「選択的夫婦別姓(氏)反対」のためにも“令和流家制度”構築の議論を

政治
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一部マスコミの世論調査では8割が賛成である選択的夫婦別姓(正確には、夫婦別氏)制度。

もっとも、内閣府の「家族の法制に関する世論調査」では、最新の平成29年版(一昨年)のものだと「賛成42.5%」「反対54.2%」と拮抗しており、反対論も根強い。だが、一見「賛成派」が優勢な印象があるのは「反対派の理由が判らない」というものが多いのではないだろうか?

言うまでもないが、夫婦同氏制度は「氏=名字」であることを前提にしており、そして、名字は平安時代後期から室町時代にかけて成立し近代に法制化された「家制度」と不可分のものである。

家制度が解体された今、「選択的夫婦別氏」どころか「選択的名字廃止」すらも、理論上は可能だ。かと言って、選択的夫婦別氏反対派の全てが「戦前のままの家制度復活」を求めている訳ではないだろう。

ここは、「選択的夫婦別姓」なるものの推進者の主張を逆手にとって「時代にあった家制度」の導入を、本格的に検討すべき時期に来ているのではないか。

「夫婦同氏=女性差別」というデマ

最初に念の為に言う必要があるのは、現行の「夫婦同氏」制度は決して「女性差別」の制度ではない、ということである。

選択的夫婦別姓の推進論者の多くは「夫婦同姓は女性差別だ!」と主張する。その時点で、彼らがこの問題について深く考えていないことが露になってしまう。

そもそも、今の時代の法律に「姓」など存在しない。公的な書類には「氏名」欄はあっても「姓名」欄は無いはずである。「夫婦同姓」や「夫婦別姓」というのはマスコミが言い始めたのだと思うが、それをオウム返しにしている時点で彼らは真剣にこの問題を考えていないことが露呈していると言えるだろう。

揚げ足を取っても仕方が無いので、本稿では「選択的夫婦別氏」と表現するが、選択的夫婦別氏論者が「夫婦同氏は女性差別」の根拠としてあげる「女性の96%が改氏をしている」というのも、夫婦同氏制度とは無関係の話である。

確かに、女性が男性側の名字に改氏するのはあくまで慣習ではあるが、その慣習には父系相続が当然とされた時代の名残という側面もあるし、また、いくらなんでも女性の96%が慣習を大切にする人ばかりであるとは、誰も思っていない。中には内心では「慣習なんかどうでいい!私は名字を変えたくない!」と思いながらも、夫側の強い意向や世間の同調圧力によって改氏を「させられた」人はいるだろう。

だが、それは夫側なり世間なりの「改氏を強制させた」人間が悪いのであって、制度のせいではない。

仮に「夫婦同氏制度のせいで改氏を強いられた!」という人がいたら、それは「天皇が国家元首だから戦争になった!」という人と同じぐらい、物事の因果関係が理解できていない人間である。そう言えば、この両者の主張をする者はどうも被っているように感じるのだが、気のせいだろうか。

ただ「夫婦同氏制度=女性差別」と言うのは、直接的に因果関係のない暴論ではあるものの、彼らは「理屈」ではなく「感情」でそう感じているのだろう。

人間は理屈に通らない主張をするとき、必ず「本音」である「感情」が存在する。それは古今東西変わらないものであり、いくら彼らの屁理屈を論破してもその「感情」が残っている限り、同種の主張は形を変えて登場する。

要するに「夫婦同氏は女性差別の家制度の名残ではないか!どうして戦後何十年経ってもそれを維持しているんだ!」というのが彼らの本音であり、それを要約したものが「夫婦同氏は女性差別だ!」というレッテル貼りなのである。感情的に要約しすぎて理屈は通らなくなってしまったが、彼らの「本音」は「家制度反対」であり、それがたまたま「選択的夫婦別氏反対」という形で噴出しているのに過ぎないのである。

事実、夫婦別氏賛成論者である「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」事務局長の井田奈穂氏は夫婦同氏が維持されてきた理由を「家父長制というものに味を占めたごく一部の人たちの強硬な反対によって、いままで変えられずにきた」とし、「姓の在り方だけが、いまも家制度のままなのです」としている。
井田奈穂「夫婦別姓を認めない日本の男性リーダーの女性蔑視思考とは」

反対派も本音は「家制度」を守りたいのではないか

一方、仮に「夫婦同氏制度は女性差別ではない」とこちらが懇切丁寧に説明したところで、選択的夫婦別氏賛成派は次に「個人の自由」を持ち出してくることは、目に見えている。

