令和5年1月11日、一水会顧問で元代表の鈴木邦男氏が誤嚥性肺炎のため逝去した。享年79歳。
鈴木氏は福島県郡山市に生まれ、早稲田大学在学中に右派学生運動に入る。大学中退後は産業経済新聞社(フジサンケイグループ)に入社するも、楯の会事件を受けて一水会を設立。以後は民族派の代表的論客として活躍した。
少年時から宗教法人「生長の家」の影響を受け、学生時代に生長の家学生会全国総連合(生学連)書記長に就任。生学連を中核として右派学生運動の全国組織・全国学生自治体連絡協議会(全国学協)が設立されると、初代委員長に就任している。
しかし鈴木氏は全国学協から僅か1ヶ月で追放され、残ったメンバーは後に日本最大の保守団体「日本会議」の中核となっている。
これにより鈴木氏は政治運動から身を引くが、昭和45年に三島由紀夫率いる楯の会が自衛隊に決起を促す「楯の会事件(三島事件)」が起こり、三島由紀夫と森田必勝が自決。同じく右派学生運動出身者である森田が自決したことに強い衝撃を受け、鈴木氏は政治思想の勉強会グループとして「一水会」を設立し、運動シーンに戻った。
一水会は森田必勝を追悼する「野分祭」を毎年挙行。また、機関紙「月刊レコンキスタ」を創刊し、言論活動を行なった。昭和56年には行動組織「統一戦線義勇軍」を設立。一水会と義勇軍は対米独立を掲げ、激しい政治闘争を展開した。
後に鈴木氏は作家としても活躍し、数々の著書を世に出している。左派の政治家や言論人とも忌憚なく接し、交友関係は広かった。代表的著書に『腹腹時計と<狼> 』『テロ 東アジア反日武装戦線と赤報隊』『夕刻のコペルニクス』『愛国者は信用できるか』などがある。
一水会の木村三浩代表はレコンキスタonlineで以下のようにコメントしている。
鈴木邦男ならびに一水会の思想と行動は、「民族自決」「YP体制打破・対米自立」「三島由紀夫・森田必勝両烈士の鎮魂と顕彰」「反・公安」そして「尊皇」を基調としている点では常に一貫しおり、今後も、その遺志を継承し、言論を重視した活動を展開してまいります。
レコンキスタonline
一水会は後日「鈴木顧問を偲ぶお別れ会」を開催する予定。
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