【安倍政権 七つの大罪】信じたのに救われなかった政権擁護派への教訓(前編)

拉致問題
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事実上、次の内閣総理大臣を決める自民党総裁選が令和2年9月8日に告示され、14日に投開票される。すでに自民党内の主要な派閥が菅義偉官房長官への支持を表明し、総裁選の大勢は決している。16日には臨時国会が開かれ、首班指名される見通しだ。

安倍晋三首相は8月24日に連続在職日数が2,799日となり、歴代最長を記録。その僅か4日後に持病悪化を理由として辞意表明に至った。

この8年弱に及ぶ安倍政権を公平に総括することは容易ではない。様々な法律制定があり、予算があり、外交や危機対応があり、スキャンダルとされるものもあった。

私個人としては保守活動家として「戦後レジーム脱却」を掲げる安倍氏個人に共感する想いがある反面、自公連立政権ゆえの限界を危惧し、基本的には「是々非々」で評価するしかないと考えてきた。

私は評論家ではなく、あくまで現場の活動家を自負している。例えば拉致被害者救出運動においては救う会福岡のメンバーとして毎月街頭署名活動に参加しているし、安倍首相の改憲案を支持する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の署名運動や会合にも参加してきた。

そのような運動の現場や、選挙運動、あるいは「選報日本」などのWEB言論活動を通じて、一貫して「是々非々」で安倍政権を評価し、批判や提言も行ってきた。しかし保守運動や保守論壇の中では、「安倍さんを信じろ」「批判して下手に足を引っ張るな」という声が圧倒的だった。

安倍政権擁護派は一切の政権批判を許さず、安倍政権のあらゆる政策を無批判に受け入れてきた。それは最終的には、政権がなんらかの妥協をしてでも宿願(改憲や拉致被害者救出)を果たすに違いないという、信仰じみた期待があったからであろう。

しかし私はいくつかの決定的なタイミング(後述)で、それらの宿願は果たされないと確信し、政権擁護派は一種カルト化していると指摘した。世間でも「安倍信者」という蔑称が流布したが、その信者たちは意に介する様子も見せなかった。

安倍政権の特異性は、このようなカルト的擁護派の存在を抜きにして語ることはできない。政権と擁護派は別個に独立した存在ではなく、むしろ切っても切れぬ関係にあった。その関係ゆえに、安倍政権は徐々に腐敗し、国民の支持を失い、最終的にレームダック(死に体)化したのである。

従って、安倍政権を評価するとき、そのようなカルト的擁護派の存在を抜きに功罪を総括することはできないし、冷厳な総括なしに保守運動の未来はない。ゆえに私はここに「安倍政権、七つの大罪」を列挙し、次期政権及びその支持者への警句とする。

(1)消費増税でアベノミクスに逆行した

「アベノミクス」という安倍政権の経済政策全般を指す用語は第一次安倍政権の時に生まれたようだが、第二次安倍政権のときに流行語大賞を受賞(平成25年)している。

骨子としてはデフレ脱却を目指す金融政策、国内需要を増やす財政(ケインズ)政策、規制緩和などによる民間投資喚起(成長戦略)の三本の矢であるとされる。

平成年間、わが国は財政支出を抑制する緊縮政策を採り、他の先進国と比べても通貨供給量を抑えてきた。その結果デフレが進行し、「失われた30年」ともいわれる長期経済停滞を招来した。

それを一度は打破して見せたのがアベノミクスだった。第二次安倍政権は発足当初、リフレ派を積極登用し、「黒田バズーカ」とも呼ばれる異次元緩和によって円安株高を増進。その結果、景気は回復傾向を見せ、失業率も大幅に改善している。

黒田バズーカは大まかに言って3度放たれている。1度目は政権発足半年以内の平成25年4月、2度目は翌平成26年10月、3度目は平成28年1月である。

消費税増税は1度目の黒田バズーカの1年後である平成26年4月に5→8%へ。その後、2度にわたって延期され、令和元年10月に8→10%へ増税されている。

もともとの増税スケジュールは政権交代前の3党合意で定められており、2度目の増税は平成27年10月に予定されていた。つまり2度目の増税は4年も延期されたことになる。

第二次安倍政権年表(経済政策)

年表を見ていただければ分かる通り、最初の増税は1回目の黒田バズーカの効果を認めた上で実施に踏み切ったものの、その後は増税が景気に悪影響を及ぼした。そのためさらに黒田バズーカを放つとともに増税を延期したというわけだ。

その後もデフレ脱却の見通しが立たないまま2度目の増税に踏み切った。日本経済にとって金融緩和はアクセル、消費増税はブレーキの役割を果たしている。まさに安倍政権は、経済政策に関してアクセルとブレーキを同時に踏み続けたというわけだ。

