令和3年、日本は再び敗戦したことを認識しよう

政治
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令和3年11月23日に開催された「福岡憂国忌(三島由紀夫・森田必勝両烈士慰霊祭)」において、選報日本の編集主幹である本山貴春が主催団体の一員として行ったスピーチ原稿を掲載します。

戦後日本の英雄

福岡黎明社の事務局長を拝命しております、本山貴春と申します。

浅学非才の身でありますが、福岡憂国忌世話人団体の一員として、三島由紀夫・森田必勝両烈士の御霊を前に、改めて、決意を述べさせていただきます。

思えば、私が中学生だった、ある年の11月23日、今は亡き、私の父が夕方近くに帰宅してすぐ、息子たちにこう申しました。

「お前たち、知っているか。日本には、三島由紀夫という英雄がいたんだぞ。日本を守るために、自衛隊で腹を切った男がいたんだ」と。

私はその時、雷に撃たれたような衝撃を受けました。それ以降、三島由紀夫の著作と、楯の会事件に関連する研究書を読み漁り、私は三島由紀夫という存在に、のめり込んだのです。

そして大学在学中に、福岡の街で三島由紀夫のポスターを発見し、一人、この場所へ参りました。まさにこの筥崎宮・参集殿に多くの人が集い、三島由紀夫・森田必勝両烈士の御霊をお迎えしていたのです。

その数年後、成人した私は、福岡黎明社の会合に参加するようになりました。そこで、辻幸男前代表をはじめとする、諸先輩方に出会い、それ以降、諸先輩方の薫陶を賜るようになりました。

北朝鮮による拉致が意味するもの

それから17年が経ちました。

この間、私は様々な社会運動と政治運動に参加して参りました。

あらゆる犠牲を払い、非力ながら、無能ながら、考えうる限りのことを考え、できうる限りのことを行って参りました。

その根底には、常に三島由紀夫の思想と行動がありました。三島由紀夫であれば、どう考え、どう行動するのか。常にそれを思い続けて参りしました。このことは、辻幸男前代表の教え、でもありました。

で、あるからこそ、いま改めて、あまりに大きな壁に、愕然とせざるを得ません。

私たちの運動は、灼熱の砂漠に一滴の水を垂らすがごときものであり、日本の行く末に対する憂いと絶望は、ますます深まるばかりです。

明らかに、そう申し上げるべき理由の一つが、北朝鮮による日本人拉致問題です。

私が辻幸男前代表の指導を受けるようになって、最初に参加した運動こそが、拉致被害者救出運動でありました。

私は現在、救う会福岡の事務局長を務めておりますが、長年この運動に携わった一人として、特定失踪者を含む拉致被害者やそのご家族に、向けるべき顔も、伝えるべき言葉もありません。

この悔しさと、悲しさこそ、辻幸男前代表が、その最晩年まで、訴えていたことでありました。

この福岡からそう遠くない場所に、私たちの同胞が捕らえられ、半世紀近くも、帰ってくることができておりません。

三島由紀夫であれば、このような不甲斐ない情況に、どう立ち向かったでしょうか。

自衛隊に向かって、「起て!」と叫んだ三島由紀夫であれば、何を為したでしょうか。その答えは、明らかです。

戦後保守運動は敗北した

私は今日ここに、重大な覚悟をもって立っております。

それは、私のこの17年の年月と、努力と、労力の全てを、捨て去るという覚悟です。

それは、三島由紀夫が、ノーベル文学賞候補にまで登りつめながら、文壇での名声を捨て去ったこととは、比べるまでもなく簡単なことです。

いわゆる保守運動は、決定的に敗北しました。私は、誰が何と言い繕おうとも、その敗北を認めます。

それをいったん認め、その政治的敗北という現実に目を向けない限り、運動が続けられないばかりか、日本の滅亡は避け難く、日本民族は間違いなく絶滅するでしょう。

これは比喩ではありません。このままでは、二千年の歴史を受け継ぐ日本人の血脈は絶え、日本語を話す者は地上から消え去り、日本という国があったことすら、人類の記憶から失われることでしょう。

三島由紀夫と森田必勝が命をかけて訴え、あるいはその影響を受けた全ての先人たちが憂いたこと、あるいはそれ以上の危機が、間違いなく訪れることでしょう。

もはや、全てが、手遅れなのです。

私たちは、大東亜戦争の敗北を遥かに上回る、決定的な、国家的敗北に、いま直面しております。

もはや日本国政府は、その機能を失い、目的を失い、役割を終えたのです。

共同体の復活

この精神的な、決定的な焼け跡に立つ私たちは、屋根もなく、壁もない、真っ黒な炭になって燻る柱を取り除かねばなりません。

この廃墟を一掃し、土地を平らにならし、区画を整理し、インフラを整え、頑丈な新しい柱を建て、家族を雨風から守る屋根と壁で覆わねばなりません。

それは単に、敗戦以来の、いわゆる戦後体制を打破するという、これまで私たちが掲げてきた運動目的に留まるものではありません。

もっと根源的な、日本民族と、日本文化の、生存本能に根ざした、共同体の復活と繁栄のきっかけを作るということです。

私はそのために、これまでの保守運動とは全く異質な、新しい組織を構築する、遠大な事業に着手しました。

この新しい運動は、若い世代の日本人を、この日本列島において生存可能にすることを、第一の目的にしております。

かつて、「国民の生活が第一」と叫んで誕生した短命政権がありました。

いわゆる保守派はこれを、「悪夢の民主党政権」と呼びます。確かに悪夢だったかも知れません。しかし現在は、当時よりもさらに、国民生活は厳しくなっております。

この度のコロナショックに伴うコロナ不況は、現役世代の生活を直撃しています。もう生きていけないのです。

グローバル経済の進展が国民を分断し、コロナ不況がその分断を、決定的にしてしまいました。

優秀な若者は、すでに海外へ逃げ始めています。私は彼らを責めることはできません。それは生き残ることに必要なことだからです。

既得権者と戦う

しかし、もし、私たちとともに日本列島に留まり、民族の生存を賭けた戦いに参加する者が一人でもいるならば、私も生き恥をさらし、この戦いを続けます。

これは、生存競争です。

滅びゆく日本にあって、老醜をさらしながら権力を手放さない、既得権者たちと戦います。

この戦いに、華々しい英雄は現れないでしょう。私はこれ以上、自分よりも若い世代へ、自己犠牲を強いることはしません。もう充分、血は流されました。

この決意は、何より、三島精神の継承とは何か、私自身が考え、行動し、たどり着いた答えであり、揺るぎない確信です。

若い日本人よ、自らを縛るものから独立しよう。一人一人は非力でも、団結すれば戦える。戦いの先に、きっと繁栄がある。

このスピーチを聴いてくれた、たった一人かも知れない、見知らぬ同志のために呼びかけて、私の決意表明を終わります。

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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コメント

  1. 特命 より:

     岸田文雄政権は、宏池会をつくった池田勇人を今こそ想起されたい。池田勇人は確かに、憲法改正も教育改革もできなかった。しかし、国民生活を豊かにした。

     国民生活の向上は、当時猛威を振るっていた左翼運動を叩き潰した。共産主義などというユートピアを目指すより、真面目に働いた方が良いことを実証した。

     安倍晋三政権は何に失敗したか。なぜに、戦後レジームからの脱却ができなかったのか。消費増税による景気後退以外あるまい。

     さて、コロナ感染抑止の名の元に、国民の生活は圧迫され、経済は瀕死の状態である。憲法改正、拉致被害者救出、教育改革……経済再生なくして、これらは完遂できないだろう。

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