令和3年4月4日は古代中国で開発された季節区分法である二十四節気のうち「清明」節にあたる。二十四節気には代表的なものとして「立春」「啓蟄」「夏至」などがある。
現代でも中国大陸や沖縄県では清明節を先祖供養のための重要な期間と位置づけ、祭礼や墓所の清掃を行うという。日本本土における「お盆」に似た慣習だ。
戦後日本を代表する作家、三島由紀夫を顕彰する記念碑に「清明」と彫られた石碑がある。これは三島の揮毫が元になっており、大神神社(奈良県桜井市)の摂社である狭井神社境内に設置されている。
同碑銘板によると、三島が大神神社へ送った書簡には以下の文章があった。
大神神社の神域は、ただ清明の一語に尽き、神のおん懐ろに抱かれて過ごした日夜は終生忘れえぬ思ひ出であります。/又、お山へ登るお許しも得まして、頂上の太古からの磐座(いわくら)をおろがみ、そのすぐ上は青空でありますから、神の御座の裳裾(もすそ)に触れるやうな感がありました。(中略)御神職が、日夜、清らかに真摯に神に仕へておいでになる御生活を目のあたりにしまして、感銘洵(まこと)に深きものがございました。
三島が想いを込めた「清明」の二字と、二十四節気の「清明節」の関係はわからない。
そもそも三島が大神神社を訪れたのは、遺作長編「豊饒の海(全四巻)」の第二作『奔馬』の舞台として取材するためであった。
「豊饒の海」は輪廻転生をモチーフとしており、同作を通じてストーリーテラーの役割を果たしている本多繁邦が、第一作『春の雪』の主人公である松枝清顕の転生者・飯沼勲(『奔馬』の主人公)と出会うのが大神神社なのだ。
「清顕(きよあき)」と「清明」。訓読みにすれば同じである。
ちなみに私は『恋闕のシンギュラリティ』と題するエンタメ小説の主人公を「飯倉清明」と名付けた。いわば『豊饒の海』へのオマージュだ。同作は未来小説で、三島由紀夫の「人格AI」も登場する。
話を戻すと、「清明」には「万物に清新の気がみなぎる時節」という意味がある。まさに春らしさを実感できる言葉だが、現代でも中華圏や沖縄県ではこの時期に合わせてピクニック気分で家族ぐるみの墓参を行う風習がある。
唐代には女性は日々を屋内で過ごすこととされていたが、清明節だけは自由な外出を許された。これは同時に、「男女の出会い」のきっかけにもなったという。
春のピクニックといえば日本では「お花見」があるが、昨年と今年はコロナショックのために自粛ムードに覆われた。緊急事態宣言が明けても、飲食店に時間短縮営業を求める声があり、会食や宴会が危険視される「空気」が消えない。
だからといって屋内に引きこもって鬱々としているようでは、せっかくの春らしさを味わうことはできない。たまには郊外へ出て、自然の「清新の気」を吸収したいものだ。
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