東日本大震災でおきた「支援物資窃盗事件」とは

小説
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東日本大震災から10年が経った。

私が書いた小説『水戸黄門時空漫遊記』に、東日本大震災におけるエピソードが登場する。該当箇所を下記に引用する。

 そのあと聞いた話に、僕らはさらなる衝撃を受けた。小学校の裏山で寒さと空腹に耐えながら一晩を過ごした小学生たちは、翌朝になって瓦礫を乗り越え、1kmほど離れた丘の上の中学校にたどり着いた。そこはすでに避難民で溢れかえっていた。災害用備蓄は乏しく、二日と保たなかった。地震発生から四日目になって、ようやく自衛隊によってパンやおにぎりなどの食料が届けられたという。
 「でも、食料は配られなかったんです」
 「え、どうして?」
 「全員分には、数が足りないからって」
 避難所となった中学校の体育館を取り仕切ったのは、地元の公務員だった。食料はその公務員が窓口となって受け取ったのだが、一人一個ずつ配ると、どうしても一割ほど不足したのだという。
 「僕は夜中になってこっそり忍び込んで、食べ物を盗んだんです」
 ワタル少年は盗んだ食料を一緒に逃げてきた同級生たちに分け与えた。この行動がきっかけとなり、山積みされた食料は子供と怪我人を優先して配られることになった。その他の大人たちは、残りを一口ずつ分け合ったのだという。非常時にあって、一公務員の杓子定規な判断は、一人の小学生によって覆されたのだった。

水戸黄門時空漫遊記

実はこのエピソードは実話に基づいている。

細かい数字は実際とは違うし、支援物資の食糧を盗んだのは「少年」ではないが、プロットは事実である。

私は東日本大震災が発生した後、ボランティア団体の臨時職員として半年ほど復興支援活動に従事した。このエピソードは、現地で被災者から直接聞いた。

震災から10周年ということで、各メディアには悲劇を振り返るコンテンツが溢れた。悲劇を打ち消す美談も多く語られてきた。そこには、あの大災害を日本全体の教訓にするという視点が欠けていたのではないか。

平成23年時点で既に、マスメディアを通じて流される被災地の実態に違和感があった。現地の情報は、マスメディアのフィルターを通した瞬間に、無害で無意味なものに変わっていた。

マスメディアのフィルターを通した被災者はみな「悲劇の主人公」であり、震災は「避けようのない悲劇」になってしまう傾向が確かにあった。

しかしボランティアとして接する被災者たちは善良な人々ばかりではなかったし、全ての犠牲は必ずしも避けようのない悲劇ではなかった。現実から目を背けさせるマスメディアのフィルターは、日本人が教訓を得る貴重な機会を奪った。

震災直後の混乱や矛盾は、後の熊本地震でも繰り返されたのである。これからもきっと、日本人は同じ失敗を繰り返すのだろう。

本山貴春

(もとやま・たかはる)選報日本編集主幹。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡大法学部卒(法学士)。CATV会社員を経て、平成23年に福岡市議選へ無所属で立候補するも落選(1,901票)。その際、日本初のネット選挙運動を展開して書類送検され、不起訴=無罪となった。平成29年、PR会社を起業設立。著作『日本独立論:われらはいかにして戦うべきか?』『恋闕のシンギュラリティ』『水戸黄門時空漫遊記』(いずれもAmazon kindle)。

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