日本国内には「憲法9条信者」が多いが、現在の日本国憲法は日本を弱体化させるためにGHQの命令によって制定されたものだ。反日的な勢力からすれば、日本の弱体化は大歓迎だ。従って、憲法9条は日本弱体化の武器になる。
憲法9条が平和を維持する価値観だと信じる者たちは、国際社会の平和の意味を知らないし、国際社会の現実を見ていない。
国際社会の平和
国際社会は、古代から「強国」と「強国に従う弱国」に区分される。強国は、今の平和が自国にとって都合が良いから現状維持を望む。弱国は、そのような平和が本心では気に入らないが、強国に従うことで生き残ることができる。国際社会の「平和」は、強国のための平和だ。これが古代から現代まで続く「平和」の真意である。
国際社会の「平和」は強国に都合が良いルール(秩序)であるから、「今の平和」を受け入れることは強国の価値観を受け入れることを意味する。平和とは全ての国を平等とする価値観ではない。平和とは、弱国が強国に従うことで成立する。これが現実の平和なのだ。
ミロス島の悲劇
「憲法9条」がもし素晴らしい価値観であるならば、世界中の国々が採用している筈だ。しかし現実には、軍隊によって国家独立を護らなければ、外国から侵攻を受ける。紀元前の時代から「国家を護るのは軍隊」であり、「軍隊無き国家は消滅する」ということを歴史が教えている。
古代ギリシャ世界の殖民都市ミロス島は非武装中立を選んだ。仮に外敵から侵攻を受けた場合は「アテネかスパルタに救援を求める」方針だった。これは憲法9条信者が求める「軍隊を捨てた理想の国家」そのものだ。
自国の安全保障を外国に委ね、自国は「争いを捨てた民」として惰眠を貪る。この方針は現実によって打ち砕かれた。ミロス島が頼りとしたアテネとスパルタが戦争を開始し、「ペロポネソス戦争(紀元前431-紀元前404年) 」が始まったのである。
アテネとスパルタが戦争を開始すると、ミロス島は中立を維持できない。一旦戦争が始まれば、戦略的に重要な地域は争奪戦になる。しかも先に占領している側が有利に戦える。ミロス島は、アテネとスパルタが戦争するには戦略的に重要な位置に存在したのだ。
アテネはスパルタとの戦争に備え、戦略的価値が高いミロス島を真っ先に「予防占領」した。その際、ミロス島はアテネの軍隊に蹂躙され、屈強な男は殺され、女子供は奴隷として売られてしまった。これが軍隊を放棄した国家の末路であり、軍隊が無ければ国家も国民も護れないことを示している。
ルクセンブルク・ベルギー・コスタリカ
ルクセンブルクは建国時に非武装中立を選んだが、第一次世界大戦及び第二次世界大戦でドイツの侵攻により占領された。ルクセンブルクは現実に学び、1949年にはNATOへ加盟して非武装中立を放棄している。
ベルギーも永世中立国だったが、第一次世界大戦及び第二次世界大戦後でドイツの侵攻により占領された。そして1949年以後、NATOへ加盟し永世中立を放棄。さらに、アメリカと核兵器シェアリングを行い、間接的な核保有国にまでなった。
ルクセンブルクとベルギーは仏独に挟まれ、戦略的に重要な位置に存在する国だ。だから今後も仏独間の戦争が始まれば、ミロス島と同じ様に侵攻を受けるだろう。
コスタリカは表向き非武装中立とされている。しかし実際には軍事力は警察に受け継がれ、コスタリカ警察は準軍事組織として機能している。同国では有事には国民が徴兵されることになっているし、アメリカ軍との協力関係や米州機構への参加もあり、永世中立国とは言えない。
仮に戦争に参加しないことを宣言しても、その国が戦略的に重要ならば簡単に侵攻される。これが現実なのだ。
東トルキスタンとチベット
大国にとって戦略的価値があれば、占領されるか侵攻されるのが弱国の運命だ。
かつてソ連は南下政策のために東トルキスタンを利用した。ソ連は勢力圏を拡大するべく東トルキスタン建国を支持したが、同時に中国も領土拡大の野望を持っていた。
ソ連と中国の野望が東トルキスタンで激突する。東トルキスタンはソ連に一時的に支援されたが、結果的に中国人民解放軍の侵攻によって地図から消されてしまった。これによりソ連の南下政策は頓挫する。
東トルキスタンはソ連から支援されたといっても、軽武装の軍隊しか持たなかった。中国人民解放軍と比べれば、国境警備程度の軍備に過ぎなかった。そもそも東トルキスタンのウイグル人は温厚な性格ゆえに争いを回避したことが災いした。結果的に東トルキスタンは人民解放軍に占領され、国ごと地図から消されてしまったのだ。
チベットも中国共産党が必要としたことで人民解放軍の侵攻を受けた国家だ。中国共産党の領土拡大政策によりチベットは併合された。チベットは人民解放軍を排除するだけの軍隊を持たなかった。
軽武装では国家を守れない。チベットも人民解放軍を排除できず、地図から消されてしまった。
国家の戦争目的
原則的に、国家の戦争目的は、国家独立を守るためである。国民の人権は国家が与えるのだから、国家が消滅するとその国民は人権を失う。だからこそ国家は、国民の人権を守るために軍隊を用いて戦争するのだ。
紀元前の時代から、憲法9条のような非武装中立主義が国家と国民を守らないということを、歴史が証明している。もし憲法9条が国家と国民を守るなら、ミロス島の悲劇は発生していない。もし憲法9条が世界共通の価値観として通用するならば、ルクセンブルクやベルギーは侵攻され占領されていない。
もし憲法9条が外国に通用するのならば、中国共産党は東トルキスタンとチベットを併合していない。非武装中立を宣言しても外国は無視して侵攻する。これが現実であるから、国家は軍隊を用いて国民の人権を守らなければならない。日本国民の人権を守るのは憲法9条ではない。日本国民の人権を守れるのは自衛隊だけだ。
上岡龍次(うえおか・りゅうじ)/戦争学研究家、昭和46年3月19日生まれ。愛媛県出身。九州東海大学大学院卒(情報工学専攻修士)。軍事評論家である元陸将補の松村劭(つとむ)氏に師事。これ以後、日本では珍しい戦争学の研究家となる。