これまで「神社神道=神社本庁」と言われてきたが、金毘羅宮が「神社本庁は天皇陛下に対して不敬である」という理由で神社本庁を離脱し、宇佐神宮でも神社本庁からの離脱を求める元宮司との間で訴訟が起きるなど、近年神社界では神社本庁からの遠心力が起きている。
そもそも神社神道は元から神社本庁と同一ではない。現在包括する神社数で「第二勢力」となっている神社本教は、式内社(平安時代以前から朝廷より崇敬されてきた神社)である許波多神社や日向大神宮、伊勢神宮に仕える斎王が潔斎したという由緒のある野宮神社等、数だけでなく歴史ある神社も多数包括していることで知られる。
しかし、昨年これまで神社神道の「第二勢力」であった誠心明生会が“解散”するなど、神社本庁以外の神社神道の教団にも変化の波が訪れつつある。
そうした中、誠心明生会と同じ広島県に拠点を置き、包括神社数では現在神社本庁や神社本教に次ぐ「第三勢力」である神社産土教については、インターネット上では圧倒的に情報量が少なく、中には明らかに不正確な(無論、当事者に取材した形跡など見られない)解説も存在した。
この度、私が神社産土教に書面でインタビューとアンケートへの協力をお願いしたところ、主管長名でインタビューについてはお断りの返事が来たものの、アンケートについてはお答えいただいた。今回それを基に神社産土教の実態を解説する。
包括神社数が第三位の「ローカル教団」
神社産土教は文化庁が『宗教年鑑』において神社神道の中でも「神社本庁と同様,神社が結集して成立したもの」の例に挙げている文部科学大臣所轄包括宗教法人である。なお、同様の例に挙げられているものには他に神社本教と北海道神社協会が存在する。
文部科学大臣所轄の宗教法人とは、複数の都道府県で活動する宗教法人を指す。包括宗教法人とは、文字通り複数の宗教法人を包括する宗教法人を指す。
神社本教と北海道神社協会については、ネット上でもある程度の情報が存在している。中には神社本庁の神職が比較的好意的に記していると思われるブログ記事も存在する。
(もっともそれでも当事者に取材せず記事を書くべきではないとの判断から、これらの教団にも神社産土教に対するものと同じ内容のアンケートを送付している。)
しかし、神社産土教については文化庁が例に挙げる程の教団であるのに、全くと言ってよいほど情報が出てこない。
それは神社産土教が小規模であることを意味しない。現在神社神道で包括神社数が第2位の神社本教は78社を包括しているが、第3位である神社産土教も72社を包括しており、遜色のない規模だ。
それではどうして神社本庁程とは言わなくとも、神社本教や北海道神社協会と比べても注目されていないのか。それについてヒントとなるのが、『昭和39年版宗教年鑑』にある次の記述である。
終戦後、広島県御調郡地方の神社70余社が、相集まって教団を組織し、昭和21.7.3神社産土教を設立登記
昭和39年版宗教年鑑
つまり、文部科学大臣所轄と言っても広島県の特定の地域の神社が集まったものである、という事だ。なお、終戦直後から令和に至るまでその規模に大きな変化は無いようである。
同じく広島県に本部を置いていた誠心明生会は、関東の心霊研究家と交流を持ったり政治活動に参画したりするなどしていたが、それでもやはり「ローカル色」があるためか、その規模の割には注目されなかった。神社産土教も「ローカル教団」と見做されていたようである。
しかしながら、それでも全国の他のローカル教団とは比べ物にならない規模である。他のローカル教団と同列に扱うことは失礼なのではあるまいか?
