私のヒーロー・中村俊輔選手「イクメンなんて言葉、おかしくないか?」

中村俊輔選手は、今は天国にいる父との思い出の選手です。尾崎豊と中村俊輔は私と父の二大ヒーロー。まずは(筆者による)投書を紹介します。

 Jリーグ最優秀選手(MVP)に横浜F・マリノスの中村俊輔選手が選ばれた。史上初の2度目、最年長での受賞だ。今季のJリーグ得点ランキング上位には彼より若い選手が並ぶ。しかし、直接フリーキックによる得点数をリーグ最多記録の17に伸ばした中村選手の快挙も、彼らの活躍に比べて遜色はない。
 34歳で亡くなった松田直樹さんへの感謝や、「私の中でのMVP」とする中澤佑二選手への尊敬の気持ちを、受賞時に述べた。その姿勢は本当に立派だ。
 私は1度目のMVP受賞を今は天国にいる父と喜び合った。俊輔は、父と私の共通のヒーローだ。今回も彼の活躍に勇気をもらった。私も周囲への感謝や尊敬の気持ちを忘れず、今度は私が仕事を通じて子供たちに勇気を与えたい。
(2013-12-15 朝日新聞 一部加筆修正 記録や選手の所属チームは当時のもの)

2013年と言えば私が大学を卒業した年ですが、このシーズンのマリノスは強かった記憶があります。マリノスとサンフレッチェ広島が上位を争い、直接対決ではマリノスが二連勝したものの、最終節でサンフレッチェが逆転優勝するという苦汁をなめる展開でした。

最終節に川崎フロンターレとの試合に敗れた後、中村選手はピッチに伏せて涙を見せました。2002年日韓ワールドカップのメンバーに選ばれなかった時や2006年のW杯ドイツ大会の際のグループリーグ敗退の時も涙を見せなかった彼が、です。

サポーターのためにも優勝したいという思いがとても強かった証でしょう。あの男泣きを私は忘れることはできません。

しかし投書に書いた通り、中村選手は直接フリーキックによる得点ランキングでは1位です。一時はガンバ大阪の遠藤保仁選手に並ばれた時期もありましたが、この後も着実に記録を伸ばしていきました。

私が後述するピースボート88回クルーズに参加したときも、たまにWi-Fiでネットが繋がるときに彼の活躍や記録の更新に心躍らせ、友人らと盛り上がったのもいい思い出です。

なんといっても忘れられないのは、2016年の第1ステージ第2節・アビスパ福岡-横浜F・マリノス戦です。

「地元福岡で俊輔たちのプレーを観ることができる!」と思った私は当然試合を観戦しに行きました。前半にアビスパのウェリントンが2戦連続得点となるヘディングシュートを決め、マリノスは1点を追う展開。そして後半の82分、事件は起きました。なんと私は中村俊輔選手の直接フリーキック弾をこの目で観れたのです!

この時の興奮を私はいつまでも忘れることができません!「本当にかっこいい~!」、「すげー!!」サポーターたちの歓声に湧き上がるスタジアム!私自身、「なんであんな角度からフリーキックで得点できるんだろう!なんたって俊輔はこんなにスゲーんだ!」と思いました。

やはり試合を観に行って良かった。臨場感も格別でしたし、自身が持つリーグ記録を塗り替える中村選手の直接フリーキック弾をこの目で観ることができるというのは、サポーターとして最高の体験でしょう。

あ、僕が福岡県民なのにアウェイサポーター席からスタジアム入ったのは内緒ですよ。

中村選手は2017年に長年在籍した横浜F・マリノスからジュビロ磐田に移籍しました。海外時代を除いて1997-2002年、2010-2016年の長きに渡ってマリノスの象徴だった彼の移籍は大きな話題となりました。

38歳の彼は新天地で更なる飛躍を遂げています。執筆活動中も何度も彼の活躍に励まされました。

ちなみに中村選手は以前、「2012年度ベスト・ファーザーイエローリボン賞」を受賞しました(同賞は「素敵なお父さん」とされた著名人に贈られる賞で、主催は日本メンズファッション協会と日本ファーザーズ・デイ委員会)。

4人兄弟の末っ子として育った中村さんは、現在7歳、4歳、2歳の息子さんと1歳のお嬢さんの4人のパパです。

家では家族に全力、グランドではサッカーに全力で向き合うことを信条としている中村さんは、 試合ではファンを魅了するプレーを心がけ、家に帰れば奥さんのサポーターとなって、洗濯もすれば、皿洗いもするそうです。

どちらかが叱ったらどちらかがフォローに回り、 奥さんとのチームワークは絶妙。その都度、ああしろ、こうしろと細かく注意するのではなく、 いざという時に的確な言葉をかけ、手を差し伸べて道をつくってやれる父親を目指す、 全国サッカー少年憧れのカッコイイ父親です。

また中村選手を尊敬してやまないサッカー日本代表・岡崎慎司選手の著書『鈍足バンザイ!』には(中村選手の言葉として)こうも書かれています。

「『イクメン』なんて言葉、おかしくないか?男も育児をするのは当然だよ」。

やっぱり俊輔は私と父の共通のヒーローです。

(編注:この記事は、矢野哲郎著『僕がぼくであるために ピースボートで大東亜戦争のことを考えた』第1章から一部抜粋したものです。)

『僕がぼくであるために ピースボートで大東亜戦争のことを考えた』
出版社:花乱社 (2018/6/28)
内容紹介:
自分のスタイルを確立せよ!
色んなことを語ろう,学ぼう,世界を旅しよう。
ブラインドサッカー,尾崎豊・裕哉父子,ピースボートで出会った仲間たち,そして世界で初めて人種差別撤廃を訴えた祖国・日本から僕が学んだ人生のヒントとは?

矢野哲郎(やの・てつろう)/平成3年、福岡県行橋市に生まれる。下関市立大学経済学部卒。大学卒業後は塾講師の仕事を行い、国語・数学・英語などの科目を担当。放課後などの時間帯を利用して学習指導を行う「子どもひまわり学習塾」の指導員として4校の小学校を担当。NGOピースボートが主催する地球一周クルーズに参加し、人種差別に関する企画やブラインドサッカーなど多様な自主企画を実施。


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