしろ町中を歩く方が怖いかもしれません。

凶悪殺人犯であろうが、強盗殺人犯であろうが、面会室では何もできないんです。逆に外では監視する人もいないし、いつでも襲われる可能性がある。

私の場合は前半生において、具体的な事件の被害者になった経験があります。

編注:『幻想の√5』では、著者の子供時代、親との確執や暴行事件についても語られている。

危害を加えるはずがない人間から危害を加えられてきたわけで、それはあくまで具体的な危害なんです。だから、ただ受刑者と会うというときに他の人が予感する「漠然とした危害」には鈍感なのかも知れません。

しかし面会のために拘置所に行くことは、違う意味での怖さがありました。あの場所で「死刑という殺人」が行われているんだな、と。人が人を殺すわけですから、死刑も殺人です。それをここでやってるんだ、と。

編注:拘置所には未決囚=刑事被告人の他、死刑確定者が収容されている。一部の拘置所には死刑執行施設がある。

それは「見えないところで殺人が行われている場所」という怖さです。その恐怖はずっとあったし、今後行くことがあっても感じると思う。「今日も(死刑執行が)あったのかも知れない」というゾッとする恐怖。拘置所の奥の方で「ガチャン」って死刑が執行される瞬間にも、待合室には面会に訪れた人がいて、そこには日常がある。

日常と殺人が合法的に同居している場所って他にあります? そう考えたら、シュールな怖さがないですか? 可視化したら怖いと思います。それは直線的には浮かんでこないイメージかも知れません。殺人者が怖いというのは直線的に結びつきやすいけれど、日常風景の奥で頭から布をかぶせて死刑執行しているというのは、想像しなきゃならないから。

(それを想像してしまう)私は変わっているのかも知れませんね。逆にみんなよく平気でいられるな、図太いなって。

しかしオウム死刑囚の執行はわかりやすかった。いままでなかったじゃないですか。ニュース速報で「いま死刑執行しました」とか。リアルタイムの報道については色んな意見がありましたけど、日常の茶の間にリアルな形で死刑というものが突きつけられた一件でしたね。

速報された死刑執行

それまでは死刑というものが概念的でリアルじゃなかった。実際に死刑執行を中継したわけではありませんが、時間的にはリアルだった。あのとき考えたのは、家に幼いお子さんがいる家庭のお母さんがテレビをつけっぱなしにしたのだろうか、と。消した家庭もあったんじゃないか。

もし「教育上悪い」と言うんだったら、それは正義じゃないかも知れないじゃないですか。テレビを消した人がいたとすれば、それは(死刑制度を)考えなければいけない余地がある、ということですよね。

今回のことで、本当に「それは、正義なのか?」と考えてみる「余地」が大切だと思いました。

そして「死刑執行でオウム事件が終わった」という世間の反応に私は驚いています。まだまだ課題もリアルに活かされた日常であって欲しいと思うんです。

これは説明が難しいんですけど、私の場合、最も感受性が強い時期に毎日生きるか死ぬかっていう生き地獄を味わったので、そこに体感的なものがあるんです。そこまで追い詰められた日常を過ごした人というのもマジョリティではないですよね。だから私は考えることが他人とは違うのかな、とは思います。

『幻想の√5』著者・中谷友香氏(東京都内にて)

Q.元オウムの人々と交流して、どうしてあんな事件が起きたと思いますか?

前提として思うのは、あれは結果としての「テロ現象」だと思うんです。麻原が、具体的なテロ計画など話さないまま死刑が執行されてしまいました。

(オウム真理教=)テロリスト集団っていう表現にも疑問があります。そもそも(テロを)やった本人たちが、テロという自覚が希薄なようにも思いました。

テロっていうのは社会的行為で、意識が外に向いていると思うんです。しかし彼らの意識には「グル(尊師=麻原彰晃)と弟子の関係」っていうところに基軸があるんで、具体的な結果を想像できていなかったのではないかと思います。

彼らの「心の世界」に、具体的な「社会」のリアリティがなかったのではないかと言う事です。例えば、テレビ画面で見る海外の戦場のような感じだったのではないか。

結果を予測してない。「まさかこんなことになるなんて」っていうことでしょうね。そこまでの想像力が、実行犯たちにそもそも無かったと思います。(オウム信者に)社会全体へ視野を広げるようなことがなかった。社会の構成員としての自覚はなかった。

オウム真理教は、かなり閉鎖された環境、もしくは心理的な閉塞空間だったように思います。

信者の中には、漠然とした社会の矛盾というか、社会に対する懐疑心を持った人はいたと思いますけど、身体の具合が悪いからとか、オウムへ出家した理由が人それぞれ全く違う。オウムは当初宗教団体ではなかったんですから。

いま私の本(『幻想の√5』)を紹介しようと思ったら、「宗教の本はちょっと…」って敬遠する若い人がいるんですよ。とにかく、事件のことであろうがなんであろうが、宗教に触れなければ安全だと思っている。

だから怪しいスピリチュアルの謳い文句が、「宗教団体とは関わっていません」「宗教じゃありません」です。本当にそれが安心材料となるのでしょうか。オウムというのは、もともと宗教ではなく、元祖スピリチュアルであり、ヨーガ教室だったわけですよ。

むしろオウム事件以降、宗教法人格を取得するハードルが上がっていると思います。だからスピリチュアル・グループのリーダーが「うちは宗教じゃないですよ」って言ったとしても、単に法人格を取りたくても取れないだけかも知れないじゃないですか。仏陀だって「オレは宗教団体を開くぞ」と言って始めたわけではないでしょうから。

宗教法人格がなくても、宗教団体を名乗っていなくても、例えばスピリチュアル・グループのリーダーがいれば「その人」教なんですよ。みんな「騙されたら」って被害者になることばっかり考えていますが、発信している人たちは「気がつけば自分が麻原の二の舞になる可能性がある」とは考えてもいないのではないでしょうか。

(インタビュー後半に続く)

▽下記トークイベントでは、そうした現状に対する、獄中のオウム最古参幹部の声など、現在をお伝えしたいと思っています。

『幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか』
マスコミが報道しなかった!できなかった!
オウム死刑囚たちの肉声と素顔が明らかになる。
中谷 友香 (著)
ベストセラーズ

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