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日本独立戦論:われらは誰の奴隷なのか

(執筆者 本山貴春)
 本稿の筆を執るにあたり、石原莞爾陸軍中将の代表的著作への敬意を込めて表題を決めた。中将の『世界最終戦論』は、西洋式の戦争を知らない当時と現在の日本人に、戦争のなんたるかを体系立てて教えてくれる教本であるかも知れない。もっとも本稿は同書を評価分析、あるいは翻案することを目的としない。ただ中将の、独自の世界観を打ち建てんとする心意気に敬意を示すものである。それにしても中将の理論構築における試みは遠大であった。ほんらい軍事戦略を立てるにあたっては、民族の風習、伝統、文化、宗教、そして文明に対する考察が欠かせない。そのうえで国家の世界戦略を夢想する戦略家が絶えて久しいところを見るに、戦前の日本人は幸福だったのだ。

 こんにちわが国の社会的、政治的、あるいは経済停滞、少子高齢化問題など、ほとんど解決不可能と思える重大危機は山積みだ。そして国際化圧力は増すことはあれ遠のくことはなさそうである。内政で迷い込んだ袋小路は、外交政策と不可分だ。わが国は国内問題に根本的変革をなしえない状況にあって、世界戦略などは夢のまた夢。しかるに口舌の徒ばかりいたずらに蔓延り、矮小な利権の奪い合いに精を出している。ある人は憲法が問題だという。ある人は報道が問題だという。またある人は教育が問題であるという。その何れもが問題なのだろう。そしてそれらの問題はすべて根で繋がっているのだ。私はずっとそのことを考えてきた。日本人が問題を解決できず衰退に向かう、その最深の根がどこにあるのかを。

 断言しよう、それはわが日本が独立していないことにあるのだ。さらには、日本国が独立国でないことにはっきり気づいていないことにあるのだ。昭和二七年に発効した「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」によって連合国はわが国の主権回復を承認した。しかし同年に発効した「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」という日米二国間条約によって米占領軍は引き続きわが国に駐留することになった。これはいかに言葉で装飾しようとも、あるいは両国当局者の胸の内に秘めた思いがあろうとも、外形的には「占領の継続」であった。

 概論するに、わが国の近代化は民族独立への戦いであった。開闢以来、海洋に護られて民族絶滅の可能性に際会した経験のないわれらの祖先は、安政年間に初めて「国民国家」という人類史上最強の外敵に脅かされ、危機に対応できない旧体制を打倒して維新政府を樹立、その原動力となった地方政府連合を糾合して中央集権化し、日本列島を国民国家化しようとした。討幕闘争に始まり、戊辰戦争、琉球処分、台湾、シベリアへの出兵、日清日露戦争、韓国台湾併合、支那事変、そして大東亜戦争に至るまで、これはすべて日本独立のための戦争に他ならなかった。アメリカ独立戦争をアメリカ人は革命戦争と称するが、近代日本の戦いはほぼすべてが「白人による世界支配」に対する革命戦争に他ならなかった。だからこそ、その戦いの途上にあるわれらが先人は、その戦いの先に世界戦略を描くことができたし、描く必要があった。さらには、わが国は大東亜戦争に敗れて連合国の占領下に置かれたが、それらの戦争を通じて願い続けた「植民地解放」を結果的に導いたのである。

 石原中将が予言したような、いつか決戦兵器が開発されて戦争が根絶される、という未来は予測可能な範囲において無いだろう。人類の自然状態は戦争状態であるという欧州知識人の認識は正しい。戦争は時代と場所によって形態を変えるが、かならず人は富を独占し、他者を退けることで自己保全を図る。ましてや生きるための資源が限られていることを知ったとき、人は愛のために人を殺すことを厭わない。私たちがふだん悪と思う行動が、母親の深い愛によってなされる事態を、日頃から想像しておかねばならない。

 ところで、殆どの日本人は日本国がアメリカ合衆国の影響下にあることを実感している。またアメリカ人の多くが日本を保護国の一つと看做している。そして日本民族は幕末までの防壁=海洋を、戦後の長期間、アメリカに見ていたのだ。確かにアメリカはソビエト連邦との対抗上、日本列島に大規模な軍事拠点を展開しておく必要があった。また、日本との熾烈な戦闘を経験した軍部や、有色人種に憎悪を抱く支配層が、なるべく長く日本を保護国にして再台頭しないように図ったこともあるだろう。しかしそれ以上に「アメリカ」という「代理の海洋」に護られて、人類自然の「戦争状態」から逃避することを(意識的にせよ無意識的にせよ)望んだのはわれわれ日本人なのだ。

