パラリンピック正式種目「ブラインドサッカー」の知られざる魅力とは

2015年12月にピースボート88回クルーズが終わったあとはなかなかブラインドサッカー(※)に携わる機会がありませんでしたが、帰国から約1年後に宗像市で行われるブラインドサッカーの日韓親善試合を観に行きました。12月18日に宗像グローバルアリーナで行われた第3回ブラインドサッカー日韓親善試合のことです。

編注※ブラインドサッカーとは、いわゆる「見えないサッカー」。ゴールキーパー以外が全盲の選手で、アイマスクを装着し、音の出るボールを用いてプレーする。パラリンピックでは「5人制サッカー」という競技名で、海外では「Blind Football」とも呼ばれる。(日本ブラインドサッカー協会)

宗像グローバルアリーナでは、その日もアビスパKIDSのサッカー教室の児童たちが熱心にサッカーの練習に打ち込んでいました。そしてゲストに元日本代表の前園真聖さんを招き、親善試合の前には前園さんのトークイベントもありました。

地元の近くでブラインドサッカーの試合が行われ、体験会もある。しかも前園さんにも出会える。こんなチャンスを逃す手はありません。

良く晴れた青空とよく整備された芝生が映える中、サッカーに打ち込む児童たちの様子も見ました。それを時には応援し、時には暖かく見守る保護者の人たち。見ていてとてもとても爽やかな気持ちになりました。

そしてアトランタ五輪でブラジルを破った「マイアミの奇跡」の時のキャプテンだった前園さんに実際に会える幸運。当然のように私のテンションは上がります。

ブラインドサッカーの日本選抜チームの練習風景ももちろん見ましたが、やはりプロは違うなと思いました。ドリブルやシュートの練習をしていましたが、「見えないのにどうしてあんなに上手くできるの!?」と改めて感じることになりました。

実際に目を瞑って歩くと分かるのですが、見えないまま真っすぐ歩くこと自体そもそも難しいのです。それを踏まえれば、ドリブルをして、ゴール目がけてシュートすることがどれ程すごいことなのかは想像に難くないでしょう。

攻撃陣と守備陣の二人に分かれてのドリブルシュート練習では、参考文献で読んだ通り、「ボイ」の掛け声を使っていました。果敢なプレーで、「ボイ」を連呼していたのは印象的でした。私の想像の中では、ちょっと走り込んで一言二言声をあげるだけだろう、とのんびりしたことを考えていましたがとんでもない。

(目が)見える私なんかよりもずっと素早く機敏な、白熱の練習風景でした。

前園さんのトークイベントでは、彼が幼少の頃と現在の環境の違いなど貴重な話を生で聞くことができました。彼が幼少の頃はまだサッカーの練習をするフィールドなどもあまり整備されていなくて、会場のグローバルアリーナの美しさと比較して話を進行。芝生がよく整備されていることに驚きを受けた私も、「なるほどな」と思える話でした。

ジェネレーションギャップなのか児童たちは前園さんやアトランタ五輪の頃のサッカー事情を知らず、質問も「歳は何歳ですか」とかそんな感じだったのはなかなか面白かったです。それを聞くのか…(笑)

そしていよいよ、日韓親善試合が開始!

第1回、第2回ともにスコアレスドローになっているため、お互いに初勝利は譲れません。練習時と同じく、レベルの高いドリブル。果敢なボールの奪い合い。そして壁際での競り合いは度迫力でした。

視覚情報に頼らないブラインドサッカーの試合では、自分の立ち位置などを確認する際に壁をタッチしに行ったりしますが、自分が倒れないように、あるいは反則をとられてセットプレーから失点しないように壁際での戦いになることも多いようです。

ゴール裏のコーラーのスローインや指示出しもすごかった。瞬時の判断で的確な声出しをし、よく通る声で選手たちに檄を飛ばす姿はまさにフィールドプレイヤーの一員という感じがしました。

試合内容は互角と言えましたが、小柄ながら機敏な韓国側のドリブル突破にあわや失点!?という場面もありヒヤッとしました。

試合は0-0のままホイッスルが鳴りましたが、初めてブラインドサッカーの試合を観戦できた私には、引き分けという試合内容以上に得るものがありました。

そしていよいよ、体験会。日韓の選抜メンバーとサッカー教室の児童ら、そして前園さんと一緒にブラインドサッカーをできるなんて、一生のうちに一回あるかないか。

年齢や国籍を越え、お互いに声をかけあいながら励まし合いながら、時には手をひきながらプレーする。まさにブラインドサッカーの理念を体感しました。強くボールを蹴りすぎたときもありましたが、目が見えない状態になっても周りが初対面の人ばかりでも臆せずにプレーできました。クルーズ中の経験がしっかりと活きたのです。

(編注:この記事は、矢野哲郎著『僕がぼくであるために ピースボートで大東亜戦争のことを考えた』第2章から一部抜粋したものです。)

『僕がぼくであるために ピースボートで大東亜戦争のことを考えた』
出版社:花乱社 (2018/6/28)
内容紹介:
自分のスタイルを確立せよ!
色んなことを語ろう,学ぼう,世界を旅しよう。
ブラインドサッカー,尾崎豊・裕哉父子,ピースボートで出会った仲間たち,そして世界で初めて人種差別撤廃を訴えた祖国・日本から僕が学んだ人生のヒントとは?

矢野哲郎(やの・てつろう)/平成3年、福岡県行橋市に生まれる。下関市立大学経済学部卒。大学卒業後は塾講師の仕事を行い、国語・数学・英語などの科目を担当。放課後などの時間帯を利用して学習指導を行う「子どもひまわり学習塾」の指導員として4校の小学校を担当。NGOピースボートが主催する地球一周クルーズに参加し、人種差別に関する企画やブラインドサッカーなど多様な自主企画を実施。



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