訴訟においても、賛成派はさすがに「女性差別だ!」の一本槍では勝てないと考えているのか、「個人の自由」ということを強調しているようである。

それに対する反対派の主張はどうなのかというと「家族の絆はどうなる!」「夫婦別姓こそが支那の家父長制的な制度だ!」と言ったものだが、失礼ながら、これらは説得力のある反論とは言い難い。

「家族の絆」と言うのはあまりにも抽象的過ぎて、保守派同士で盛り上がる分には効果的であるが、そもそも「家制度反対」が本音の人たちに言うと火に油を注ぐようなものである。

「夫婦別姓は支那の制度だ!」と言ったところで、我が国の朝廷は奈良時代から明治初頭に至るまで、その「支那の制度」を模倣した夫婦別姓を用いていたのである。「支那は男尊女卑だから夫婦別姓だったんだ!」等と言おうものならば、我が国にブーメランが帰ってきてしまう。

これについても、反対派の「本音」はもっと「感情」的なものだろう。

つまり「日本には折角、支那とは違うオリジナルの家制度があったんだ!なんで今さら欧米や支那に合わせないといけないんだ!」というのが本音のはずだ。

ならば素直に「家制度を復活させよ!」と言えばいいものを、流石に戦前の家制度を復活させられると困る、女性差別云々以前に時代錯誤な規定が多すぎる、等と考えているから堂々と「家制度を復活させよ!」とは言わないのではないか。

だが、歴史的経緯を見ても夫婦同氏と家制度には密接な関係がある。家制度を否定しての夫婦同氏は筋が通らないというべきであろう。

「家」と名字は一緒に成立した

古代、日本は『大宝律令』や『養老律令』と言った法律を制定、当時の戸籍では「夫婦別姓」であったと考えられている。律令国家が崩壊した後も、朝廷は公式な文書では近世に入っても「夫婦別姓」での掲載を続けた。

ここで言う「姓」とは「氏姓」のことである。「氏姓」とは「藤原朝臣」のように「藤原」という氏の名称と「朝臣」という姓(カバネ)のランクが一体化したものを指す。奈良時代の朝廷はこの「氏姓」を全ての国民が持つように指導しており、現存する戸籍や出土木簡を見ても、庶民階級の中でも「氏姓」を持つ人はいたようである。

木簡を見る限りにおいては、「大宅」「山川」「波田」のように現代でも名字として使用されているものがいくらか見られる。律令国家はかなり理想主義の体制であり、名字を全ての国民に与えるというのも、その理想主義の表れであろう。朝廷のそうした政策は庶民の間でも一定の効果を挙げていたと考えられる。

だが、律令国家崩壊に伴い朝廷はついに戸籍を作ることを放棄してしまった。正確な戸籍が無いのであるから、氏姓など僭称し放題である。しかも、一部の貴族や官人は有力農民を名目上「猶子」(形式だけの養子)にした。これにより、貴族や有力者と同じ氏姓を名乗る庶民が続出した。

結果、一説によると明治初期には日本国民の約8割が「源朝臣」「平朝臣」「藤原朝臣」「橘朝臣」のいずれかを名乗るようになっていたという。

これでは同姓同名が増えすぎて困る。そこで誕生したのが「名字(家名)」である。

この「名字」は私的に名乗られた「家の名前」である。そもそも「家」の意識が無いと「名字」は誕生し得ない。

例えば、中国や朝鮮でも「同姓同名」は多発したが、これらの地域では個人名である「字(あざな)」や先祖の出身地である「本貫」を名乗ることにより、同姓同名を回避した。日本でそうはならなかったのは、それだけ「家」の意識が強烈であったからだろう。

「名字」は平安時代後期から使用されるようになった。室町時代になると「名字」を名乗ることは一般化する。この頃には「氏=名字」という用法も生まれるようになったので、本来の「氏姓」については特に「本姓」と呼んで区別するようになった。

念の為に言うと、日本にも「字」や「本貫」の風習は伝わっていた。それでも、敢えて日本独自の制度である「名字」が多用された背景には、「字」や「本貫」では充分に表現できない「家の名前」を表現する必要があったからであるといえ、「名字」と「家制度」は一体であるということが出来る。

言い換えると、そもそも「家制度」を廃止してしまうと「名字」の存在意義はあるのか、ということになってしまうだろう。名字を単に個人を識別するためのツールであるとした場合、字や屋号で同様の役割を果たすこともできるからである。

選択的夫婦別氏論者の中には「(女性差別云々を抜きにしても)夫婦の両方が生まれながらの名字を変えたくない場合がある」という主張をする者もいる。これは名字を「家」ではなく「個人」の名前とする発想である。しかし、世の中のすべての人が名字にアイデンティティーを持っている訳ではない。親に虐待された人の中には「名字で呼ばれたくない!」という人もいる。