 その証拠に、日本独立論を唱えると必ず「確かに日本は属国だが、その方が平和で、日本人は幸せなのではないか」という反論に突き当たる。そういう状態に半世紀以上の長きに亘って甘んじてきた結果が今日の衰退であるのだが、未だに多くの日本人は「奴隷の平和」を望んでいるのだ。これが、われらの祖先や子孫に対してとるべき妥当な姿勢であると言えるのか。また、白人の植民地支配に苦しんできながら日本の登場に希望を見た、有色人種諸国民への顔向けになるだろうか。

 もっとも右に記した、「(属国)状態に半世紀以上の長きに亘って甘んじてきた結果が今日の衰退である」という結論には世代間において同意の度合いが違うかも知れない。戦後の「高度経済成長」を肌身で知っている世代は、この果実が「奴隷の平和」の代償として与えられたものであると信じている。つまり、「軍備を放棄して経済復興を優先させる」吉田ドクトリンの信奉者である。しかし再軍備しなかったことと、戦後日本が経済的繁栄を享受したことは関係ない。その最初のきっかけは朝鮮戦争による特需であり、高度経済成長を牽引したのは人口増加、人口集中、そしてキャッチアップ型経営戦略の賜物である。欧米へのキャッチアップが完了して経済成長が止まったのは、むしろ再軍備しておかなかったことの帰結である。何故なら、防衛上の必要に迫られて高度な軍事技術に公的資源を集中させることで、国内の技術力を全体的に押し上げ、それら技術革新が新たな需要を呼び起こして経済を活性化させるというセオリーが、産業革命以来のモデルだからだ。「奴隷の平和」の代償は経済的繁栄ではなく、民族の滅亡に他ならない。

 それにしてもわれら日本人は、民族の滅亡について肌身で感ずることができない。大陸系諸国民は太古より相互に殺戮し合い、環境の変化に耐えられない民族は淘汰されて来た。数百年間延々と戦争を続けて強くなった西欧列強は無論、負け組のアフリカ黒人も奴隷貿易で舐めた辛酸を忘れることはない。イスラム社会も十字軍への復仇を忘れないし、東南アジア諸国も奴隷に戻ることは願い下げだ。ブリテン島は島国だったが大陸からの侵略者に備えねばならない距離だったので覇権国になった。わが国が初めて絶滅の危機に晒されたのは大東亜戦争敗戦時だが、すんでの所で本土決戦を回避した。神風特別攻撃隊をはじめとする日本将兵の高い士気は、アメリカをして日本民族根絶戦を思い留まらせる効果があった。占領政策において日本的道義を全否定し、表層的な人道主義で日本国民を洗脳せんとする最新のパブリック・リレーションが駆使されたことは合理だった。

 かつて明治政府が過剰な中央集権体制を構築したことは、日本を国民国家化するうえでどうしても必要なことだった。そして中央集権体制と徴兵制は不可分だった。すべての職業軍人は一つの国家に統制されねばならず、すべての国民は国土を防衛することで国家の構成員たる資格を得る。厳密に言えば徴兵制は政策にすぎず、志願制軍隊を採用したとしても原理的に国民皆兵なのが国民国家だ。しかるに敗戦後の日本では中央集権体制のみが(占領政策を円滑化するために)維持され、国民皆兵は否定された。占領軍駐留延長の名目のために国家の自衛権も明確に否定された。自由に戦闘できない自衛隊がこんにちも米軍の補完勢力に過ぎないことは論を俟たない。自らの権利が侵害されたときに国民が武力をもって(相手が自国政府であれ外国であれ)戦うことのできない国民に、主権はない。即ち現在の日本国は民主主義国家ではない。天は厭戦家に人権を賦与しない。

 もし祖国の将来を憂い、維新の先人に連なって変革者たらんことを志す者が在るならば、彼は必ず独立派でなければならない。祖先の大業を敬慕し、わが子わが孫の幸多からんことを念願する者が在るならば、彼は独立運動に身を投じねばならない。およそ男に生まれて女に恋し、あるいは女に生まれて男を慕う者が在るならば、それでなくとも他者を愛することを一時でも知った者が在るならば、こんにちの危機に際して独立戦争の狼煙を上げなければならない。独立への戦いは人類普遍の営みである。士規七則に曰く、「凡そ生まれて人となる、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし」。吉田松陰は自己決定権を持つ武士の戒めとして士規七則を説いた。自由人であればこそ道義が要求される。家畜や奴隷に道義は必要ない。前近代人に治者が施すのは圧政だ。そして圧政を隠すために用いられるのが「パンとサーカス」による大衆操作なのだ。

