『ONE PIECE』赤髪のシャンクスのモデル フズル提督とは

皆さんはフズル・ハイレッディンもしくはバルバロス・ハイレッディンと呼ばれる海賊を知っているだろうか? フズルは約500年前の地中海で活躍した海賊で、オスマン帝国の海軍提督を務めた人物でもある。

彼は漫画『ONE PIECE』の登場人物、赤髪のシャンクスのモデルという説も囁かれている。また人気ドラマ『オスマン帝国外伝』においてトルガ・テキンがフズルを好演したことは、多くの視聴者の記憶に残っているのではないだろうか。

今回はこの魅力あふれる海賊について書いていきたい。

フズル提督の活躍

フズルはレスボス島(当時はオスマン帝国領、現在はギリシア領)に生まれ、兄弟たちと共に海賊として生きる道を選んだ。

先に海で名を上げたのは兄のウルージだった。勇猛で部下からの畏敬の念を抱かれていたウルージは、北アフリカのアルジェを征服した大海賊であった。ウルージとフズルの兄弟はいつしか「バルバロス(赤ひげ)兄弟」と呼ばれ恐れられるようになる。

偉大な兄・ウルージの死後、跡を継いだのがフズルであった。しかし当時、状況は危機的であった。アルジェ方面に侵出を目論むスペイン軍が、いつ攻めてくるか分からなかったためである。

そこでフズルはオスマン帝国の第9代皇帝・セリム1世に使者を送る。アルジェをオスマン帝国の属州とし、忠誠を誓う代わりに、軍事的な支援を願い出たのだ。この願いは地中海への進出を意図していたセリム1世にとっても、まさに渡りに船だった。

1519年、セリム1世は2000人の兵士を送ると共に、フズルをオスマン帝国のアルジェ総督として任命する。

その後フズルはアルジェの港をイスラム教徒の海賊たちに開放し、1529年には近郊のスペイン軍の砦を占領するなど活躍をみせる。

続いて1533年、フズルはオスマン帝国の首都・イスタンブールに赴く。そこでセリム1世の息子にして、第10代皇帝スレイマン1世に謁見。

スレイマン1世から艦隊の編成を命じられたフズルは、わずか数か月で60隻あまりのガレー船を築くなど、オスマン帝国海軍の礎を築くことになる。

地中海で猛威を振るうオスマン海軍に、キリスト教徒たちは恐れおののいた。

特にスペイン本土に近いメノルカ島をフズルが30隻余りのガレージ船を率いて襲撃したことは、スペイン人たちを恐怖のどん底に陥れた。

メノルカ島からアルジェに戻ったフズルは、再度イスタンブールに赴きスレイマン1世に謁見する。スレイマン1世の次なる指令は、イタリア南部への攻撃だった。

そしてこの時にこそ、フズル・ハイレッディンはオスマン帝国海軍の大提督(カプタン・パシャ)に任命されるのである(以下からは彼をドラマ『オスマン帝国海軍』に倣い、「フズル提督」と表記したい)。

1538年、オーストリア、ヴェネツィア、ローマ教皇などが神聖同盟を結成し、連合艦隊を編成。オスマン艦隊との戦いに赴いた。世界史に名高い「プレヴェザの海戦」である。

兵士6万、艦船300隻を誇る神聖同盟艦隊に対し、オスマン艦隊は兵士2万、艦船120隻と数的には不利であった。

戦いは初め互いに出方をうかがう形だったが、神聖同盟側は指揮系統の統一を欠いていた。それを突く形でフズル提督が攻撃命令を出し、オスマン側が先制攻撃。神聖同盟艦隊は全面対決を避け、早々に撤退してしまう。

規模で大きく勝る神聖同盟艦隊に対し、オスマン艦隊はわずかな損害で勝利を収めたのだった。

その後もフズル提督は1541年にアルジェを襲撃したスペイン海軍を返り討ちにするなど、活躍をみせる。彼の晩年における最大の戦果は、ニース攻撃に代表されるフランス方面での活躍であろう。

オスマン・フランス連合艦隊によるニース攻撃(マトラークチュ・ナスーフ作)

フランスは国土の東をオーストリアに、西をスペインに挟まれていた。当時の両国の君主は、ハプスブルク家のカール5世(スペイン王としての名はカルロス1世)。

彼はフランス国王・フランソワ1世にとっても、オスマン帝国のスレイマン1世から見ても、ライバルと言える存在だった。

「敵の敵は味方」という言葉があるが、キリスト教のフランスとイスラム教のオスマン帝国という異例の同盟が実現。

合同作戦のためにフランス・マルセイユに入港したオスマン艦隊を率いたのが、やはりフズル提督であった。彼はフランソワ1世の歓迎を受けたのち、オスマン・フランス連合艦隊を率いてニースを攻撃。ニース城壁は陥落こそしなかったものの、現地での有利は確定した。

オスマン艦隊の強さを見せつけたフズル提督は、その後南フランスのトゥーロン港に寄港した。彼はこのトゥーロンが気に入ったようで、1年以上も停泊している。

フズル提督は配下にスペインやイタリアの襲撃を指示し、多くのキリスト教徒たちを捕虜とした。配下たちがトゥーロン港に帰港すると、捕虜たちを輸送船でアルジェに送ったという。