そうだとすると、一度「選択的夫婦別氏」を認めれば、今度は「名字で呼ばれたくない」「家制度が無いのにファミリーネームの制度を押し付けるな」と言ってくる人が登場することは、目に見えているのである。

「北条政子」「日野富子」に史料上の根拠はない

話を戻そう。選択的夫婦別氏論者の中には、最近は減っているものの「北条政子」や「日野富子」の例を出して「昔の日本も夫婦別氏だった」という人がいる。

しかし、実際には「北条政子」や「日野富子」と記された文書は残っていない。当時は女性の本名を文書に残す風習は無かった。無論、北条政子や日野富子レベルの大物女性となると市井の女性とは違い、公文書に名前が掲載されることもある。だが、その場合は「平朝臣政子」「藤原朝臣富子」のように「本姓」で記載された。言うまでもなく、それが朝廷の方針だからだ。

それでは名字ではどうなのかというと、直接的な証拠は無いので断言はできないが、状況証拠から少なくとも公家社会においては夫婦同氏であった可能性が高い、と言える。女性の本名を省略している文書は多いものの、例えば「名字+向名」で女性の名前を記している文書は少なくない。「向名」とは「北政所」等の社会的地位を表す言葉であり、今でいうと「課長」や「部長」「社長」に近いニュアンスである。そして、その場合名字は「嫁ぎ先の家」のものが使用されている。

現代で言うと、近衛家の娘が九条家に嫁いだ場合、会社では「九条部長」等と呼ばれる、ということである。これは「夫婦同氏」であると考えた方が理解しやすいだろう。

「本姓」と「名字」は無関係である

ここまでで次のような疑問を抱くものがいるかもしれない。

「名字はあくまでも、本姓の下位概念では無かったの?」

つまり、「藤原朝臣」という本姓がまずあり、その「藤原朝臣」というカテゴリーの人間の中に「近衛」「九条」「日野」と言ったサブカテゴリ―があるのではないか、と考えている方がいるようである。

しかしながら、それは正確であるとは言えない。

一例を挙げると、豊臣秀吉がいる。

彼は元々本姓を「平朝臣」としていた。これは織田信長が「平朝臣」を名乗っていたことと関係あるだろう。疑似的親子関係を結んで主君と同じ本姓を名乗ることは珍しくない。

一方、名字は当初は「木下」を名乗っていたことは確実だが、それについては妻側の名字であったという説もある。夫婦同氏を前提に考えると、夫が妻側の名字を名乗ることは今の時代でも普通にあることである。

秀吉はその後、名字を「羽柴」に変更した。当時は名字が私的な制度であったので、改氏は比較的容易である。こうして彼は「平朝臣羽柴秀吉」となった。

そして関白になる際、秀吉は近衛前久の猶子となった。近衛家は藤原氏の名門であり、これにより秀吉は「藤原朝臣羽柴秀吉」となったのである。

注意すべき点は、秀吉は「藤原朝臣」を名乗っても「近衛」は名乗っていない、という点だ。部下にも「羽柴」の名字を下賜している。「本姓」と「名字」ははっきり区別されているのである。

そして、彼は最終的に「豊臣朝臣羽柴秀吉」となった。この時、秀吉は信頼できる部下に「豊臣朝臣」の本姓を下賜したり、「羽柴」の名字を下賜したりしている。前者は彼がかつて近衛前久から(おそらくは、織田信長からも)受けた待遇と同待遇であることを示すものであり、後者についてはいわば「家族同然」の間柄であることを示すものであろう。

記録を見ると「豊臣朝臣」「羽柴」の両方を下賜された者もいれば、「豊臣朝臣」だけを下賜された者、「羽柴」だけを下賜された者も存在し、この両者が秀吉の中では分離されていたものと思われる。そして、それは秀吉だけの特殊な嗜好ではなく、秀吉に「藤原朝臣」の本姓を下賜しても「近衛」の名字は下賜しなかった近衛前久ら当時の公家たちにも共通する感覚であった。

これは私の推測だが、近衛前久からすると「庶民で藤原朝臣の本姓を名乗る者はこれまでもいたから別に良いが、誇り高い近衛家の一員としては認めてなるものか」という感覚であったのだろう。

逆に、秀吉は家来との疑似親子関係を強化するために「お前のことを家族だと思っている」とアピールする必要があった。なので彼は(豊臣朝臣の下賜をしなかった人たちにも)「羽柴」の名字を下賜したと思われる。だからこそ、江戸時代になると地下家(朝廷の下級役人)には引き続き「豊臣朝臣」を名乗る者はいたものの、「羽柴」を名乗る者はいなかった。さすがに「羽柴家の一員」を名乗るのは憚られたのだと思われる。

