福岡憂国忌に100名参列 演劇家の中島淳一氏が『金閣寺』を翻案し熱演

令和元年11月23日、晴れ渡る蒼穹の下、第49回福岡憂国忌は厳粛に執り行われた。約100名が参列した。

今回の福岡憂国忌では、新しい試みとして奉納劇を企画し、地元で活躍される画家・演劇人の中島淳一氏に、三島由紀夫の長編『金閣寺』に材を採った創作一人芝居劇『金色の炎』を演じて頂いた。

内容の素晴らしさに関しては、以前このサイトに寄稿した通りであり、改めての付け加えるものは無いが、やはり福岡憂国忌当日、両烈士御祀りの日に筥崎宮参集殿で観劇する『金色の炎』には別格の素晴らしさがあった。

例えるならば、極上の料理を最高の器と部屋の中で食する趣であり、筥崎宮参集殿は出色の逸品を、更なる高みと輝きへ導いたのである。

どのように日本文化を守って行くか

そして、その素晴らしさに心打たれながら、私の胸中に去来していたのは、もう一度文化の防衛について真剣に考え直さなければならないという思いであった。

三島由紀夫は自決に近き頃、評論『文化防衛論』中で、どのように我々の日本文化を守って行くかということに対して、

「創造することが守ること」となり、「守ること自体が革新することであり、同時に〈生み〉〈成る〉こと」である。

と記し、主体の文化的行為への参画が文化を護るためには不可欠であるとしている。

中島淳一氏が、新たに、金色の炎という一人芝居を書き上げ、神社の中で奉納したという行為は、新しいものを生み出すという創造的行為であることは勿論であるが、同時にそれは、神の御前に芸を奉納するという古式に則る行為でもあった。

そこでは、同じく「文化防衛論」の中で、三島由紀夫が日本文化の特質として述べた、「再帰性・全体性・主体性」が確保されていたのである。

逆に言えば、文化が「再帰性・全体性・主体性」を失い、更にはこれらの性質を担保するものとしての文化中心たる天皇を失えば、日本文化は瓦解する。

進む「文化侵略」

昨今、日本文化への侮蔑的な表現に対し、抗議の声が高まっているが、この侮蔑は今に始まったことではない。

すでに檄文の中で三島は「日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた」と記している。問われているのは、むしろ我々が、日本文化への積極的関与を十分に行っていないことなのである。

豊穣たる大河の如き日本文化の流れが滞り、淀むようになれば病原菌は発生する。文化侵略とは、まさにこのような状態であり、獅子身中の虫宜しく、国家を衰亡破滅へと導くものである。侵略は外部からのみ、やって来るものではない。

今回の福岡憂国忌において私が思ったことは、国家を武人が護るように、文化を護って行く人間が必要なのだということである。そして、それは旧弊の墨守ではなく、古の文化を継承した上で、更に新たな文化創造を行い続けることによって可能なのだということである。そうした人間の事を、従来の意味とは若干の相違があるが、私は文人と言いたい。

国家を護るのは武人であり、文化を護るのは文人なのである。

石原志乃武(いしはら・しのぶ)/昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

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