『麒麟がくる』衝撃の最終回 光秀は生きていた?!

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令和3年2月7日、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が最終回を迎えた。以下ストーリー上のネタバレを含むため、予めご容赦いただきたい。

本能寺の真相をどう描いたか?

前回の当サイト記事でも述べた通り、「本能寺の変」と呼ばれる明智(惟任)光秀による謀反の動機については諸説ある。怨恨説、野望説、将軍黒幕説、朝廷黒幕説、四国説、イエズス会黒幕説などである。

今回の大河ドラマがどの説を採用するのか、歴史ファンの間で注目が集まっていた。直近の放送では正親町天皇が信長の暴走ぶりを留めるよう光秀に下命し、徳川家康が信長の命令で妻子を処刑せざるを得なかったことの無念を光秀に訴えるなど、「朝廷黒幕説」や「家康黒幕説」になるのではとも囁かれた。

結論からいうと、『麒麟がくる』ではいずれの説も採用されなかった。

最終回で信長は四国の覇者・長宗我部討伐の計画を明かし、長宗我部と関係の深い光秀が驚愕するシーンが描かれた。また、信長を討った後に「美しい京の街を取り戻す」といった台詞があることから、天下人になろうとした「野望説」と「四国説」の折衷型といえるかも知れない。

その他、信長の正妻で斎藤道三の娘である帰蝶が光秀に「信長様に毒を盛るしかない」といった発言をしていたり、将軍義昭が「光秀が支配する京になら帰っても良い」と言っていたり、出演者総がかりで光秀に謀反を唆していた印象だ。

史実は依然として不明であるが、様々な要因が複合的に絡み合って、謀反の動機となったということはあり得るかも知れない。

ここが変だよ、大河ドラマ

「本能寺の変」における戦闘シーンはまるで「忠臣蔵」のようであった。本能寺の前に明智軍が整然と並び、光秀の号令のもと正面から門をブチ破って境内に雪崩れ込む。これは実際の史料に描かれる様子とはだいぶ違う。

例えば宣教師ルイス・フロイスの「日本史」には以下の記述がある。

「明智の軍勢は御殿(本能寺)の門に到着すると、真先に警備に当たっていた守衛を殺した。内部ではこのような反逆を疑う気配はなく、御殿には宿泊していた若い武士たちと奉仕する茶坊主と女たち以外には誰もいなかったので、兵士たちに抵抗する者はいなかった」

兵士たちが一糸乱れず整列して行進するシーンも、完全にフィクションだ。日本の軍隊が整列するようになったのは幕末・明治に近代的な軍隊制度が導入されてからだといわれている。これらの演出は、ドラマの終盤を盛り上げるために必要だったのだろう。

『麒麟がくる』の最終回は15分延長されたものの、「本能寺の変」以降は駆け足で、その後の情勢の変化を説明するに留まった。注目すべきは光秀の敗死が描かれず、単騎で駆け去るシーンで終幕した点だ。

歴史ファンの間では「光秀生存説」も人気で、後に徳川家康の相談役となった南光坊天海になったのではないかといわれている。これは源義経が死なずに大陸に逃れ、チンギス・カンになったという伝説と同類の歴史ロマンである。

そのような伝説(生存説)を示唆するような結末をNHKが大河ドラマのラストに持ってきたことは、今後議論を呼ぶかも知れない。

実際に光秀はいかなる人物だったのか

光秀木坐像(慈眼寺

橋場日月著『明智光秀 残虐と謀略:一級史料で読み解く』 (祥伝社新書)は、ステレオタイプな光秀像に一石を投じている。

光秀は「仰木(編注:比叡山派の地域)は、是が非でも皆殺しにしなければならない」と激烈な言葉を発している。(中略)光秀はあくまで引き止め役どころか、強硬に殲滅を主張するほどの主戦派だったのだ。
橋場日月著『明智光秀 残虐と謀略:一級史料で読み解く』(99P)

光秀が決して朝廷や幕府という伝統的権威に対して従順でもなんでもない人物であり、幕府奉公衆をはじめとする幕臣の利益代表というよりもむしろ、率先して押領に奔走する男であったことは、疑いようのない事実だ。固定化された光秀のイメージとはかなりかけ離れている。
同上(110P)

同著で示される光秀の事績から想像される人物像は温厚で正義漢というよりも、残虐な性格で謀略に長けた「英雄・光秀」(同著15Pより)なのである。

人気俳優・長谷川博己が演じたことで激変したとも言える光秀像だが、実際にはもっとドライで強かな武将だったのかも知れない。

追記

最終回放送終了後、NHKは主演・長谷川博己氏のコメントを動画で配信。その中で長谷川氏は「光秀は生き延びたと信じたい。番外編で光秀がいかにして江戸幕府を作ったのか(演技が)出来たら僕も幸せです」と述べ、光秀=天海説で同ドラマが描かれたことを示唆した。

(選報日本/編集部)

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