香港では本年(西暦2019年)6月上旬より「逃亡犯条例改正案」をめぐって大規模な抗議活動が行われている。
実はこのような抗議活動は今に始まった話でもなければ、単に逃亡犯条例についてだけの話でもない。これは、いわゆる香港「返還」によって香港が中国の手にわたると同時に始まった、中国政府に奪われた香港の自由と民主主義を求める戦いの一環に他ならない。
この対中国の戦いにおいて、香港返還から22周年にあたる今年7月1日夜、デモ隊が立法会(議会)庁舎へ突入し、占拠する動きがあった。
これを共同通信社は「香港、若者ら立法会突入数百人が暴徒化」と伝え、若者らが「破壊活動を行った」と配信した。このような報道を見た多くの日本人は、字面通りに理解してしまっている。
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しかし抗議者達を「暴徒」と呼び、「破壊活動を行っている」と繰り返し主張しているのは、実は香港政府および香港警察である。
では実際、抗議者達はどういったスタンスで対中国抗議活動を行っているのだろうか。
暴動ではなく、レジスタンス
結論から言うと、香港の若者たちは暴動ではなく、中国共産党政権による「植民地支配」への「レジスタンス(抵抗運動)」を展開していると自己認識している。
その大前提として、そもそも香港が英国から中国に「返還」されたのではなく、香港は中国に「陥落」したのだという見方がある。
「返還」ではなく「陥落」−−。その結果、香港が中国に「植民地支配」され、香港市民が中国の「奴隷」にされることを憂いている。
その証拠に、例えば毎年7月1日の返還記念日に親中派が大規模にお祝いムードを演出する一方で、同じ日に抗議者たちは「哀悼」のための集会やデモを行うなど、日頃から抗議活動を続けてきたのである。
そうせざるを得ないほど、香港の「中国化」は激しく、それは実生活にも支障をきたすほどであり、「これ以上耐えきれない」という香港市民の本音がある。
だから抗議者達はこう訴える。「あるのは暴政であり、暴徒ではない」と。
とはいえ「立法会への突入」は、「力の行使」に他ならない。
それについて日本人の反応は様々で、「いかなる形でも破壊行為は許されない」と言う人や、「突入したのは親中派である」あるいは「過激化したのは中国による工作によるものだ」という陰謀論を唱える人々も見られた。
しかしこれらは全て、日本独特の文化観や道徳観に加え、「いかなる力の行使も許されない」という「日本国憲法9条の拡大解釈」に基づく固定観念であることに、日本人は気付かなければならない。
その構図を紐解いていこう。
まずは「香港議会はフェイク(偽)政府である」という香港市民の意識に注目せねばならない。
わが国や欧米を始めとする文明国と同じく、香港にも「議会」がある。しかし「議会」と一言で言っても、国や地域が違えばその性質は似て非なるものだ。
香港の場合、そもそも市民の立候補が許されない事例がいくつもあった。その上、選挙に当選したにも関わらず議員資格を剥奪されたケースが複数ある。
立候補資格や議員資格の剥奪−−。その判断基準は「政治思想」である。香港では親中派にのみ政治参画が許されており、「香港を香港として守りたい」と考える香港市民は議員になることができない。
従って香港市民にとっての議会は「名ばかり」であり、香港政府は「フェイク政府」だというのが一般的感覚なのである。
そのような前提の共有があるからこそ、香港の若者たちは市庁舎の入り口を「破壊」し、「突破」した。たしかにこれは物理的「破壊行為」だ。
例えば産經新聞の記事には、「香港メディアによると、若者らは議場内の設備や歴代議長の肖像画などを破壊したという」とある。「議場内の設備」が何を指しているのかは不明だが、「歴代議長の肖像画」というのは、香港市民にとってみれば「支配者の顔」だ。その面々は独裁者たる習近平(中国国家主席)に等しい、と言っても過言ではない。
https://www.sankei.com
議場への「侵入」は、むしろ規律的だった。
例えば、「歴史的な文書や財産には触らないように」と指示するメモが抗議者の手で市庁舎内各所に貼られていた。庁舎内に設置してあった飲み物を取る際にも(日本の無人野菜売り場のごとく)抗議者たちはお金を置いていった。
