脱昭和の胎動 番外編 ~いわゆる福岡県議問題に対する一県民としての反省・罪を憎んで人を憎まず~
加速度化する脱昭和の流れ
以前、私は脱昭和の胎動と題し、昭和の時代のあり方が変わりつつある状況に対して、幾つかの論考を選報日本に投稿しました。それから二年余りの時が流れましたが、その動きはさらに加速的に進んでおり、特に政治の世界においてそれが顕著です。
今年に入り、私たちが目の当たりにしている政治の光景、中道という名の政党の大惨敗と高市自民の歴史的圧勝、いわゆる福岡県議団の問題、あるいは先般行われたばかりの沖縄県知事選の結果など、これらは私達が戦後80年以上に渡り依拠してきた社会意識構造が、その耐用年月を越え、瓦解が一気に進んでいるということなのです。
これらについては、また稿を改めて述べたいと思っていますが、その中で、このいわゆる福岡県議問題については、一人の福岡県民として自戒の念がありますので、今回はそれを番外編とし、次回のプロローグも兼ねて語りたいと思います。
構造的腐敗を長期に渡り看過してきた責任
今回、連日のようにマスコミに取り上げられ、批判の対象となっている福岡県議団の一連のあり方には、私も怒りを覚えます。多額に渡る頻繁な海外視察の状況も酷いものですが、特に県議連に対する長年の補助金支給に関しては、全国的にも類を見ない一種の馴れ合い状況であり、唖然としました。
しかしながら、同時にこの状況は昨日今日突然現れたものではありません。それをかくも長期に渡り放置してきたのは私たち福岡県民でもあるのです。
議員の県政報告会に行けば、当然海外視察の報告もあります。議員の方は信頼できる方であり、報告の内容自体は意義あるものです。私は特に何の疑義も抱かず聞いておりました。しかしながら、その会の実施回数、使われた公費の使途単価に関しては大きな疑問点があったということです。
これは、個人の不正ではなく、構造的な問題なのです。そして、このような構造的な歪や腐敗が常態化した場合、それを一人の人間の手で是正することは難事であり、県民全体で見て行かなければならないということなのです。
私の今回の反省点はここにあります、良い人の集合体が常に良い結果をもたらす訳ではないということを改めて意識しておかねばならないということです。自らの主権者意識を更に深めていかねばならないと思いました。
人を憎まず構造を正すという姿勢
長く福岡に住んでいれば、与野党を問わず、県会議員の方とも面識が出来てきます。私が長年関わっている行事に参加して下さるベテラン議員の方、この方は人柄も立派な方であり、人生の先輩として尊敬しています。また、地元の歴史家の方が主催される郷土歴史の勉強会でご一緒になることの多い議員の方は、バランス感覚に優れ、安定した県政の推進に欠かせない存在です。また余興での写真が非難・揶揄の対象となった女性議員の方は政策実行能力に優れ、弱い立場で苦しむ県民の方々から慕われています。
そして、県会議員の中には私の教え子もいます。学生時代から変わらぬ、情熱溢れる若手議員であり、福岡の県政を新しい方向へ牽引してくれるだろう頼もしき存在です。
この方々に批判を越えた罵声を浴びせることは、福岡にとって決してプラスとはならないだろうと私は思います。罪を憎んで人を憎まずとは、ここで使う言葉だと思います。
ネット時代の「集団心理の暴走」への警戒
昭和の旧弊陋習は更新していかねばなりません。しかし、新しければすべて良いという訳でもありません。近年のネット文化の発展による集団心理の個人への強い圧力は、私たちが注意し、制御しなければならないものだと思います。
反省するとは行為を変えて行くことであろうと思います。今後の福岡県政を今以上に注視して行かねばならないと思う今日この頃です。

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