アベノミクスはリフレ派経済政策そのものであったが、消費税増税という反アベノミクス的政策を安倍首相自ら実行し、自滅した形となった。

(2)「保守野党」を必要以上に危険視した

政治家としての安倍晋三氏が比較的保守色の強い思想をもっていることは衆目の一致するところだろう。

「保守」という政治用語には様々な意味があり、「保守・革新」というカテゴライズでは自民党全体と保守系野党を含むが、ここでは自民党内でも少数派の「真正保守」(私はこの表現を好まないが)という意味で使用したい。

真正保守の特色は議員連盟「創生『日本』」の活動目的に端的に現れている。すなわち「(日本の)伝統・文化を守る」「戦後システムを見直す」「国益を守る」などである。

「創生『日本』」は第一次安倍政権退陣後に結成され、自民党保守派に加え平沼赳夫氏(当時無所属)らも参加し、民主党政権時代に活発に活動した。特に自民党保守派は安倍総裁再選に貢献し、第二次安倍政権下では多くのメンバーが要職に登用されている。

真正保守には大きく分けて自民系と非自民系があり、前者は自民党内での現実(現状)主義的な政策実現を目指し、後者は自民党政権を外部から刺激することで国会の政治バランスを正常化することを目指してきた。

平沼赳夫氏に代表される後者は保守野党「たちあがれ日本」を結党後、日本維新の会へ合流したが、維新が旧みんなの党左派(結いの党)を抱き込んだことに反発して分党、平成26年6月に「次世代の党」を結党した。

その僅か半年後、安倍首相は衆院を解散。次世代の党は地方組織の整備が間に合わず、現有議席数を大きく減らすこととなったが、比例総得票数は約140万票と、既成政党である社民党を超える健闘を見せた。

次世代の党はその後「日本のこころを大切にする党(日本のこころ)」へ改称し党勢拡大を目指すも振るわず、平成28年の参院選では全国比例が約70万票と、前回衆院選の比例合計から半減させる結果となった。

「次世代の党-日本のこころ」は、みんなの党や維新の流れも汲む、第三極右派ともいえる勢力だったが、28年参院選はこの第三極右派が政党として存続する可能性を潰すものであった。

この背景には、自民党が全国比例に擁立したタレント・青山繁晴氏の50万票獲得があった。日本のこころ支持者と青山氏支持者はかなり重なっていたからである。青山氏擁立の背景には安倍首相の強い意向があったとされている。

日本のこころ代表であった中山恭子参院議員は、平成29年衆院選を前に離党して小池百合子率いる希望の党結党に参加。これによって野党保守勢力の存続を図る策に出た。しかし小池-前原会談によって民進党が党組織ごと希望の党に参加し、日本のこころ系候補者が埋没してしまう。

「民進党による看板の架け替え」という警戒感もあり、安倍政権を擁護する保守系言論人は希望の党を盛んに攻撃した。

一方で、希望の党公認を得られない民進党左派が結党した立憲民主党は、自治労などの左派系組織票を活かして野党第一党の地位を確保する。もともと民主党-民進党は左右両派を包摂する大政党であったが、希望の党の出現は野党第一党を保守政党化させる千載一遇の好機であった。

自民党と社会党による55年体制を見れば分かるように、野党第一党があまりに非現実的な理念に走ると、国会議論が空虚なものとなり、いかに首相が保守的であっても重要な国策の決定が困難になる。

それは平和安全法制(安保法制)を巡る議論でも、立憲民主党が野党第一党になった後の憲法改正や消費税増税を巡る議論でも再現されてしまった。

第二次安倍政権年表(保守野党関連)

結局、希望の党で当選した民進系グループは国民民主党へ移行し、その過半が立憲民主党へ合流する流れとなった。希望の党結党グループに至っては存在感を完全に失っている。国民民主党の一部が立憲民主党への合流を拒否したことは不幸中の幸いというべきだろう。

安倍政権とその熱心な支持者は、「自民党より右」の政党が伸長することを殊更警戒し、その結果としてアベノミクスや憲法改正など本来安倍政権が目指すべき政策を実現困難にしてしまったのである。

政治の健全性を確保するために、政権交代可能な二大政党制は必須ではあるが、それはかつての55年体制のような無責任な与野党馴れ合い体制ではない。少なくとも外交・安保では一致できる現実主義的な保守二大政党が、その政策を国民の前で競うことこそ、戦後政治の閉塞感を打破するために必要なのである。

安倍首相はことあるごとに保守的な主張を行う一方で、「伝統・文化を守る」「戦後システムを見直す」「国益を守る」など保守派に歓迎される政策を実現するどころか、外国人労働者の受入拡大や、習近平の国賓招聘など、非保守的政権運営を行ってきた。

擁護派は「安倍首相はあらゆることを譲歩してでも憲法改正という宿願を達成するに違いない」と主張し、保守の野党が生まれることを阻んできたが、その宿願は遂に果たされなかった。つまり鼻薬を嗅がされ続け、最終的に梯子を外されたのである。

(続く)

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本山貴春(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。独立社PR,LLC代表サムライ☆ユニオン準備委員長。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡市議選で日本初のネット選挙を敢行して話題になる。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。近著『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』未来小説『恋闕のシンギュラリティ』(いずれもAmazon kindle)。

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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