脱昭和の胎動~ゴジラ-1.0・早田ひな・小泉進次郎~

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ゴジラ-1.0で感じた脱昭和の感覚

昨年冬、ゴジラ-1.0を鑑賞しました。映画の出来はもちろん素晴らしいものでしたが、終盤に、主人公がゴジラに特攻を仕掛けて後、生きて還ってきたシーンを見たときは、感慨深いものがありました。

50代後半以上の方なら、昭和53年公開の映画、宇宙戦艦ヤマトのラストシーンで主人公が敵目掛けて特攻に殉じる姿をリアルタイムでご覧になられた方もいらっしゃるでしょう。私もその一人ですが、観客総泣き状態で、あの時、主人公が生きて還って来る可能性など微塵も考えていませんでした。

今振り返れば、当時は戦後まだ30年近くであり、私は昭和の価値観に深く浸っていたことを思い知らされます。

それから、ほぼ半世紀が過ぎ、最近、私は若い世代の人々の感覚が緩やかではあるが確実に、しかも大きく変化して来ていることを感じるのです。これを私は、脱昭和と呼んでいます。

先ほど私は映画を見ての感想で、感慨深いと書きましたが、実際に映画を見たときはもう少し平たい感想で「お前、死なんのかい」と思いましたが、これなどは昭和オヤジのつぶやきなのでしょう。

脱昭和の感覚で考える戦争

ですから、最近物議をかもした、オリンピックメダリスト早田ひな選手の

鹿児島の特攻資料館(知覧特攻平和会館)に行きたい。生きていること、卓球ができているのは当たり前じゃないのを感じたい。

といった発言も、昭和世代の方々は、賛否どちらの側からも、ある種の思い入れを持って受け止めてしまうのですが、実際にはもっと日常的な感覚で捉えねば判断を誤ると思っています。

今の若い世代は、以前ほど新聞やテレビを見ません。マスコミに影響されている部分が少なく、自分が情報を収集し、判断する部分が多くなっているのです。

そのような若者達にとって、世界では今も戦乱が絶えず、その危機は私たちに無関係とは到底思えない。そして、かつて私たちの国も戦争で多くの命が失われた。それでもなぜ今、こうして私たちは平和に暮らして生きていけるのだろうかと考えることは、本当に自然な当たり前の感覚なのです。

これを一部のマスコミは例によって海外へ向けてご注進報道をしている訳ですが、このような旧弊を行えば行うほど、次の世代から愛想を尽かされ、自らの首を絞める結果となることをそろそろ自覚すべき時ではないのかと思います。

風化させてはならない拉致問題

その平和な世の舵取りを担う政治の世界も、若い世代が台頭し、小泉進次郎氏のような40代前半の総理大臣が誕生する可能性すら出てきました。

こちらでも脱昭和は着実に進んでいる訳ですが、その一方で、昭和における未決の事案を風化・忘却させてはならないと感じます。拉致問題などはその典型でしょう。

昭和の時代の問題は、昭和世代の人間が解決する、それが筋というものではないかと思う訳ですが、これもまた古臭い昭和の発想なのでしょうか。

石原志乃武

(いしはら・しのぶ)昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

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