仕事の生産性を高める「教育制度改革」と「外国人労働者」を考える

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私は技能実習制度に携わり外国人労働者受け入れを考える中で、日本の労働現場の生産性向上が重要であることに気が付いた。

生産性の向上には「我々の働き方を改革する」「外国人労働者を受け入れる」、この2つが重要であると考えるが、前者は長期的、後者は短・中期的な戦略である。

特に働き方の改革は、我々の仕事に対する価値観と密接に結びついており、それは義務教育から高等教育に至るまでの教育制度とも無縁ではない。

これまで日本の外国人労働者受け入れの政策は、主として外国人労働者はいずれ自国に帰るという前提であった。現在は労働力を送り出している国も、生活水準の向上に伴い人材の供給が滞る可能性は十分にあり得ることである。

仮に「労働力不足を補う手段」としてのみ外国人労働者を受け入れるのであれば、受け入れる国を新たに求め続けたとしても、いつかは自国に帰るという前提である以上、根本的な解決にはならない。

企業現場における外国人労働者受け入れが進み、今やその数は100万人を超えるまでになった。しかし、「外国人(労働者)受け入れ」「移民」と聞くと、無意識に身構える日本人はまだまだ多いはずである。

これは「移民」という言葉そのものが、感情的な議論を誘発していることが一つの原因であると考える。

国連人口部による「移民」の定義は、「出生あるいは市民権のある国の外に12カ月以上いる人」である(この中には、外国人留学生やその他の長期滞在者も含まれるとされている)。

また国連経済社会局によると正式な法定義はないものの、「3カ月から12カ月間の移動を短期的または一時的移住」「1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住」と呼んで区別するのが一般的であるとしている。

この定義に基づくと、数字のうえで既に日本は十分「移民」を受け入れていることになると言えよう。この点において、「移民」という言葉に代わり新たに、生活者として日本に住む外国人を指し示す表現を定義することが必要になってくるのではないだろうか。

感情的な議論になりやすいテーマだからこそ、数値的な裏付けで説得力を持たせる必要が出てくると考える。

例えば、外国人労働者受け入れによる税収への寄与、或いはある企業が外国人労働者を受け入れることにより、これだけ生産性が向上した、といった具体的なデータだ。

また受け入れるという前提の下での環境整備も欠かせない。私が特に重要であると思う項目は、当人とその子女の教育、中でも日本語・日本文化の教育である。この点、長年にわたり「移民」を受け入れてきたドイツの「統合政策」は参考になる。

例えば、2011年の数値ではあるが、ドイツで統合学習に投じられた政府費用は2億1,800万ユーロ(約271億円)。これは全体予算1兆5,110億ユーロ(約128兆4,350億円)の0.00014%であり、割合として大きくはないのかもしれないが、国としてそれだけの投資をしていることに変わりはない。

これらの内容を仮に民間だけで行うことは、費用面など考慮しても、やはり限界がある。特に外国人労働者の子女の教育に関しては、NPO団体など民間の力によるところが大きかったのではないか。

もう一歩踏み込んだ内容にするためには、そこに資金を投じることだ。そうすることで、双方に取り良い意味での責任感が生まれることになり、見える成果も異なってくる。

平成29年度の日本の全体予算は97兆4,547億円。仮にドイツと同じ0.00014%の費用を投じるとすると、その額は約136億円となる。現在の日本で果たして、これだけの税金を「統合政策」に投じることに対する国民的合意は得られるだろうか。

ちなみに文科省予算は5兆3,567億円(5.5%)である。直接的にドイツのような統合学習に該当する項目は見当たらないが、「『次世代の学校』創生のための指導体制の強化等(1兆5,248億円※義務教育国庫負担金)」として、「教職員定数の改善」の中に「外国人児童生徒等教育の充実」という項目が挙げられている。

「教育制度の改革」と「外国人労働者の適切な受け入れ」、この2つのテーマを同時進行で議論することが、日本の将来を考える鍵になるのではないかと思う。

現在の教育制度は戦後、GHQによる一連の改革の一環として成立したものである。教育は国の在り方を方向付けるものであり、まさに人口激減社会を迎えている日本が国力を維持しながら、人材を如何に育てるかということは喫緊の課題である。

教育の制度自体を一朝一夕に変えることは容易ではない。とは言え、現実的に中小企業の現場では労働力が不足している。

これまで、国の根幹を成す「教育制度」と、日本人には敏感な「外国人(労働者)受け入れ」という課題が同じ土俵で公の場で議論されることは少なかったのではないか。

しかし、私はそれぞれを単独ではなく同時並行的に議論していくことが今こそ求められていると思うのである。未来の為に、その場しのぎの対策はもう、終わりにしなければならない。

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