【三島由紀夫没後50年】いまだに果たされぬ三島・森田の宿願とは

令和2年11月25日は「憂国忌」の日だ。50年前の昭和45年同日、作家・三島由紀夫が楯の会を率いて陸上自衛隊東部方面総監室に立て籠り、自決に至った。三島事件、あるいは楯の会事件と呼ばれる。

25日に先立つ23日は新嘗祭に由来する勤労感謝の日であるが、福岡市東区の筥崎宮では毎年この日に「福岡憂国忌」が開催される。「憂国忌」は全国各地で開催されており、最も有名なものは三島由紀夫研究会主催による東京の憂国忌だ。

福岡憂国忌は数ある憂国忌の中でも、50年間欠かすことなく続けられてきた最も古い憂国忌の一つである。はじめは民族派学生活動家などにより開催されていたが、昭和54年に「福岡黎明社」が結成され、世話人団体として福岡憂国忌を運営してきた。

三島由紀夫という天才は、様々な顔を持っているが、三島のどの部分に注目するかによって憂国忌の色彩も異なる。福岡憂国忌の特異な部分は、それが筋金入りの活動家らによって運営されてきた点であろう。

長らく福岡黎明社の代表を務めた辻幸男氏(故人)は、会社役員としての本業を持ちながら、福岡における国民運動(保守運動)の中心人物として活躍した。辻氏は小児麻痺によって脚が不自由だったが、仕事も運動も人一倍精力的だった。

故・辻幸男氏(福岡黎明社前代表)

福岡憂国忌は慰霊祭神事に始まり、檄文朗読などの式典を経て、記念講演が行われることが通例となっている。講師は保守系政治家、言論人の他、三島由紀夫と直接交流のあった人々が招聘されてきた。

講演終了後には主催者からの謝辞として福岡黎明社代表が挨拶するわけだが(現在は黒田光弘代表)、辻幸男前代表のそれは挨拶というよりは演説であり、非常に激烈だった。今年の福岡憂国忌のために記録映像を編集したところ、改めてその熱情に心打たれた。

その熱情の源泉こそ、三島由紀夫であった。楯の会事件では三島だけではなく、大学生だった森田必勝も自決している。辻幸男氏ら、当時の民族派学生活動家にとって、その衝撃は凄まじかったであろうことは想像に難くない。

三島由紀夫は楯の会会員へ向けた遺書(命令書)の中で、「三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘(かいこう)せよ」と述べた。恢弘とは、「押し広める」という意味である。楯の会に所属した学生に限らず、当時の民族派学生活動家の中から多くの保守政治家、言論人などが輩出した。

半世紀近くも福岡の保守運動を牽引した辻幸男氏は平成26年11月18日に急逝し、楯の会事件当時に学生だった人々も70代を超えている。来年以降も憂国忌を続けられる団体が、日本各地にどれくらい残るであろうか。

事件の衝撃を知る世代が減っていく中、いまだに三島由紀夫・森田必勝らが死を賭して訴えた宿願は果たされていない。それは憲法改正であり、自衛隊の国軍化であり、「敗戦の汚辱の払拭」である。

菅義偉政権は憲法改正のための国民投票法改正に向けて動き出したとされる。安倍政権が8年近くもかけて実現できなかった国会発議(即ち国民投票実施)に至るか不透明だが、緊迫化する国際情勢にもはや猶予はない。

三島由紀夫らが蹶起・自決という非常手段をとってまで訴えた「日本の危機」は当時理解されなかったが、いまは多くの国民が実感するものになりつつある。50年経って、三島の叫びがより鮮明に響いているのだ。

私たち日本人は、今こそ三島由紀夫の言葉を手繰り、その叫びに耳を傾けるべきである。そして三島の精神を己の精神とし、日本変革のために行動を開始せねばならない。

▽第50回福岡憂国忌のご報告/懸賞檄文結果発表(福岡黎明社)
https://reimeisha.jp

本山貴春(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。独立社PR,LLC代表サムライ☆ユニオン準備委員長。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡市議選で日本初のネット選挙を敢行して話題になる。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。近著『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』未来小説『恋闕のシンギュラリティ』(いずれもAmazon kindle)。

  1. 【2/19より】映画『めぐみへの誓い』全国で順次公開
  2. 【1月29日】フリーランスが集客するための情報戦略講座

公式SNSで配信情報をお届け!

twitter

facebook

Instagram

youtube
PAGE TOP