NHK『麒麟がくる』完結へ 結局「麒麟」を呼ぶのは誰?

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NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の放送が令和3年2月7日(第44回)で最終回を迎える。新型コロナ感染症によって制作が中断し、完結が年を越えるという異例の事態になった。

大河ドラマは第2作目以降、基本的に1月から12月のスケジュールで放送されてきた。例外は第31作『琉球の風』(平成5年1~6月)とそれに続く第32作『炎立つ』(平成5年7月~6年3月)、第33作『花の乱』(平成6年4~12月)のみ。

『琉球の風』が半年放送になったのは当時のNHKが大河ドラマの「短期化」を検討していたためで、制作も子会社であるNHKエンタープライズに「外注」されていた。その後、第34作『八代将軍 吉宗』からは1年クールに戻されている。

『麒麟がくる』の主人公は織田信長の部将・明智(惟任)光秀だ。近年活躍著しい長谷川博己が主演に抜擢されたことでも注目を浴びた。

大河ドラマの時代設定で最も多いのが戦国時代(後は幕末維新、源平合戦期の順)。そういう意味では本作も王道パターンだが、謀反を起こした挙句に滅亡した光秀を主役に据えるという設定は、異例だったと言ってよいだろう。

謎に包まれた明智光秀

「本能寺の変」の動機を含め、明智光秀という戦国大名は謎に包まれている。生まれ年も、父親の名前も、血統すらも判明していない。信長が英雄視されるのに反比例するように、映画やドラマでは「頭が固い」「根暗」「守旧派」といった風なイメージで描かれてきた。

近年、光秀を再評価する動きが生まれていた。光秀の子孫を名乗る歴史研究家の明智憲三郎氏による『本能寺の変431年目の真実』(文芸社)はベストセラーになり、『信長を殺した男〜本能寺の変 431年目の真実〜』(秋田書店)として漫画化されている。

その他、垣根涼介氏による歴史小説『光秀の定理』(角川文庫)では、非常に優秀かつ実直で人情味に溢れる光秀像が描かれていた。垣根氏はのちに『信長の原理』(同)を発表し、直木賞候補にもなった。

戦国ファンを魅了してやまないのが「本能寺の変」の謎だ。学問分野においても光秀謀反の動機は、怨恨説、野望説、将軍黒幕説、朝廷黒幕説、四国説、果てにはイエズス会黒幕説など、枚挙にいとまがない。

江戸時代の儒教教育によって、「武士道といえば忠義」というイメージが強いが、戦国時代までは主君に対する裏切りは日常茶飯事だった。実際に信長も、その生涯において多くの家臣や同盟者からの裏切りに遭っている。

それでも「本能寺の変」が世人の関心をひくのは、それによって天下統一を目前にしていた信長が滅亡し、首謀者の光秀も短期間で羽柴(豊臣)秀吉に滅ぼされてしまったからであろう。

信長は変貌したのか

『麒麟がくる』では、染谷将太が「怪演」ともいうべき新たな信長像を演じ切っている。若い頃は母親の愛情に飢えながらも、正親町天皇(役・坂東玉三郎)に褒められれば無邪気に喜ぶという人間味を見せる一方、容赦なく敵を殲滅し、家臣を粗雑に扱う様はまるでサイコパス(※)だ。

※サイコパス=反社会性パーソナリティ障害とも呼ばれ、表面的な魅力があり、誇大的な自己価値観を抱きやすく、共感性の欠如、衝動的、行動のコントロールが効かないなどの特徴がある。人口の1%以上は存在すると見られており、必ずしも犯罪に走るわけではない。

ドラマが終盤に近づくにつれ、権力を握った信長は徐々に変貌していく。その威光を恐れて意見する部下はいなくなり、相次ぐ反乱で人間不信に陥る。秀吉を使って光秀らの行状を探らせるあたりは、秘密警察や密告制度で恐怖政治を敷く独裁者そのものである。

実際にはどうだったのか。令和2年8月に出版された木下昌輝著『信長 空白の百三十日』(文春新書)に興味深い考察がある。

信盛や秀貞を追放して以降、天正八年の公記(※)の記述が一気に少なくなる。(中略)この四ヶ月半の間、信長は何をしていたのだろうか。(中略)私が思うに、信長は引きこもっていたのではないか。(中略)粛清するべき人間の多さに、信長は絶望し、鬱病になったのではないかと私は妄想する。
木下昌輝著『信長 空白の百三十日』(文春新書)189P

※信長公記=織田信長の一代記。著者は信長旧臣の太田牛一で、原本は江戸時代初期に成立。

そして木下昌輝氏は晩年のヒトラーやフランクリン・ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相を、国のトップが鬱病に罹った類例として紹介するのである。なお、引用文に「妄想」とあるように、木下昌輝氏は歴史研究者ではなく小説家だ。

織田信長の虚像と実像

憲政史家で皇室史学者の倉山満氏は、著書『大間違いの織田信長』(KKベストセラーズ)で、信長が英雄視されるようになったのは第二次大戦後であると指摘している。明治以降、最も人気があったのは豊臣秀吉だったが、朝鮮出兵を行ったために戦後は英雄視しづらくなったとのだいう。

倉山氏は同書で「等身大の信長を描いた」とし、信長の魅力について以下のように述べている。

その魅力とは、信長は徹底した努力の人であったことだ。自分より優れた人たちと戦い、勝ち、そして最期は挫折した。これほど人間的な人物が他にいようか。(中略)晩年の三年強こそ「調子に乗っていた」が、それで全人生を語るのは実像を歪めることになるだろう。(中略)むしろ体制再建者と言った方が適切だろう。
倉山満著『大間違いの織田信長』あとがきより

そして、「正義感が強」く、「働き者」で、「天に代わり、世を正」そうとしたのが織田信長なのだと総括している。(前掲書)

「麒麟」とは何だったのか

大河ドラマ『麒麟がくる』で一貫したテーマになっている架空の動物・麒麟は、「王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣」(NHK公式サイト)とされている。

同作プロデューサーの落合将氏は、

暗い影が日本を覆い始め、そして迎えた「令和」。これまでの常識や価値観が揺れ動き、転換が求められています。そんな今だからこそ、戦国の若者たちが新しい価値観を作り上げていく姿は、希望と映るのではないか
『NHK大河ドラマ・ガイド 麒麟がくる 前編』(NHK出版)より

と、制作の背景を説明している。

麒麟を呼ぶのは特定の誰かではなく、信長や光秀を含めた有象無象の「戦国の若者たち」だったのではないだろうか。

(選報日本/編集部)

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