デモ隊は自然発生であったにも関わらず、よく規律を守った。
破壊行為にはスプレーによる壁への「落書き」も含まれるとして、日本の保守派からも批判が聞こえて来る。そのような批判者は、破壊行為によって抗議活動の「説得力」が失われるという。しかし先にも述べた通り、これは戦後日本特有の固定観念である。
このような行動の是非は、実際の「落書き」を見てから判断して欲しい。
抗議者たちは市庁舎内にある「中国」の2文字をスプレーで塗り潰したが、「香港」の2文字にはそうしなかった。
そして壁に書かれた政治的メッセージの中には、「中国はウイグルに対して犯した罪を償うことになるだろう」という、中国に弾圧されるアジア諸地域への連帯を示すものまであった。
さらに抗議者たちは、立法会の議長席にイギリス統治時代の「香港旗」を、自分たちの旗として掲げたのである。
このようにして抗議者たちは、「フェイク政府」である香港市庁舎に「本当の民意」を反映させた。
これらの行動は暴動でも破壊行為でもない。あくまで「象徴的な場所」において世界に発信された政治的メッセージであり、中国共産党による独裁支配へのレジスタンス(抵抗)なのである。
こういった手法と原則は、立法会突入時だけのものではない。
例えば本年7月21日に43万人の市民が抗議活動を行ったあと、そのうちの数千人が中国政府の出先機関である「中央駐香港連絡弁公室」の庁舎へ卵を投げつけ、そこにあった「中華人民共和国国章」に黒インクらしき液体をかけた事例があった。
その時、抗議者は「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時だ)」と叫んだ。
それに感動した香港市民が、このスローガンをSNSで広めている。実はこのスローガンは、独立派の運動家である梁天琦氏が2016年の選挙に向けて使っていたものである。同氏は暴動罪を着せられ収監中だが、いまなお根強い人気がある。
22年間におよぶ中国支配下で変わり果てた香港を「復古」させたいという香港人の願いは、日本人のイメージする破壊的な「革命」ではなく、むしろ建設的な「維新」に近い。
「香港を取り戻す」ために必要なことは、一国二制度下で許容される「偽りの民主化」ではなく、自衛手段としての「独立」であると、香港人は考え始めたのだ。
いまや「光復香港、時代革命」の文字は香港の街中に書かれている。これを既に民主主義が確立された国の目線で、単なる「落書き」と呼ぶべきではない。
なぜこのような手法をとるのかといえば、他に方法がないからだ。民主主義がないからだ。
抗議者たちの行動を「暴力的」「破壊的」などと非難するのはお門違いで、そもそも「中国政府」「香港政府」「香港警察」こそが、一国二制度の約束を無視して香港を破壊してきた現実を知らねばならない。
のみならず、香港警察は平和的なデモ隊に対して頭部を狙うゴム弾や催涙ガス発射を繰り返し、取り押さえた抗議者の手首を180度逆に押し曲げ、目に指を突っ込み、つい先日は暴力団(雨傘革命の時にも関与の疑いあり)を雇って、抗議者のみならず妊婦を含む一般人や記者へ非道で残虐な暴行に及んでいる。
客観的にみて、香港市民によるレジスタンス運動は正当防衛だ。
香港のこれから−− 「第二の天安門事件」か
香港の抗議者たちは、ブラック・ブロック(Black Bloc)と呼ばれる黒シャツを揃って着用している。これは政府による抗議者個人の特定を困難にするための戦術だ。
それに対し、白シャツをまとった集団は「三合会(Triad)」という犯罪組織(暴力団)の構成員とみられる。香港北西部・元朗(Yuen Long)区の鉄道駅で7月21日夜、構内や列車内で白シャツ集団が暴力を振るって回った。
その後、白シャツ集団に向かって拍手やサムズアップ(親指を立てた「いいね」とのジェスチャー)、ハグをする親中派議員の姿も映像で確認されている。
日本では、この白シャツ集団暴動事件において「警察は助けに来てくれなかったらしい」と驚くコメントが散見された。しかし白シャツ集団を雇ったのは、香港政府及び警察である。
デモ隊を鎮圧しようにも効果的な方策が尽きたため、政府・警察がその集団を雇った。彼らは「見せしめ」もかねて、あえて非道なやり方を選んだ。それを取り締まるために警察が来るはずはない。