そこで私は報道用に用いることを明記したアンケートを神社産土教に送付し、神社産土教の実態を教えて貰った。
神社本庁とは「現に友好的な関係」
まず、アンケート内容の概略を説明する。他教団からの回答が出揃っていない中でその一問一答の全てを公表する訳にはいかないし、またその必要性も低いが、どのようなアンケートであるかは情報の信憑性に関わると思うからだ。
アンケートは「神社本庁以外の神社神道の教団として設立された経緯について教えてください」という設問では自由記述式であるが、それ以外については選択式としている。
但し、選択式の全ての設問に「その他」の選択を用意し、且つ、冒頭に「無回答でも構いません」と明記することにより、回答者の裁量の余地を最大限に確保し、質問者による誘導尋問等が行われる余地を排している。
以下、そのことを前提として読んでいただきたい。
神社本庁以外の神社神道の教団として設立された経緯について、神社産土教は次のように回答された。
「終戦後、広島県の地方の人が神社本庁とは、別にいくつかの神社が結集して成立したもので、教派神道とは異なる宗教団体である。」
やはりその地方の教団と言う側面が強いようである。
なお「教派神道との違いについて教えてください」という設問では「神社が結集して成立したものであり教派神道とは大きく異なる」という回答であった。
「○○教」という名称からは金光教や黒住教と言った教派神道の教団を連想するが、神社産土教は教派神道とは全く異なるという見解である。これは神社産土教の単なる自認ではなく、文化庁が神社本庁と「同様」の教団の例として挙げていることは先述の通りだ。
神社本庁との関係については「現に友好的な関係である」とし、また神社産土教の神職についても「神社本庁による神職資格を基本的に用いている」ということであった。
神社本庁と異なる宗教団体と言うと対立関係があるように見えがちであるが、実際には神社本庁の神職資格を持った神職が所属するなど、かなり友好的な関係のようである。
政治的中立性を重視
我が国では内閣総理大臣らが年頭に伊勢神宮へ集団参拝する慣例がある。一部の左翼勢力やキリスト教会らはこれを憲法違反であると主張しているが、神社産土教のどうなのか。
これについては「参拝自体は憲法違反ではないが反対する国民への配慮が必要である」という答えであった。
また天皇陛下と神社神道の関係については「神社神道は民衆の生活で誕生したものであり天皇陛下と直接の関係性はない」と回答。こうした回答だけを見ると“リベラル”色があると思われるかもしれない。
しかし、実際には政治的中立性を重視している、というのが本当のところのようである。
神社本庁系の政治団体である神道政治連盟は自民党の主要な支持母体として知られるが、神社産土教は「政党への支持・不支持は教団として全く感知しない」と回答。
また「宗教法人法」第2条は宗教団体の定義を「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」団体としつつ、その第1号において「神社」を明記している。この条文は「神社は宗教の布教や信者の教化と言った宣教活動を主目的とはしていない」と言った批判が神社界・保守界の一部ではあった。
だがこれについても神社産土教は「神社が宣教活動を主たる目的としているかは疑問の余地があるが殊更に法改正は求めない」と回答。現行法に疑問を抱く人たちに理解は示しつつも法改正を求めるようなことはしない、というスタンスであると考えられる。
実際管見の限りでは誠心明生会のような政治活動をしていた形跡は見られない。
まさに「神社本庁と同様」の教団
神道政治連盟のような政治関与部門の無いことを除くと、神社産土教は神社本庁に酷似した宗教法人である。
信者は「包括する神社の崇敬者と同じである」とされ、神社本庁と同じ構成だ。
もっとも神社の崇敬者の構成は「氏子・産子等が主体である」とされ、氏子区域外の崇敬者を多数抱える神社も包括している神社本庁や神社本教とは違いも見られる。とはいえ、こうした宗教法人の包括化にある神社も多くは氏子を崇敬者として成立している。
その上、神社本庁の神職資格も用いているとなれば、神社本庁との相違点を探す方が難しいとすら、いえる。
敢えて相違点を見つけるならば、神社本庁が過去に求めていた神社非宗教論に基づく「神社法人法」の制定についての神社産土教の見解が「神社非宗教論にも一理はあるが神社法人法の制定を積極的に求める気はない」というものであった点だ。
また神社非宗教論との関係で問われる『日本国憲法』第20条の解釈については「神社神道は宗教ではあるが神社と地域社会等の関係に配慮した運用は求められる」とし、神社非宗教論に「一理」は認めつつも賛同はしていない姿勢が伺える。
とは言え、神社本庁自体が神社非宗教論を全面に出している訳ではない現状、この点も相違点とまでは言い難い。また、神社神道も「宗教の本質」から逸れてはならないとした誠心明生会と比べると明らかに神社本庁に近い立場である、とさえ言える。
神社本庁と異なる宗教団体だからといって、その思想や構成が大きく異なる、という訳では無いようだ。
中立・堅実さが神社界を生き抜く鍵か
神社産土教の包括神社数は終戦後直後から大きな変動はない。そこは同じ広島県に本部を置くかつて第二勢力であった誠心明生会が神社数を大幅に増減した挙句消滅したことと比べると、とても「安定」していると言える。
実際、神社産土教は私からのアンケートに真っ先に回答をいただいた教団である。そのような「堅実さ」が安定の秘訣なのだろう。
誠心明生会に限らない。神社本庁ですらその包括神社数は減少傾向にあり、金毘羅宮のような大規模な神社であっても反旗を翻してくることがある。
金毘羅宮は神社本庁が天皇陛下に対して不敬であるとして非難したが、それは日頃保守的な政治活動をすることで政界への影響力を保っていた神社本庁の方針が“裏目”に出た形だ。「政治と宗教」の関係で揺れるのは神社神道も一緒なのである。
それに対して神社産土教は一貫して「政治的中立性」を保っている。このことも神社産土教が続いている秘訣ではないだろうか。
一方、神社産土教に神社本庁を離脱した神社の「受け皿」となることを期待するのは困難なようである。神社産土教自身、神社を包括する条件について「他の神社の加入は不可能ではないが積極的に歓迎してはいない」と回答している。
政治に揺れる神社神道であるが、神社産土教はそうした対立から超然としていると言えそうだ。
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