流石に同じキリスト教徒としてフランソワ1世も気が引けたにようで、丁重に引き払いを願った。その際フズル提督には大金が支払われ、宝石などの贈り物やイスタンブールまでの船員や食料まで手配された。

当時、地中海は「スレイマンの海」と呼ばれるほど、オスマン帝国の支配が確立していた。その功績は紛れもなくフズル提督によるものである。フランソワ1世の彼への接し方は、まさにその証左と言えるだろう。

フズル提督はフランスからの帰路においても南イタリアを襲撃。大量のキリスト教徒を捕虜とし、イスタンブールに凱旋した。彼の生涯が幕を閉じるのは、その約2年後である。

『ONE PIECE』との共通点

ちなみに冒頭に記した「フズル提督は『ONE PIECE』に出てくる赤髪のシャンクスのモデルである」という説は、やはりフズル提督の異名・「バルバロス(赤ひげ)」が有力な根拠であろう。

他の共通点としては、

権力者に忠誠を誓っている→フズル提督はオスマン帝国のセリム1世やスレイマン1世に仕えていた。シャンクスは五老星(『ONE-PIECE』の世界における最高権力者)に忠誠を誓っているような描写がある。

少年を助けている→フズル提督はスペインに捕らわれていたトゥルグト・レイスという青年を助け出したことがある。彼もまた海賊提督になり、フズル提督亡きあとは地中海を制覇した。シャンクスは『ONE-PIECE』の主人公のモンキー・D・ルフィの命の危機を救い、ルフィが海賊になるきっかけとなった。

「左腕」に因縁がある→フズル提督の兄・ウルージはスペインとの戦いで左腕の自由を失っている。シャンクスはルフィを助けた際、左腕を失っている。またシャンクスが率いる赤髪海賊団が、劇中におけるルーキー海賊のキャプテン・キッドと戦い、キッドは左腕を失う重傷を負ったという描写がある。

などが挙げられるだろうか。

トルガ・テキンがフズル提督役を名演

またトルコのドラマ『オスマン帝国外伝』において俳優トルガ・テキンがフズル提督を演じたことについても記しておきたい。

この『オスマン帝国外伝』は、スレイマン1世と奴隷の身分から皇帝妃にまで登りつめたヒュッレム妃を主人公とした宮廷ドラマ。世界で8億人が視聴したと言われる人気ドラマだ。フズル提督はシーズン3とシーズン4に登場する(全4シーズン)。

『オスマン帝国外伝』シーズン3における人物相関図(チャンネル銀河より)

特筆すべきは、フズル提督がスレイマン1世の第一皇子・ムスタファの支援者として描かれている点である。

ムスタファ皇子は第一夫人マヒデブランの息子であり、勇敢かつ聡明にして軍事の才にも長けた有能な存在であった。マヒデブラン妃と対立し、自身の息子のいずれかを皇帝として即位させたいヒュッレム妃にとって、最大の障壁がこのムスタファ皇子であった。

劇中では、フズル提督がムスタファ皇子を次なる皇帝として即位させるために尽力する様子が描かれている。フズル提督が呼び寄せたイェニチェリ軍団(オスマン帝国の精鋭戦士)がムスタファ皇子に忠誠を誓うシーンは名シーンだ。

海軍の頂点であるフズル提督とイェニチェリ軍団からの信頼厚いムスタファ皇子のタッグは、海千山千のヒュッレム妃をして勝つことは不可能ではと視聴者に思わせた。

実のところ、フズル提督がムスタファ皇子の支援者であったという記述は(史実の)文献にはない。

おそらくリュステム(オスマン帝国の大宰相。ミフリマーフ皇女の配偶者で、スレイマン1世やヒュッレム妃の娘婿。)のライバルだった人物がシーズン3の後半で命を落とすので、代わりにリュステムのライバルとしてフズル提督が抜擢されたと思われる。

ドラマにおいてもやはりフズル提督はオスマン帝国に貢献した偉大な人物として描かれ、彼の葬儀が荘厳に営まれるシーンは印象的だった。

史実におけるフズル提督は、引退後にイスタンブール近郊の海辺に宮殿を建設。1546年にそこで死去した。ベシクタシュ地区の霊廟(1541年にミマール・スィナンが建設)に葬られる。

フズル提督の死後数百年に渡り、トルコの船乗りたちは、彼の霊廟の方角を目がけ祝砲を撃ち鳴らし、船を出向させた。

かつて偉大な英雄が海にその名を轟かせたことに想いを馳せながら。

矢野哲郎(やの・てつろう)平成3年、福岡県行橋市に生まれる。下関市立大学経済学部卒。大学卒業後は塾講師の仕事を行い、国語・数学・英語などの科目を担当。放課後などの時間帯を利用して学習指導を行う「子どもひまわり学習塾」の指導員として4校の小学校を担当。NGOピースボートが主催する地球一周クルーズに参加し、人種差別に関する企画やブラインドサッカーなど多様な自主企画を実施。

『僕がぼくであるために ピースボートで大東亜戦争のことを考えた』
出版社:花乱社 (2018/6/28)
内容紹介:
自分のスタイルを確立せよ!
色んなことを語ろう,学ぼう,世界を旅しよう。
ブラインドサッカー,尾崎豊・裕哉父子,ピースボートで出会った仲間たち,そして世界で初めて人種差別撤廃を訴えた祖国・日本から僕が学んだ人生のヒントとは?

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