米国へ亡命し、日本へも度々やってくるチベット高僧「アジャ・リンポチェ」。前回は東日本大震災での支援活動などについて紹介した。いよいよ今回は、チベットにおける中国軍の侵略について核心に迫る。
アジャ・リンポチェ8世(アジャ・ロサン・トゥプテン) インタビュー
聞き手:独立社PR,LLC代表 本山貴春
Q.アジャ・リンポチェがまだ幼い時にチベットに中国軍が来たわけですが、当時、チベットの人々はどのような気持ちで中国軍を迎えたのでしょうか?
当時、チベット高原にはチベット人だけでなく、モンゴル人や漢族(漢民族)もいました。もともとチベットにいた漢族も、中国軍を歓迎してはいませんでした。
チベットにいた漢族は、チベットの風俗習慣に馴染んでいたからです。
チベットにやって来た中国軍は、チベット寺院を破壊し、私の師匠である僧侶たちを次々に投獄しました。私は幼いながらに、とても怖い思いをしました。
私が亡命した時は江沢民が統治しており、その後、胡錦濤に替わりました。その時、状況が改善するのではないかと多くの人が期待しました。胡錦濤から習近平に替わる時も同様に期待しました。
しかしいずれも、期待するような変化はありませんでした。なぜなら、中国には一党支配というものが根本にあるからです。
特にチベットやモンゴルにおいては、変化はありませんでした。
Q.どのような状況で亡命を決意されたのですか?
その時の心中は私の伝記の中に詳しく書いてあります。
ご存じの通り、1958年、中国で「大躍進」政策があり、その後、文化大革命(1966-1976年)がありました。その後、80年代ごろは穏やかな時代が続きました。
しかし1989年の天安門事件以後は、急激に厳しくなりました。

アジャ・リンポチェ猊下
その中でダライ・ラマはインドに亡命し、パンチェン・ラマの選定に関して中国共産党の干渉がありました。そのような混乱があり、私はアメリカに亡命したわけです。
Q.今後、チベットはどうなって欲しいとお考えですか?
いまチベットとは、個人レベルではやりとりすることがありますが、亡命して約20年、公式には交流することが許されていません。
人々の生活は、中国の統治下で近代化し、多少良くなっているかも知れませんが、伝統や文化、信仰は破壊されてしまっています。それらを今後取り戻すことは非常に難しいと思います。
しかし私はいつも心の中で、チベットが良くなりますようにと祈っています。
《続く》