「警察はどこにいたのか?」という香港市民の声は、皮肉であり、控えめな抗議だ。
そして、このような犯罪組織の派遣は中国政府による最終手段ではない可能性を考えなくてはならない。次の手段は、日本でも噂されているように、人民解放軍による介入なのだろうか。
これについて現地の香港人に聞いてみると、人民解放軍の武力介入には色んな意味でのコストがかかることや、ウイグル(強制収容所に約200万人が捕らえられている)へも人民解放軍が派兵されていないことから、「軍が香港で武力行使するとは考えにくい」とのことだった。
しかし「それでも多大な流血や犠牲は生まれるだろう」と彼らはいう。武力行使するのが人民解放軍とは限らない。それは「警察によって実行されるかもしれない」と彼らは覚悟している。
いずれの機関が行うにしても、香港市民の抗議者たちに対して武力が行使される可能性は高い。つまり、近く香港で「第二の天安門事件」が起こるかも知れない。
去る7 月26日には、数千人によるデモが香港国際空港でも行われた。様々な抗議活動が続けて行われていく中で、「警察力の限界」を突破した時に引き起こされる事態を、私たち日本人も覚悟しておく必要がある。
そこでは「多くの流血と犠牲が生まれる」だろう。だからといって、そこでたじろいではならない。
何故なら、警察力の限界を突破し、流血と犠牲が生まれた時にこそ「一国二制度の嘘」が露呈し、仮にそれが人民解放軍によるものであれば、「中国による香港の植民地支配」の実態が明らかにされるからだ。
そうなれば、国際社会は黙っていない。
特に、中国の覇権主義へ積極的な対応をとっている米トランプ政権は介入を決意するだろう。残念ながら、多大な流血や犠牲が出る段階に至った時に初めて、香港の抗議者たちは勝利を得るのである。
逆に抗議者たちにとっての敗北は、人民解放軍などの武力介入がなく、香港警察の許す範囲、すなわち中国政府の認める範囲での細々とした民主化要求運動を続けるという、「平和的」で「秩序を守った」「非暴力」の運動に収束し、抗議活動自体がうやむやに終わることだ。
だから香港では、「人民解放軍よ、早く来い」という冗談まで飛び交っている。
こんなことをいうと「命の尊厳」についての疑念が湧くかもしれない。しかし香港の若者たちは「目的のために犠牲は避けられない」と腹をくくったのだ。それは選択肢が他にないからであり、中国相手に戦うにはこの道しか残されていないからだ。
むしろ「いつどこで自分が犠牲になるべきか」ということを真剣に考えている。
この戦いは、いうなれば独立戦争であり「革命」(維新)だ。アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本の幕末でも多くの犠牲者が出た。その上で維新が大成された。香港独立派のリーダーたちは、これらの歴史を熟知している。
近い将来、香港で「多大な流血や犠牲」が現実のものとなれば日本人はどのように反応するだろうか?
きっとまた抗議者のことを「かわいそう」とか、抗議の方法が「道義的に間違っている」などと言い出すのだろう。それは「故郷である香港を中国化させたくない」という、香港人の決死の想いへの「侮辱」になると肝に銘じていただきたい。
では私たち日本人は、一体どうすれば香港市民の戦いを支援できるだろうか。
香港人は国際社会に、中国政府への政治的圧力を期待している。しかし日本国内からは、単に「中国共産党政権や香港政府・警察が酷い」という声があるばかりで、「制裁」の「せ」の字もでてきてはいない。
私たちこそが、香港の人々の想いを知り、ともに自由と民主主義のために戦える民族でありたい。
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randomyoko(ランダム・ヨーコ)/日米戦略アドバイザー。YouTube NextUp賞受賞。トランプ大統領の当選を予測したことで一躍有名になり、メディアにも取り上げられた。「正論」「JAPANISM」などの言論誌にも論文が掲載されている。公式ファンクラブ(camp-fire.jp)では毎月限定動画を視聴できる。