三島由紀夫による世界精神を詠む「豊饒の海」第二部『奔馬』

小説
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その作品の価値が世界的なレベルで認識され、時代を超えいつまでも消えることが無い。つまり、人類レベルで普遍的な価値を有する小説。それを私は「絶対的概念としての世界精神(※)に達した小説」と呼びたいと思います。

※世界精神(Weltgeist)…①万物を根底において支持統一する生命的原理。世界霊魂。②ヘーゲルの歴史哲学で、世界史において、特殊的有限的なもの(民族精神)を媒介として自己を段階的に実現してゆく超越的な精神。
(大辞林)

思いつくままにあげれば、ゲーテの『ファウスト』、プルーストの『失われた時を求めて』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などが該当します。

私見によれば、日本にはその世界精神に達した小説が、うれしいことに二つあります。一つが紫式部の『源氏物語』であり、もう一つが三島由紀夫の『豊饒の海』全四巻です。

『金閣寺』はどうしたという声が出そうですが、『金閣寺』の比類なき完成度の高さは、今さら私ごときが語るまでもありません。

しかし、『金閣寺』に記された世界の、時間的・空間的・人間的広がりにおいて、やや小さく特殊であり、いわば「箱庭的な趣」が強いため、これを「人類レベルで普遍的な価値を獲得した小説」というには、いささかためらわれます。

その点、『豊饒の海』は申し分ありません。何よりも作者の三島由紀夫自身がそのことを十分に意識して、小説を執筆しているのです。

私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長編には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になつて以来考へつづけてゐた「世界解釈の小説」を書きたかつたのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。
— 三島由紀夫「『豊饒の海』について

日本だったら「源氏」がある意味でそうかもしれないし、宗教ではありませんけれども馬琴が一生懸命考えたことはそういうことじゃないか。仁義礼智忠信孝悌、ああいうものをもってきて、人間世界を完全にそういうふうに分類して、長い小説を書いて、そうして人間世界を全部解釈し尽くして死のうと思ったんでしょう。
— 三島由紀夫「対談・人間と文学」(中村光夫との対談)

そして小説の仕上がりは、正にその言葉通りの出来となっています。読詠的な観点から言わせていただければ、どの部分を詠んでも、芭蕉の言うところの「黄金をうち延べたる」調べに満ちています。埋め草的な部分が皆無に等しく、誠に驚くべき出来としか言いようがありません。

川端康成は、第一部『春の雪』、第二部『奔馬』を評し、「奇蹟に打たれたやうに」感動、驚喜して、『源氏物語』以来の日本小説の名作と思ったとし、次のように述べています。

このやうな古今を貫く名作、比類を絶する傑作を成した三島君と私も同時代人である幸福を素直に祝福したい。ああ、よかつたと、ただただ思ふ。この作は西洋古典の骨脈にも通じるが、日本にはこれまでなくて、しかも深切な作品で、日本語文の美彩も極致である。三島君の絢爛の才能は、この作で危険なまでの激情に純粋昇華してゐる。この新しい運命的な古典はおそらく国と時代と論評を超えて生きるであらう。
— 川端康成「三島由紀夫『豊饒の海』評」

 
この大傑作を共に詠み、そして語りましょう。未読の方も大歓迎です。

三島由紀夫読詠会@福岡『奔馬』(「豊饒の海」第二部)

日時:令和2年8月27日(木)19:00-20:30
会場:福岡市(詳細はお問い合わせください)
会費:無料
詳細:reimeisha.jp

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石原志乃武(いしはら・しのぶ)/昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

石原志乃武

(いしはら・しのぶ)昭和34年生、福岡在住。心育研究家。現在の知識偏重の教育に警鐘を鳴らし、心を育てる教育(心育)の確立を目指す。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会幹事。福岡黎明社会員。

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