いつまでも「忙しい」と嘆く日本人 なぜ生産性が低いのか

人生観
この記事は約3分で読めます。

この世の中は不平等で溢れている。しかし、そのような中でも万人に対して平等なものの一つが時間である。

生まれたての赤ちゃん、大国の元首…。時、場所、その人が誰であるかを問わず、「1日24時間」という時間は、「平等に」訪れる。

“Put your hand on a hot stove for a minute, and it seems like an hour. Sit with a pretty girl for an hour, and it seems like a minute.”。アインシュタインは「相対性理論」を熱いストーブに手を置く時間と、意中の女の子の傍にいる例えで表現した。同一の時間尺度でありながら時には長く、また時には短く感じた経験のある方は少なくないだろう。

時間について考えることは、仕事の生産性を考えるうえで大変重要である。

公益財団法人日本生産性本部のホームページによると、生産性の代表的な定義は「生産諸要素の有効利用度の度合い(※ヨーロッパ生産性本部)」とある。数値は、算出(output)を投入(input)で除することで求められる。

日本の生産性、特に産業全体の約7割を占める第三次産業の生産性の低さが指摘されて久しい。政府、各企業とも試行錯誤をしながら生産性の向上に努めているが、一朝一夕に成し得るものではない。

生産性を向上させることで、昨今日本の労働現場、特に中小・小規模事業者を悩ませている労働力不足の解消にも繋がる可能性を秘めている。

上述した中小・小規模事業者は、技能実習生をはじめとする外国人労働力に頼らざるを得ない状況がある。

「職場を活性化させる」「海外との接点を構築する」といったように前向きな理由で外国の方を雇用することは大いに奨励されるべきだ。しかし、現下の技能実習制度に代表されるように、そもそも制度の主旨である「日本で修得した技術を本国へ移転する」という「建前」の下、労働力不足を補うという「本音」がいつまでも罷り通ることは、国の施策として決して健全ではないと考える。

もちろん、実習を終え帰国した後、日本で身に付けた技術を基に母国で自ら会社を起こす等、実際制度の主旨に適う事例もない訳ではない。

中小・小規模事業者日本企業の実に99.7%を占める。これらの企業が、自ら存続するため海外の労働力を必要としている現状を鑑みると、いわば「正々堂々と」(海外の労働力を)受け入れる手段を整備すべきである。

私は世の中において「時間の無駄」はあっても、「無駄な時間」はないと考える。なぜなら上述のように、どのような形であれ、1日24時間という時間は本来、それを与えられた我々一人ひとりの人生にとって、かけがえのないものであるからだ。

“It is not enough to be busy. So are the ants. The question is: What are we busy about?”(忙しいだけでは十分ではない。アリだって忙しい。問題は何をしていて忙しいかだ)。投資家ジョージ・ソロスの言葉である。

私は時間の有用性を考える際、いつもこの言葉を思い出す。限られた人生の限られた時間をどのように生きるか、我々がワークライフバランスを考える真の意義は、ここにあると思うのである。

タイトルとURLをコピーしました