時代にあった「家制度」を考えるべき時期

名字と言うのはその成立からして家制度と不可分であり、家制度を法制化した明治31年の旧『民法』でも「夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した」(法務省「我が国における氏の制度の変遷」)のであり、つまり夫婦同氏の根拠は「同じ家だから」というものであった。

ただ、今の我が国で「家制度」というと戦前の制度そのままを連想する人が多いようである。

実際には、家制度の法制化の背景には「戸籍」を作るという事情があり、さらに徴兵制という、今でも韓国やロシアと言った国では採用されている野蛮な制度のあった時代に「男女平等」など絵空事に過ぎなかった、という事情もあり、戦前の家制度はあくまでも特殊な時期における、特殊な形態の(ただ、欧米列強の侵略から国を守る必要のあった当時においては合理的な)家制度であって、それが家制度の本質ではない。

今の時代には、まず徴兵制のような野蛮な制度は存在しない。そして、一般庶民の間で「戸籍」を利用する機会は減りつつある。身分証明には本籍地まで行って戸籍謄本を取得しなくても住民票だけで事足りるケースの方が多い。

それでは家制度が不要なのか、というと、それは違うであろう。家制度を本当に否定するべきであるならば、名字を法的に保護などせず、前近代のようにすべて「私的な名乗り」にすれば良い。だが、現に家制度と不可分なものである名字の法的廃止を求める世論はほとんど存在しない。

今の我々は、名字が「個人の名前」ではなく「家の名前」である、という認識を再確認するべきである。その上で、「もう既に家制度は廃止されたのであるから、名字についても慣習に委ねて法律で保護するべきではない」と考えるのか、それとも「時代にあった家制度を構築させよう」と考えるのか、を考えるべきだ。

私個人の考えで言わせていただくと、家制度には国家権力の私生活への干渉を防ぐ「中間団体」の制度保障である、という側面もある。男女平等な家制度の構築は可能であるし、形式だけでも家制度を遺すべきではないか。

それでは、どうしても夫婦別氏にしたい人はどうすればいいのか、と言うと、例えば『戸籍法』上の婚姻とは別の関係を法的に保障することも一案だろう。判例でも内縁の関係に婚姻に準ずる関係が認められていることがある。夫婦のあり方が多様化している今、結婚を巡る制度が一つしかないのは却って混乱の原因である。

つまり『民法』上で「婚姻」について様々な選択肢を用意し、その上で『戸籍法』上の「婚姻」については、夫又は妻のいずれかが相手の家に入る「入籍」である、と規定すればよいのではないか。既に「家制度の残滓である戸籍を利用したくない」という理由で事実婚を選択しているカップルも存在するので、この方式は家制度に賛成する国民には家制度に適った婚姻という選択を、家制度に反対する国民には戸籍に残らない婚姻を言う選択を与えるという、国民の思想及び良心の自由を尊重する制度でもある。

こう言うと「『戸籍法』上の婚姻を認めないのは不便である」という人もいるかもしれないが、それについては住民票等で工夫すればよい。既に述べたように、現在我々が日常生活で戸籍謄本を利用する場面は減りつつあり、主に住民票が使用されている。参政権すらも住民票によって付与されているのである。利便性云々を言うのであれば、そもそも戸籍自体を廃止すればよい。だが、戸籍を廃止すると様々な問題が生じるから戸籍廃止は行われていないのである(一例を挙げると、先祖の家系を除籍謄本等で確認することが困難となる)。

ならば、利便性重視なのはすべて住民票に統一して、元から利便性など重視されない戸籍については、家制度に基づいた内容にすればよいのだ。どうしても家制度が嫌いで夫婦別氏の婚姻をしたいものは、婚姻の事実を住民票だけに記して戸籍には記されないような制度にすればよいのである。家制度に反対している人間によってはその方が本人にとっても有難いであろう。

これは私の一案である。いずれにせよ、GHQの圧力で家制度が廃止されてから何十年もたつ。そろそろ家制度をどうするのか、日本国民の手で議論されるべきであると考える。

日野智貴(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。日本SRGM連盟代表、日本アニマルライツ連盟理事。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。

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日野智貴

(ひの・ともき)平成9年(西暦1997年)兵庫県生まれ。京都地蔵文化研究所研究員。日本SRGM連盟代表、日本アニマルライツ連盟理事。専門は歴史学。宝蔵神社(京都府宇治市)やインドラ寺(インド共和国マハラシュトラ州ナグプール市)で修行した経験から宗教に関心を持つ。著書に『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独――消えた古代王朝』(共著・明石書店、2020年)、『菜食実践は「天皇国・日本」への道』(アマゾンPOD、2019年)がある。

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