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戦後日本に真の「自由」は存在していなかった

(執筆者 馬場能久)
私は障害者となった時に「自分はこの世に何のために生まれたのか」と苦悩し、そして、「自分とは何か」「人間とは何かと」と煩悶し続けた。


この「自分とは何か」という煩悶は、古今東西を問わず、真の意味で生きんとする人間全ての者に与えられる「人間とは何か」という大課題である。これが分からないでは「人間らしく生きる」とか「自分らしく生きる」ことなど出来るものではない。

ところが現代人は「自分とは何か」を探求することなく「自由」をあるものとしている。「人間は生まれながらにして人間である」などとうそぶいて、「自由」は人権として与えられるもの、法的に万人に認められたものとなしている。だが、それで「自由」を得られることなど絶対にない。何故なら「自由」は与えられるものではなく、己の魂で求め獲得するものだからだ。

「自由」を得るためには自分を縛る「人間」「生命」「神」「宇宙」という課題を突破せねば獲得することは出来ない。川に釣り糸を垂らして鯨を釣ることは出来ないことなど万人が認めることだ。にも拘わらず現代人は「自由」がいとも簡単に鮒や鯉を釣るように釣れると考えている。即ち「自由とは何か」ということを現代人は本気で考えたことがないのだ。

北原白秋の童謡「待ちぼうけ」はこう言う。

1.待ちぼうけ、待ちぼうけ、
  ある日せっせと、野良かせぎ、
  そこへ兎が飛んで出て、
  ころり、ころげた
  木の根っこ。
 
2.待ちぼうけ、待ちぼうけ、
  しめた。これから寝て待たうか。
  待てば獲ものは駆けて来る。
  兎ぶつかれ、
  木の根っこ。
 
3.待ちぼうけ、待ちぼうけ、
  昨日鍬とり、畑仕事、
  今日は頬づゑ、日向ぼこ、
  うまい伐り株、
  木の根っこ。
 
4.待ちぼうけ、待ちぼうけ、
  今日は今日はで待ちぼうけ、
  明日は明日はで森のそと、
  兎待ち待ち、
  木の根っこ。
 
5.待ちぼうけ、待ちぼうけ、
  もとは涼しい黍(きび)畑、
  いまは荒野の箒(ほうき)草、
  寒い北風、
  木の根っこ。

今皆さんの頭に浮かんでいる、笑い者になった百姓は誰のことであるか。今は荒れ果てた荒野とは何処のことか。

言わずもがなであろう。

国の笑い者になったのは現代日本人。
今は荒れ果てた荒野とは日本。

であろう。

かつて「自由か然らずんば死を」と言った者がある。アメリカをイギリスから独立させた功労者の一人パトリック・ヘンリーである。「自由」とはそういうものなのだ。アメリカは原子力潜水艦「ジョージ・ワシントン」に続いて1958年に就航した原子力潜水艦に「パトリック・ヘンリー」と名付けた。以てアメリカ人の「自由」に対する思いの一端を知ることが出来るではないか。

「真の自由」を得んとすれば日本人は戦わねばならない。「人間とは何か」「日本とは何か」「吾とは何者か」という大海に出帆し戦わねばならない。精神の大航海時代を拓かねばならないのだ。

今日本で言う「グローバリズム」「国際化」など井の中の蛙の見ている水たまりに過ぎない。井戸を出て、広い大自然を見よ。夏の暑さにのたうち回れ。寒さに打ち震えて死ぬか生きるかの肺炎に呻け。そしてそれでも世界の中で自己実現出来る深く広き知恵と強き独立心を獲得せよ。知・仁・勇は己の「自由」を獲得するための戦いに不可欠の武器である。

君たちは一人ではない。戦い自由と独立を勝ち取った先輩達がいるではないか。高山彦九郎も西郷南洲もいるではないか。学べ。学んで学んで、真の独立を獲得せよ。そこに本当の君の「自由」と「独立」がある。そこに祖国日本の「自由」と「独立」がある。

「己とは何か」「人間とは何か」という大課題は、この「自由」と「独立」を獲得する為の起点である。「人間とは何か」の答えを求めれば、「生命とは何か」を求めなければならず、「生命とは何か」を求めれば、「神とは何か」「宇宙自然とは何か」ということに到らざるを得ない。私も愚と雖も又そこまで到って初めて「俺は人間として生きていける」という確信を得たのである。それで初めて人間であることの自由を獲得した。また障害者であることからの自由も獲得した。

戦前を専制と奴隷的境遇とする戦後。「自由」を獲得した筈の現代社会。にもかかわらず、何故に斯くも人間の生命が曇っているのか。些かも光輝いていないではないか。

答えは明らかだ。戦後の自由は与えられたものだからだ。戦後社会の「自由」は、アメリカの自由主義にせよ、ソ連中共の社会主義にせよ、日本という己の魂を失ったものであるからだ。その意味で、吉田茂にせよ、自民党にせよ、道を誤った。自ら選んだ「不自由」は与えられた「自由」に優る。日本は独立回復と同時に真の独立を回復せねばならなかった。そして精神の「自由」と「独立」を勝ち取らねばならなかったのだ。

言葉の「自由」に左右されるな。自ら選んだ「不自由」は「自由」である。苦しんでも、泣いても、そこには心から沸き上がる喜びがある。生き甲斐がある。これこそが尊き生命なのだ。尊き命を擲ってでも護らねばならないものがあることを知る者のみが本当の「生命の尊厳」を語ることが出来る。

今、この瞬間、我々日本人が真の「自由」を獲得する為に選択すべき道はどこにあるか。

「日本独立」

である。

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