 いま日本人の多くが政治の機能不全に気づいている。「政権交代」も「地方首長の反乱」も、国民の怒りが底流にある。しかし未だ多くの日本人が、自分が何ものかの奴隷であることに気付いていない。そこに気付かない以上、幾度政権交代しても、公務員制度改革を成しても、道州制を導入しても、首相公選制を採用しても、日本国民は奴隷のまま生き血を吸われ続け、やがて民族丸ごと衰弱死するだろう。それは超高齢社会という、これまで人類が経験したことのない人口構造として目前に迫っている。無為無策の近未来には、町中に痴呆老人が徘徊し、彼らの死骸が放置され、さながら漫画のごときゾンビの景色が出現するだろう。そして少しでも富や若さを持てるものは海外に逃避することだろう。あるいは街々は流入外国人に占拠され、ましな地域は清朝末期の租界のようになるだろう。

 属国日本の執政官はいうまでもなく官僚機構であった。明治遺制の中央集権体制下、占領軍の権力代行者たる地位を獲得した官僚機構は産業統制を通じて利権を貪り続けてきた。官僚機構は経済界、学界、マスメディアの全てを掌中に収め、さながら働き蟻のごとき奴隷国民から富を吸い上げ、ひたすら浪費してきた。当然政治家もその一部だった。彼らはうまく国民の不満を逸らし、負のエネルギーをあらぬ方角にガス抜きさせた。戦後エリートの過剰な能力は円滑な国民統制のために総動員されてきた。一方、騙され続けたいと深層心理で願う臆病な国民感情がうまく作用してきた。日本国家を一個の生命体として観察したならば、何と長い現実逃避、そして緩慢な自殺であろうか。実際に自殺者数が増加し、精神病患者が増加しているのは、そのようなことと無関係ではない。

 私は長い間、敵はアメリカだと考えて来た。そして戦後日本で軍事クーデターも民衆蜂起も起こらないのは、在日米軍に恐れをなしているからだと思っていた。日本が核武装できなかったのも、隠然たる米国の牽制があったためだろうと想像した。しかし今やアメリカは自国に軍を引き揚げようとしている。日本だけでなく、世界に展開する派遣軍を撤退させたがっている。アメリカは自由の国と呼ばれる。これは「アメリカでは何をやっても許される」という意味ではない。アメリカ国民は自己決定権を持つという意味だ。アメリカは自国の利益のために全世界に派兵するし、自国の利益のために全世界から撤兵するのだ。もしアメリカが自己衰弱した日本に興味を失い、仮想敵とすら認めなくなってあっさりグアムまで引いたとしたら困るのは誰だろうか。それは虎の威を借りていた狐たちであり、狐に化かされて惰眠を貪ってきた奴隷たちである。私たちはアメリカを言い訳にして敗北主義に淫するような腐った根性と決別せねばならない。真の敵はアメリカではなく、卑怯で臆病な自己だったのだ。

 さて、独立派の闘士として本日決意を新たにした私たちは、これより如何すべきであろうか。われわれは残念ながら、そして当然ながら圧倒的少数派である。そもそも少数派である自覚的ナショナリストの中でもさらに少数寡兵に過ぎる。こんなことでは遠大なる独立運動を思い描くにも途方に暮れて夜が更ける。嗚呼、天はわれらを見離し給うたの乎!と嘆き悲しむのはまだ早い。われわれは凡百の政治ヲタクとは一線を隔する、独立派の闘士である。われらの範とするは人類史に誇るべき維新の志士なのだ。われらは武士道精神の隔世遺伝者でありたいと願うのだ。

 誰しも、誰を信頼すべきなのか判断する能力を持っている。相手が自己に対して害を為すのか益を為すのか、いずれ判断する能力は退廃の世にこそ研ぎ澄まされる。ソフトランディングなど望むべくもなく、ハードランディングするであろう今後の日本において、もしあなたが道義の心高く、自己犠牲の情熱を失わず、危機に際して果断に決断し、世のため人のために持てる能力の全てを費やす機会を得られたならば、周囲の大多数の人々は日頃研鑽を怠らぬあなたの思想に敬意を示すことだろう。そして、やがてあなたの(相対的に)急進的な思想は支持者によって宣伝され、いつしか地域のコモンセンスへと成長することだろう。あるいはあなたが幸運にも、歴史上有名無名の革命家のように自らの生命身体を放擲して行動する機会を得られたとき、あなたの理解者たちがあなたの行動を大いに正当化することだろう。

 真の自由を希求する独立派の同志諸兄よ、戦いは始まったばかりだ。われらは米国も共産支那も懼れない。ただ弱き日本の心根を憎む。だからこそ強くあろう。たくましい兄弟を育てよう。われらこそが独立者であろう。先賢の云う如く、一身独立して国家独立せしめるのだ。

※この文章は『国体文化』平成24年4月号(平成24年4月1日発行)に掲載されたものです。

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